辰年師走 納詣で
四国を遠望する浜辺に思いがけず参拝することになった、師走の小春日和。
海派か山派かと問われれば、即座に山派と答えるわたくし。ではあるけれど、このたびの参拝は、「海のイヤシロチ最高!」と、素直に言える美しい海辺の神社に出会えた。
穏やかに晴れ渡る伊予灘を望む松林にすっぽりと包まれた、八幡奈多宮。これほど煌めく社とは予想しなかったけれど、参拝日和としかいえない、海も空も蒼いのどやかな好天もあって、絶景神社確定である。
実は、もっとすごい絶景があると、御朱印のそばに置かれていた御由緒の資料を見て知った。それは、朝日が市杵島の鳥居から昇るように見える神々しい情景である。太陽の運行をよく知る古の人々が祀った、女神様。彼らは、比売神に何を祈ったのだろう。
わたくしが当社に詣でたのは、平日のお昼前。駐車場直ぐの大きな鳥居は明るい陽光が降り注ぎ、何やら勝手に歓迎ムードを感じてしまう。
頭を垂れて鳥居をくぐってみれば、参道脇から生えた松の大木が、鳥居に向かってまるで龍のように斜めに延びていた。その木肌は龍の鱗を想起させた。(後日改めて写真を見返すと、鳥居の表に絡む紫の光と、裏からの松の木の頂の輝きが、此処は龍神の居場所だと示しているように思えた。)その松の木の下を歩いて、奈多宮に向かって進む。
気分も上々、松の香りが鼻孔をくすぐる参道を進むと、松原の向こうの海上に小さな鳥居が見え隠れしてきた。
潮風が波音とともに微かな海の香りを届ける、「太陽と月の道」をゆるゆると進むと、とりわけ高い松の木が天に伸びるそばに、鳥居が見えた。「此処が奈多宮の入口。」だ。
全体を眺めてから鳥居に近づけば、海からの迎え風?が「どうぞお入り」とばかりに、鳥居を抜けて社殿に向けて吹いた。
海側を見やると、市杵島姫命を遥拝する場所が在った。元宮と言われているその聖処は、数年前の台風では大きく破損したという。復興にあたり、多くの人々の篤い崇敬が集まったことは、この美景で十分に納得できた。
気持ちを新たに、参道に目を向け鳥居をくぐった。更にもう一度、海を振り返れば、ますます絵になる景色に。
何度も前をむいたり、振り返ったりしながら進んでいけば、また鳥居。それほど長くない参道にいくつもの鳥居は、これまで津波や台風の被害に遭ったせいなのか?
手水舎で手口を清めて、いよいよと気持ちが心地よく引き締まる。
立派な神門には、書き置きの御朱印や御由緒の資料が置かれていて、お守りなども見比べたりするのでまたしても足止めに。
漸く境内に足を踏み入れて、明るい波動の空間を貸切で満喫する。宇佐神宮の分祀と言われているけれど、あちらは奥宮も御元山中にある、はっきりと山派のお社である。龍宮のような当社の、海感満載の雰囲気とは異なっていて、なんだか別々の神様のような気がしてしまう。ただし、この奈多宮の近くに亀山古墳があるので、宇佐神宮の亀山社との重なりも気にかかる。
拝殿にご挨拶をして、じっくりと境内を見回すと、直ぐそばにお腹が膨れたような楠の大樹が、主のようにどっしりとした風格で立っている。
このような形態を財運と結びつける考えもあるだろうが、わたくしの頭には妊婦のイメージが浮かぶ。かつて詣でた子孫繁栄の御神徳のお社で出会った、膨らんだ大樹を思い出したから。此処も比売神の社なので、その象りが楠に現れるやもしれず、と御神木を見上げて思ったことだ。
答え合わせの出来ないことはさておき、とりあえず境内のあちこちを探検気分で見回る。御神像か収蔵されている宝物殿は、見学の申し出が必要らしく、今回は見送る。資料の写真をみると、熊野の那智大社の御神像と重なった。熊野の信仰と国東の信仰は海でつながっているのだろうか?
そんなとりとめもないことをつらつらと考えながら、宝物殿前を通り過ぎると、其処に素朴な石像が立っていた。
意外なことに、その名は田道間守命。「なんて読むの?」と同行者が尋ねるので、「タジマノモリさんよ、お菓子の神様。寿命を延ばすスーパーフードを天皇のために探しに行って苦労して見つけたけど、帰ってきた時には天皇は崩御されていて、悲しみすぎて亡くなった人。持ち帰ったのは、トキジクノカコノミいわゆる橘、ミカンなんだけど、日本原産なのよね。」などと、ざっくり説明しながらも、どうして此処においでなのかしら?と疑問が胸にわく。
これまた答えは得られそうにないので、宝物殿の後方へ向かうと、たくさんの祠が続く。ご挨拶しながら進むと、妙見宮さんを発見。星神さんに祝詞でご挨拶すると、此処を取り巻く空気が変わった感じがした。
一番奥の祠には「水神」と書かれていて、龍神さんですか?と尋ねてみた。
そうして、龍神祝詞を捧げると、一気にその周りの空気が変容し、写真を撮ると、ドンピシャな位置に龍の目がバッチリとこちらを見ていることが、わかった。お出ましいただいて、大変恐縮する。
「龍神さんだよ」と、同行者に写真を見せると、「え?」と写真と祠を見比べて、「あれ?排水管?無い?コレ何?どうして?」と驚いていた。
何かは知らないけれど、龍の目って言われてるらしいよ、龍神さん、喜んでるのかな?と答えておいた。ちょっとドッキリ参拝となったけれど、そろそろお暇タイムである。元来た道を戻る。
小さめの鳥居と祠や神籬が立ち並ぶ角のエリアに視線が向くと、其処はわたくしにとって居心地がよく、楽しい心待ちに浸れる空間だった。恵比寿さんたちが見送ってくださるような、嬉しい感じがする。
こうして、八幡奈多宮の参拝は無事終えられて、三つの鳥居を出て、浜辺に降りてみた。
なだらかな海岸線は、青松白浜という言葉がぴったりで、冬の海とは思えぬほっこりとした明るさに輝いていた。
遠くを見渡しても、足元を見つめても、空も海も空気さえも、すべてが美しい浜辺。
波打ち際に近づけば、大きなカニがジッとしていた。生きているのかな?とそばに寄って観察すると、少し動いている。同行者がヒョイと掴んでお腹を見て「メスだ」と教えてくれた。12月の海でこんなカニがいるのかな?と訝しく思いながら、元の場所にそっと下ろして、「元気でね」とお別れをした。
帰宅してから調べると、カニは縁起の良い神使だと知る。
「水神」の御使いという話もネットにはあったので、先ほどの水神様からのメッセージだったのかもしれない。伊予灘の「ナダ」の奈多宮なのか、龍蛇神「ナーダ」の奈多宮なのか、とにかく水神様は此方の大事な神様だと感じた。
最後に、駐車場隣接の神橋を渡ってみた。松林に囲まれ、直ぐに海につながる川に架かっている赤い神橋。社に向かって最後の写真を撮らせていただくと、大きな龍がガオーとお出ましになっているような木の深緑が映り込んだ。素敵なお見送りに心から感謝して、辰年師走の納め参拝を終えた。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。