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フクロウが護る社 イイ・ヤシロ・チ㊲

播磨旅レポート第4弾、完結編。

冬至、クリスマスが近づき、今年もカウントダウンに入った年末、ただでさえ急かされモードになりがちなところ、何やら目の前にフクロウがやたらと現れまくる。追い打ちをかけるように、先程は一記事を投稿し終えてホッとする暇もなく、スイッチ入れたラジオから「姫路城の煤払い」のニュースが、耳に入る。

何気にひょいと掴んだポケットティッシュも、食器棚から出てきた小皿も、朝刊の新聞広告も、フクロウ尽くしのここ数日である。そして、また友人宅にお邪魔すれば、呈されたお茶のコースターまでも!わたくしが目にする物々に付きまとうフクロウ。これほど圧力を感じるストーキングを体験したことがないので、ドキドキしてくる。

友人に問うと、購入して初めて使うと!

やはり、先日の播磨参拝旅ラストのお社、姫路の総社、フクロウに護られていた射楯兵主(いたてひょうず)神社のことだろう。「姫路の総社を迅く書くのだ」と発注元の相手?が督促しているようである。流石に焦るわたくし。フクロウ×姫路となれば、「ソレしかないでしょ」ぐらいの、もう絶対の確定案件なのだ。フクロウについて書き記さねばならないミッションが下ったと素直に承り、第4弾に臨むほか選択の余地なしのわたくしである。

https://xn--sohsha-v43e.jp/under02.php

破磐神社、廣峯神社のあとに最後の仕上げとして、播磨の総社、射楯兵主神社に詣でた時は、夕方に差し掛かった時間帯だった。立派な神門から境内に足を踏み入れ、手水舎で清めてから歩を更に拝殿に進めて行くと、すぐ横に「撫でみみずく」がたくさんの参拝者から撫でられたことを示すようにつるぴかな感じで立っていた。

みみづくは、頭の上部に耳のような羽がついているフクロウのことを指すのだそうだが、立派な眉毛のようにも耳のようにも見えるシルエットである。「あら、こんにちは!」とその時は気軽に挨拶し、帰路も無事でありますようにと願いを込めてひと撫でさせていただいた。

手水舎横においでのミミヅクさん

まずは拝殿で、主祭神にご挨拶し、清め塩をお分かち頂いた。その後は、
総社の境内に祀られているたくさんの神様にご挨拶してまわる。あまり出会うことのない神様もおいでで、物珍しさも感じながらドンドンお参りしていくと、駐車場そばの幟が風にはためいて、「つくりもの展」開催中と書かれている。ちょうど総社会館の2階で20年に一度とか61年に一度の奇祭の資料展示が行われているようだ。

早速にメンバー一同でその会場目指して移動すると、金色に輝く4羽のフクロウが自信満々なガードマンのように、会館の道路側前で四方を向いて立っていた。↓

金のフクロウが警護して立っている

実は、わたくしのイヤシロチ巡りのサイドメニュー的なお楽しみの一つが、眷属の象りとの出逢い、なのである。元来、龍神好きなので、ついつい龍の彫り物などを無意識に探してしまうけれど、お社にはそれぞれの御祭神とご縁の深い眷属を見かけることが、よく有る。先ほどのみみずくといい、「此処ではフクロウなのね」と心の中で独り言ちていた。

日本人のマスコット好き、キャラクター好きの遺伝子が、眷属を殊更に可愛くまたは雄々しく魅力的に意匠化し、境内を飾らせるのだろうか?それらが訪れる参拝者を大いに楽しませ、お参り旅をさらに盛り上げる大きなはたらきをしていると思う。

さて、フクロウの、眷属としての意味などを分かりやすくまとめてくださっている良記事を見つけた。↓

他所のイヤシロチでもフクロウと縁を結ばれているところはないか?と調べてみると、かの絶景の入日で有名な宮地嶽神社もかわいらしいフクロウさんの授与品があるらしい。↓

宮地嶽神社では、猿回しに出逢った懐かしい思い出があるが、モマの記憶がわたくしには無い。代わりに本殿にものすごい迫力の大しめ縄と巨大な天狗の面が掲げられていることを強烈に憶えているのだ。とにかく、お山の神様なのだという印象が強い。

さて、期間限定の展示に出逢えたチャンス、それゆけ!4人組とばかりにフクロウさんたちには挨拶もそこそこに、展示会場に興味津々で入った。展示物はミニチュアのレプリカなのだけれど、その実物の写真を見て、心底愕いた。其処に在ったたものは、初めて見る不思議で巨大な造形物なのだった。

周辺の建物との高さを比較すると自明だけれど、トンデモナイ高さであり、本物の着物を千枚も貼り付けるとか、ありえない規模のお山の頂上に神様が祀られているそれらの実物にご対面するには、これから10年以上待たなければならないらしい。このような大規模で不思議な神事が無事に催行されるなら、世の中はきっと平和であることだろうと、その奇祭を是非とも体験したいと願うばかりだ。

ふと、このお祭りのメインである「つくりもの」のお山は、そのまま神様の降臨地が山の頂であった、と伝えているのではないかと思いついた。それは、直前に詣でた廣峯神社の奥宮のように、星神がこの地を統べるということも自動的に意味する。星は夜に瞬くので、その神使は夜目の効くフクロウであり、知恵深く警護も務めるものだということか、などと一人で密に得心するのだった。

保存会の方々に配布された資料を見ながら細かくレクチャーいただき、祭の規模やお山の構造などを知り、会館の窓から美しい姫路城を眺めて、見学完了となった。丁度閉館時となり、巫女さんに促されての退場である。

姫路城の遠景も素敵

全くの妄想でしかないけれど、矢をを使う、(将軍)の社と星が組み合わさると、わたくしの脳内データーベースでは、京都の大将軍八神社が想起される。星と武神の組み合わせもなんだか似ている。どちらもスサノオを祭神としているところも同じ

フクロウはアメノミナカヌシや北極星とご縁が深いようだけれど、この播磨旅ではスサノオの星神としての側面がクローズアップされている。スサノオとアメノミナカヌシの関係はどのように考えればよいのだろうか?わたくしにはさっぱりわからないけれど、それでもいいよと、警護役の四羽のフクロウに訳知り顔で見送られて、播磨旅は無事終えられたのだった。

寒あやめの花が咲きました

最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。


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