南雲忠一中将を再評価するスレ(イ)
南雲長官はもっと評価されるべき!(51代)
001
5chのスレから移ってきました。
過去スレとテンプレはまとめwikiを参照されたし
admiralnagumo@ウィキ
002
南雲 忠一(なぐも ちゅういち、1887年(明治20年)3月25日 - 1944年(昭和19年)7月6日)
日本の海軍軍人。海兵36期。太平洋戦争初期から中期にかけて第一航空艦隊および第三艦隊(南雲機動部隊)司令長官を務めた後、サイパンの戦いで自決。死後一階級特進により、最終階級は海軍大将。
正三位勲一等功一級
003
当スレは、南雲忠一中将を再評価するスレです。
最終階級は大将ですが、機動部隊指揮官としての南雲長官を
対象としているので、あえて現役時の中将としています。
一般に、ダメリーダーの代名詞とされている南雲提督ですが、
南雲長官は無能指揮官でも、母艦航空戦の素人でもない、
それを戦史を通して明らかにすることを趣旨としています。
004
これは南雲長官を無罪放免にしろ、というわけではありません。
よくミッドウェー作戦は負けるべくして負けた戦いと言われますが、
(GFの杜撰な作戦計画により、あるいは米海軍の暗号解読により
戦う前から敗れることが決まっていた)
ミッドウェー海戦で敗れたのは100%南雲長官の作戦指導が間違っていたから、です。
ただし、それは南雲が水雷屋出身で空母の戦いのことが分かっていなかったからではなく、当時(昭和17年6月時点)南雲長官は日米海軍で母艦航空戦の経験を積み、その難しさを知悉していた提督の一人で、
それでも情勢判断を誤ったのは、入手していた敵情が不正確で不十分だったからで、これは古今の数多の提督が繰り返してきた過誤と同じ類のものと考えます。
戦史を丹念に検証していけば、それを明らかにできる。
本スレの趣旨であります。
005
本スレでは「時系列での戦史検証」を基本方針としています。
通常、南雲長官を評価する際にミッドウェー海戦における敗北しか
話題になることはありません。
しかしミッドウェー海戦は、
「米海軍が暗号解読に成功し、日本艦隊の行動を把握していた」
という極めて特異な例であり、
ミッドウェー海戦だけを見て、空母の戦いの”標準”を論評することには
大きな危険をはらみます。
006
戦争においては、過去の戦訓が非常に重視され、
ミッドウェー海戦直後に「全戦艦を空母に改装しろ」という案も出たほど、
極端な方向に振れがちです。
ミッドウェー海戦における日米両軍の指揮官の作戦指導を見ると、
直前の1か月前に起こった「史上初の空母決戦」である珊瑚海海戦の影響を
強く受けていることが分かります。
その珊瑚海海戦でも、米海軍は日本側の暗号解読に成功し、
MO作戦(ポートモレスビー攻略作戦)の概要を把握し、
日本海軍が3隻の空母(翔鶴、瑞鶴、祥鳳)を出して来ることを知っていた。
ところが、MO機動部隊(翔鶴、瑞鶴)の進攻経路を誤って解読していたために、米空母部隊は背後から近づく日本空母の存在に全く気付かないまま
あさっての方向に攻撃隊全力を出してしまうという致命的失策をおかしてしまった。
007
このような事例を知っていれば、>>004のように
「アメリカ側に暗号解読されていたのだから負けて当然」
のように思いこむのは間違いで、
「暗号解読情報は外れるのが普通で、
日時や位置など詳細まで鵜吞みにするのは危険」
という正しい認識を持つことができるのです。
008
指揮官を評価する際の基準はいくつかありますが、
「作戦目的をどれだけ達成できたか」
「作戦遂行にともなう被害をどれだけ抑えられたか」
上記の視点から分析するのが妥当でしょう。
その意味で、ハワイ作戦における南雲長官の作戦指導は
「五百点満点」(百点満点中)と言えるのです。
いや、米空母を撃ち漏らしたじゃないか。
港湾施設や重油タンクは手つかずだっただろ。
と言いたくてうずうずしている人がたくさんいるのは承知しています。
009
真珠湾攻撃は古今の戦史に例のない戦略的奇襲の成功であり、
「現在真珠湾奇襲が余りに完全に成功したことが良く知られ過ぎているため、この作戦がいかに危険で綱渡りにも等しい紙一重の成功であった、という事実が軽視されがちである」
(北村賢志『虚構戦記研究読本』光人社, 2009, p37)
すなわち自称評論家()の指摘は結果論のないものねだりに過ぎない。
現実の戦場を見ていない机上の空論、
これはおいおいと明らかにしていけるでしょう。
010
太平洋戦争は南雲機動部隊の真珠湾奇襲攻撃により華々しく開幕した、
と思っているのでしたら、その認識は改めなければなりません。
ハワイ作戦は側方支援のための支作戦であって、
戦争の主目的は南方作戦、
すなわち南方資源地帯を占領し、石油や天然ゴムなどの資源を確保し、長期間戦争を継続できるだけの態勢を整えることにあった。
当時
アメリカの植民地であった比島(フィリピン)
イギリスの植民地であったマレー半島
オランダの植民地であった蘭印(インドネシア)
現在の東南アジア全域にわたる広大な領域を攻略するには最低でも3か月、
通常ならば半年は必要と見積もられ、日本海軍の全力を投入することになっていた。
011
その間、ハワイの米太平洋艦隊が進出してきて妨害活動を行なうことがあっては、日本側も邀撃のために兵力を分派しなければならず、それだけ南方作戦の進捗が遅れることになる。
すなわち開戦から半年間、米太平洋艦隊が手出しできないように最初に一撃を食らわせておいて牽制する。
これがハワイ作戦の目的で、米太平洋艦隊を全滅させることが目的ではなかった。
012
ハワイ作戦の結果、米太平洋艦隊は開戦初日にして行動不能となり、残った空母部隊もマーシャル諸島など日本軍勢力圏の周辺域を奇襲する程度の活動しかできなかった。
確かに”神出鬼没”の米空母には、日本海軍も手を焼き有効な対策を打ち出せなかったのですが、いずれも一撃離脱の一過性のものに過ぎず、日本軍の主攻方面である南方作戦の進撃を妨げることはなく、第一段作戦は予想外に順調に進捗して、昭和17年3月の蘭印攻略をもって完了した。
真珠湾攻撃が日本軍の”戦略的勝利”であることがよく分かるのではないでしょうか。
013
続いては、みんな大好き「第二撃問題」ですが、
第二次攻撃隊(正確には第三次攻撃隊)を出して、港湾施設や石油タンクを攻撃しろ、という主張は愚の骨頂、
空母の戦いがまるで分かっていないド素人の発言だと
最初に断言しておきます。
その理由は以下の通り、
①補給計画を無視
②敵勢力圏内にとどまり続けるリスクを軽視
③敵空母に対する警戒の欠如
④目標選定の誤り
ここは詳述したいと思います。
014
まずこちらから。
>①補給計画を無視
敵拠点へ奇襲攻撃を企図する場合、
攻撃前日の行動が極めて重要になります。
なぜなら敵哨戒圏内を航行しなければならないから。
通常主要基地の周辺海域は
日施哨戒といって、大型爆撃機や飛行艇を使った哨戒飛行が行なわれます。
日本海軍なら陸攻(九六陸攻や一式陸攻)や大艇(九七式飛行艇や二式大艇)、
アメリカ軍ならB-17爆撃機やPBYカタリナ飛行艇ですね。
015
これらの哨戒半径は600浬~700浬に及び、
※1浬(かいり)=1.852キロメートル
機動部隊の速力はせいぜい20ノット。
※1ノット=時速1浬=1.852km/h
1日(24時間)で進める距離は480浬
12月8日、黎明時に攻撃隊発進位置(オアフ島北方約200浬)に
到達するためには、前日の7日に一日かけて敵哨戒圏内を航行しなければ
ならず、敵哨戒機に発見される危険が大きくなる。
016
もし発見されたら、奇襲が成立しないのはもちろんのこと、
敵機が来襲して友軍艦艇が損傷、最悪撃沈されるかもしれない。
こうなってはもう攻撃隊発進どころではなく、
作戦を中止して引き返すしかありませんよね。
しかも作戦海域は日本(内地)から3500浬も離れた”敵地”であり、
最も近い友軍基地であるマーシャル諸島でさえ2000浬も離れている。
017
すなわち、ハワイ作戦において重要なのは、
「企図の秘匿」(敵に発見されることなく攻撃隊発進位置に到達すること)
「綿密な補給計画」(燃料切れになる艦艇を出さないこと)
前者の対策として、わざわざ荒天が予想される冬の北太平洋航路を選択。
第三国の商船に遭遇する機会をできるだけ少なくするため。
後者の対策として、燃料残量を管理して、予定にはなくとも
往路は毎日燃料補給を実施して可能な限り満タン状態を維持する。
018
ただし、燃料管理といっても大型艦(戦艦や空母)は十分な航続距離を持っているため、その対象は駆逐艦になります。
「ちなみに陽炎型駆逐艦では全速力(36ノット)で航海すると、満載の燃料がわずか30時間ほどで無くなってしまうため、燃料の残高はつねに機関長の頭痛の種だった」
(『写真太平洋戦争第2巻』光人社NF文庫, 1995, p241)
南雲長官が補給計画に神経質だったのもうなずけるというものです。
機動部隊指揮官とはいさましく突進するだけが能ではなく、こういうことに気配りができる人こそふさわしいのです。
019
南雲長官は攻撃前日の12月7日朝に最後の燃料補給を終わらせた後、補給隊を分離し、駆逐艦霞(かすみ)に護衛させて、F点に向かわせます。
残った戦闘艦艇は敵哨戒機に見つからないように祈りながら、一路南下し、攻撃隊発進地点に向かいます。
020
021
これは防衛庁戦史室が出している公刊戦史の付図で、全巻がネット上に公開されています。
南雲機動部隊の航路図で、
「12-7」とあるのが12月7日(日本時間)のこと。
その上の「N」はNoon、すなわち正午時点の位置を表わします。
「0700/12-7」すなわち12月7日0700時の上にあるD点で補給隊を切り離し、「N/12-9」の上にあるF点に向かわせて、そこで待機させたということ。
022
>>016の通り、
12月7日に機動部隊は敵哨戒圏に突入する。
もし敵に発見され交戦となったら、低速で武装も貧弱な油槽タンカーは沈められるか、被弾して行動不能になるかもしれない。
そうなったら日本へ帰れなくなるので、あらかじめ敵哨戒圏外で待機させておく。F点はオアフ島北方800浬以遠なので、見つかる心配はありません。
023
機動部隊はその後も南下を続け、オアフ島北方230浬の位置
「0130/12-8」で攻撃隊を発進させます。
すなわち各艦艇(特に駆逐艦)は、攻撃終了後に北上してF点までたどり着くことを前提に行動しなければならないのです。
単純計算で無補給で往復1200浬。
敵艦隊と遭遇して戦闘となれば全速航行となるのでさらに燃費は悪化するでしょう。
024
この状況で第二撃を実施して大丈夫ですか?というのが、
>>①補給計画を無視(>>013)
もちろん、好機逸すべからずで戦果拡大を狙うのもひとつの選択肢ですが、
ちゃんと補給計画のこと考えていますよね?
燃料切れで漂流する駆逐艦が出てくるかもしれませんよ?
025
自称(ry の人たちがそこまで考えた上で、第二撃を主張しているとはとても思えません。
補給計画を無視したゲーム脳で南雲長官を素人呼ばわりとは滑稽ですよね。
どちらが素人なのでしょうか。
026
ここまで読んで、
「南雲長官すごいな、見直したぜ」
と思われた方はむしろ少数派で、
「いや、そんなの当たり前じゃないか。
補給を軽視するなんて、陸軍じゃあるまいし」
こんなところではないでしょうか。
しかし、戦場では当たり前のことを当たり前に実行するのが難しく、
補給のことを考えずに行動するとどうなるか、
いわば”悪い見本”が現実にあったのです。
これが戦史を学ぶ醍醐味と言えますね。
027
それは珊瑚海海戦、
しかもアメリカ側です。
米海軍の空母指揮官はフレッチャー少将。
ミッドウェー海戦では、スプルーアンス少将ばかりが有名ですが、
前半戦において主要海戦で米空母を率いて戦い、
「最もナグモを知る男」と言える米海軍提督です。
028
029
アメリカは公刊戦史に当たるものを出していないのですが、
準公刊戦史的位置づけにあたるのが上記で、著者のモリソン博士の名前をとって、通称『モリソン戦史』と言われます。
珊瑚海海戦は、日米両艦隊の航跡が入り乱れて複雑になってしまうのですが、今回は右側にある「フレッチャー部隊」の実線矢印だけを見てください。
これがヨークタウンとレキシントン、2隻を率いたフレッチャー少将の米空母部隊のことです。
030
珊瑚海海戦は、昭和17年5月7日から8日の二日間にわたって起きた史上初の空母決戦ですが、
今回はそれが起こるまで5月6日以前のお話。
舞台となるのはソロモン諸島。
日本海軍の拠点があったのがラバウルで、地図では見切れていますが、
左上のニューブリテン島の北端にあり、ここからポートモレスビー攻略部隊である輸送船団が出撃。
それを支援するため5月3日、日本軍はツラギに上陸、飛行艇用の基地を設営します。
ツラギのすぐ南にガダルカナル島があり、後に日米両軍が死闘を繰り広げることになるのですが、この時点では無名の島。
031
これにより日本側は、ソロモン諸島に
西側のラバウル(ニューブリテン島北端)
中央のショートランド(ブーゲンビル島南端)
東側のツラギ
三箇所の拠点を手に入れ、そこから南側に陸攻や大艇などを哨戒に出すことにより、珊瑚海北半分を勢力圏におさめることに成功した。
ちょうど真珠湾攻撃やミッドウェー海戦とは逆で、
米海軍にとっては珊瑚海は”敵地”であり、不用意に北上してソロモン諸島に近付くと、日本側に発見される危険がある。
032
米海軍は暗号解読に成功し、日本軍がポートモレスビー攻略に行動を起こしたことを知っていたので、米空母部隊はすでに珊瑚海に進出していた。
ところがフレッチャー少将は、日本軍ツラギ上陸の報に接するや、ツラギを攻撃することを決意、急ぎ北上して、5月4日の朝、ガダルカナル島南方から攻撃隊を発進させます。
日本側は前日に上陸したばかりで、まだ荷揚げ作業の途中を奇襲されたため被害を受けた。
033
フレッチャー少将の思惑は見事に成功したのですが、論点はここからです。
これは予定外の行動だったので、米空母部隊は全速で北上して奇襲攻撃の後、全速で離脱南下するという行動をとったため、駆逐艦が燃料不足におちいり、当初の補給地点まで戻れなくなった。
そこで予定を変更して、油槽タンカーのネオショーを呼び寄せて補給を開始した。
これで燃料切れは回避できたのですが、その海域がツラギ南方400浬。
つまり日本側の哨戒圏内だったため、日本海軍の飛行艇に見つかってしまうのです。
034
その後も色々あるのですが、結果として珊瑚海海戦の一日目5月7日、
ネオショーは日本空母機の攻撃を受けて沈没。
>>028の下側にある「5月11日米油槽船ネオショー沈没」
二日目の空母決戦では双方の被害が大きく両軍とも撤退したため、痛み分けの引き分けとなりましたが、仮に日本側が攻略作戦を継続した場合でも、米空母部隊はそれを阻止できずに、一度拠点に戻るか、代わりの油槽タンカーの到着を待つしかない、という状態に陥っていたのです。
これは作戦指導の失敗と言えますよね。
035
仮に真珠湾攻撃で第二撃を実施して駆逐艦が燃料不足になり、油槽タンカーを呼び寄せることになったら・・・こうなっていたかもしれないという例ですね。
本職が南雲長官を高く評価する理由はここにあります。
通常戦場では作戦計画通りに進まないものですが、ハワイ作戦では完璧にそれをやってのけた。
あまりにも鮮やかな手並みだったので、部外者にはその凄さが伝わらないのですよ。
036
次はこちら。
>②敵勢力圏内にとどまり続けるリスクを軽視(>>013)
何度も繰り返していますが、ハワイ沖は敵地です。
補給も増援も可能な敵とは違い、友軍の支援は望めない。
すなわち長居は無用、これが基本です。
しかもハワイ作戦は上陸作戦ではないので、
離脱するタイミングは機動部隊指揮官である南雲長官が
自由に決めることができる。
三十六計逃げるに如かず、ですよ!
037
ハワイ沖にとどまって第二撃を実施していたら、
どの程度の敵の反撃を受け、
どの程度の被害が生じていたか。
それを考察する上で、参考になる事例があります。
①の補給計画では直近の珊瑚海海戦の戦訓でしたが、
今回は図上演習です。
038
039
本職はアバロンヒル社の「JUTLAND」(ユトランド)というボードゲームを所有していますが、添付のような作戦海域を六角形のマスで区切った地図を用意し、その上に将棋の駒のような自艦隊/敵艦隊をあらわす駒を動かし、会敵したらサイコロを振って命中数などを決めて遊ぶゲームです。
これの本格的?なのが図上演習で、日本海軍の場合、青軍(日本軍)と赤軍(敵軍)に分かれて作戦計画の問題点などを洗い出すことを目的としています。
ゲームとは異なり、双方が別々の部屋に分かれて駒を動かすので相手がどこにいるのかは会敵するまで分からない、という仕組みですね。
040
ハワイ作戦においても、この図上演習が行われましたが、特に有名なのが昭和16年9月(真珠湾攻撃の3か月前)に海軍大学校で行われた海大図演で、主題は南方作戦でしたが、「ハワイ作戦特別図上演習」として真珠湾攻撃も検討されました。
その概要は、
「11月16日開戦」
「機動部隊は北太平洋航路で真珠湾を奇襲する計画」
「機動部隊は空母4隻基幹」※五航戦の翔鶴瑞鶴は未だ慣熟訓練中
「攻撃前日の15日に米飛行艇に発見される」
「機動部隊は16日黎明時に攻撃隊発進」
「第一次、第二次攻撃隊により米戦艦4隻沈没、米空母2隻沈没」
図演では米空母も真珠湾に在泊していたためレキシントンとヨークタウンを沈めることに成功しています。
041
問題はこの続き、
「七、わが方の被害
1.当日(16日)、所在航空兵力の反撃によるわが被害
空母2隻沈没、2隻小破
飛行機被害127機
2.第二日(17日)、空母1隻沈没、1隻水上勢力半減と判定され、
機動部隊の空母全滅」
(『戦史叢書(10)ハワイ作戦』p104)
なんと、オアフ島の米基地航空隊の反撃により空母4隻が全滅してしまったのです。
042
注目すべきは、一日目に空母2隻が沈められたにもかかわらず、そのままハワイ沖にとどまって二日目も攻撃を続行した結果、全滅したということ。
もちろん図上演習は未来を予測するものではなく、ひとつの想定に過ぎませんが、このような結果が事前に出ているのに再攻撃を実施しますか?
043
この図演には続きがありまして・・・
「機動部隊の空母は全滅となったが、再判定により結局空母勢力半減とされた」
最初は空母部隊4隻全滅だったけれど、”再判定”の結果、2隻沈没に変更された。
おや、どこかで聞いたような・・・
そうあの悪名高い「宇垣図演」と同じですね。
044
宇垣図演とは、
ミッドウェー海戦の前にも同様に図上演習が行われたのですが、
「この図上演習においてミッドウェー攻略作戦の最中に米空母部隊が出現し、艦隊戦闘が行なわれ我が空母に大被害が出て、攻略作戦続行が難しい状況となった。
統監部はやむを得ず審判のやり直しを命じ、わが空母の被害を減らして三隻を残し演習を続行させた」
(『戦史叢書(43)ミッドウェー海戦』)p90
統監部とは審判に当たるのですが、その責任者が聯合艦隊参謀長だった
宇垣纏(まとめ)少将です。
045
この話は、日本海軍の慢心を表わす象徴的な出来事としてよく引用されます。
ミッドウェー海戦では図演の警告を無視して、米空母は出てこないと慢心し兵装転換を始めた結果敗北したのだと批判されるのですが、
ハワイ作戦において南雲長官は、図演の結果をかんがみハワイ沖にとどまるリスクを考慮して、第二撃を実施せず速やかに離脱した結果、機動部隊をほぼ無傷で帰還させたのに、なぜ叩かれねばならないのでしょうか。
046
この後にも出てきますが、
真珠湾攻撃とミッドウェー海戦で正反対のことを主張しながら、全くその矛盾に気付いていない。
せめて公平な基準で評価しましょうよ、
当スレで強く主張するものであります。
047
続いては
>③敵空母に対する警戒の欠如(>>013)
攻撃当日、真珠湾内に米空母が居なかったことはよく知られています。
では、彼女らはいったいどこに居たのでしょうか。
その前に、真珠湾奇襲を成功させるために日本海軍は入念な情報収集を行なっていました。
もともと投機的な性格の強い作戦であるため、ハワイ沖まで行ったのはいいけれど、米太平洋艦隊は演習に出払っていて湾内は空っぽでした・・・では目も当てられません。
それゆえに、米艦隊の在泊情報は最優先事項でした。
048
当時、ハワイの日本総領事館には海軍士官が偽名を使って赴任しており、遊覧飛行をするふりをして湾内を観察するなど情報収集に努めていた。
その結果はあらかじめ決められた”暗号”を用いて、ラジオCMの形で放送されており、
「私の大切なドイツ警察犬が逃げました。連れ戻した方には多額の謝礼をします」は、主力艦の出港を意味していた。
(碇義朗『飛龍天に在り』, 光人社, 1994, p128)
049
そのため、真珠湾の在泊艦艇や碇泊位置はかなり正確に知ることができたのです。
すなわち南雲司令部は、攻撃隊発進前の段階で、真珠湾に米空母が居ないことを知っていた。
050
米海軍は太平洋と大西洋の二つの海に面しているため、艦隊もまた分割して配置されます。
空母でいえば、
太平洋:レキシントン、サラトガ、エンタープライズ
大西洋:レンジャー、ヨークタウン
ただしサラトガはサンディエゴ(西海岸)で整備中のため、
真珠湾に居たのはレキシントンとエンタープライズの2隻です。
051
そのことも日本側は把握しており、11月28日の情報として、
「午前8時真珠湾ノ情況、左ノ如シ、
戦艦2、空母1(エンタープライズ)、甲巡2(以下略)」
「午後ニ於ケル真珠湾在泊艦、左ノ通リ推定ス、
戦艦6、空母1(レキシントン)、甲巡9(以下略)」
(『戦史叢書(10)ハワイ作戦』)p272
11月末の時点では二隻とも真珠湾に在泊していたことが分かります。
052
翌11月29日の情報では、
「午後、真珠湾在泊艦、左ノ如シ、~略~
レキシントン(以下略)」p273
エンタープライズが入っていないことから出港したことがわかる。
さらに12月5日の情報として、
「11月28日出港した戦艦2隻が5日午前に帰港し、レキシントンと重巡5隻が出港した」p295
残念ながら、攻撃予定日の3日前に、米空母は2隻とも姿を消してしまった。
053
通常空母が停泊するときは、入港前に搭載飛行機隊を発艦させて陸上基地に移し、そこで搭乗員の訓練や休養、または機体の整備を行ないます。
そして空母が出港して外洋に出てから、飛行機隊を収容する。
つまり停泊中の空母はただの”箱”なので、これほど攻撃しやすい目標はありません。
しかし真珠湾にいないとなれば、2隻の米空母はいったいどこへ向かったのか。
054
それは友軍基地の増援のために飛行機を運んでいたのです。
エンタープライズはウェーク島へ
レキシントンはミッドウェー島へ
アメリカは日本の外交暗号を解読していたこともあり、日米開戦が必至の情勢だったので、日本軍の攻撃に備えて、各基地を増強に動いていたのです。
055
未だに、ルーズベルト大統領は真珠湾攻撃を知っていた!とか、
時代遅れの戦艦を沈めても、主役となる空母を外洋に逃がしたんだ!とか、
陰謀論がささやかれてていますが、全くの嘘であることがこの事実からでもわかりますよね。
真珠湾が攻撃されると分かっていたなら、ハワイの兵力を増強して返り討ちにしようと考えるでしょうに。
あくまで日本軍の攻撃目標は比島と考えていたから、B-17などを送って兵力を増強していたのであって、
また牽制のためにウェーク島やミッドウェー島が奇襲を受けるおそれがあるから増援を送っていたのです。
056
南雲機動部隊が真珠湾を奇襲したときに米空母が居なかったのは偶然に過ぎません。
事実エンタープライズはウェーク島への増援任務を終えてハワイへ帰る途中で12月8日の朝の時点で、オアフ島から200浬の位置に居た。
しかも予定では前日に真珠湾に入港するはずだったのに、途中で荒天の影響で駆逐艦に対する燃料補給が進まなかったため一日遅れてしまった。
好天に恵まれていればエンタープライズは沈んでいたかもしれません。
057
しかしそれは南雲長官にとってあずかり知らぬこと。
この2隻の米空母の動きをどう解釈すべきでしょうか。
まずエンタープライズについて、
11月28日に真珠湾を出港して、10日経っても戻ってないということは通常の演習などではない。どこか遠方へ向かっているか、あるいは西海岸へ移動してドック入りするのかもしれない。
ちょうどサラトガ(>>050)が真珠湾攻撃直後にハワイに戻ってくるので、それと入れ替わりで整備期間に入るというわけです。
058
レキシントンは三日前に真珠湾から消えたところが気になりますね。
ルーズベルトの陰謀論(>>055)ではありませんが、日本側の作戦計画に感づいた可能性も否定できません。
これが戦艦8隻も出港したとなると、真珠湾全体が異例の事態に大騒ぎになり、日系人組織を通じて日本軍に伝わってしまうおそれもあるので、空母だけがこっそりと出撃し、ハワイ北方海域で待ち伏せする。
戦艦部隊はその報告が入ればすぐに出撃できるように臨戦態勢を整えておく・・・
こんなシナリオを想定すれば「三日前」が絶妙のタイミングであったことがわかりますね。
059
ここで思い出していただきたいのは、ミッドウェー海戦において南雲長官がどのように批判されたのか、ということ。
「あくまでも米海軍の戦意を過小評価し、しかもご都合主義的に
”我は発見せられず”
”敵空母は付近海面に行動せず”
”敵基地は壊滅できる”
と信じている」
(森史朗『ミッドウェー海戦第二部運命の日』新潮選書, 2012, p56)
060
米空母は出てこないと慢心して兵装転換を始めた愚かな南雲司令部、
と叩いているその本人が、
真珠湾では「米空母が出てこないことを前提にして」、再攻撃しろ、港湾施設や石油タンクを見逃した南雲は無能と批判しているのです。
本職が矛盾(>>046)と指摘する理由がお分かりでしょうか。
061
もちろん、周辺海域を”二段索敵”で入念に捜索し、米空母がいないことを確認してから石油タンクを攻撃しろと主張するのならまだ筋が通っていますが、本職は寡聞にして知りません。
そもそも二段索敵などしていたら日が暮れてしまいますよね。
062
史実では、奇襲直後の真珠湾は混乱のきわみにあり、
母艦に先行して真珠湾上空に到達したエンタープライズの艦爆隊は味方からの誤射を受け、あやうく撃墜されそうになったり、
オアフ島に日本軍が上陸したという誤報が広まり、
日本軍の機動部隊がオアフ島の「南方」(正しくは北方)に発見したと、これまた誤報が入って残存艦艇がそちらに出撃する等々
とても南雲機動部隊に反撃を加えるところまでたどり着けるようには思いません。
063
しかし、だからといって安心して第二撃に集中できると考えているのならば、それこそ慢心であり、ミッドウェー海戦の悪夢がハワイ沖で起こっていたかもしれない。
南雲長官は、ハワイ沖海面は”敵地”であると正しく認識しており、作戦目的を果たしたことを確認するや、アメリカ側が反撃態勢を整える前に速やかに離脱して、完璧な勝利を演出したのです。
064
それでも未練がましく、石油タンクを破壊していれば米空母も行動できなくなり、ミッドウェー海戦のようなことは起こらなかったのに・・・
としがみついている人もいるでしょう。
それは勘違いですよ~というのが最後の
>④目標選定の誤り(>>013)
第二撃をやるにしても石油タンクは攻撃すべきではないのです。
065
ところが世間はそうではありません。
石油タンクを見逃した南雲長官に対し非難の大合唱。
そして彼らが聖典とするのがこちらですね。
「攻撃目標を艦船に集中した日本軍は、機械工場を無視し、修理施設には事実上手をつけなかった。
日本軍は湾内の近くにある燃料タンクに貯蔵されていた450万バレルの重油を見逃した。
長いことかかって蓄積した燃料の貯蔵は、米国の欧州に対する約束を考えた場合、ほとんどかけがえのないものであった。
この燃料がなかったならば、艦隊は数か月にわたって、真珠湾から作戦することは不可能であったであろう」
ニミッツ『ニミッツの太平洋海戦史』, 恒文社, 1992, p23
066
この450万バレルという数字は読む人に強烈な印象を与えます。
ちなみに1バレル=159リットルなので
450万バレル=7億1550万リットル
重油の比重を0.85程度とすれば約60万トン
戦艦大和の燃料搭載量が6300トンで
ミッドウェー海戦の全艦艇の燃料使用量が60万トン
と言われるので、米太平洋艦隊にとっても
全力出撃1回分と言って差し支えないでしょう。
067
これだけの燃料が無くなったら、それこそ一大事ですね。
ただしニミッツ長官は、
「450万バレルの重油を失えば数か月は行動不能になる」
と書いていますが、
「南雲機動部隊が第二撃を実施すれば、450万バレルの燃料が焼失する」
とは言っていません。
当たり前ですよね。
068
日本空母の搭乗員たちは真珠湾攻撃に備えて猛訓練を積み、
諜報員からの情報(>>048)に基づいて、各戦艦の停泊位置に対して
何機編隊でどの方向から雷撃するかなどを入念に研究した結果、
史実のような大戦果を挙げることができたのです。
石油タンクを攻撃するとなったら、その位置や数、規模などに合わせて
攻撃隊を編成しなければなりませんが、もともと作戦計画に無かったことを
即興で実施できるのでしょうか。
やろうと思えばできるでしょうが、
「数か月間作戦不可能」な戦果が見込めるのですか。
069
第二撃を行なわなかった理由について、公刊戦史は三つの理由を挙げている。
①米太平洋艦隊主力と航空兵力を壊滅させ所期の目的を達成した。
これは>>011のとおり、ハワイ作戦は南方作戦の側方支援であるから。
②敵空母の動静不明
同じく>>013で米空母の反撃を警戒して速やかに戦場離脱を決断した。
070
そして最後が、
「第一次攻撃においてすら敵の防御砲火は迅速で、第二次攻撃はほとんど強襲になった。したがって次の第二回攻撃は純然たる強襲となり、戦果の割には犠牲を著しく増大するおそれがある」
(『戦史叢書(10)ハワイ作戦』)p345
真珠湾攻撃は完全な奇襲だったにもかかわらず、アメリカ側の反応は素早く、すぐに対空砲火が上がり始めた。
第二撃を実施すれば、それは敵が待ち構えている基地へ突入することを意味し、石油タンク攻撃どころではなく防戦いっぽうになる危険もある。
071
真珠湾攻撃はアメリカ側の記録映像として残っていますが、傾いた戦艦から激しく煙が上がっている様子がよくわかります。
爆撃において目標に爆弾を命中させるには正確な照準が必要ですが、空が黒煙で覆われた真珠湾上空で果たしてそれが可能なのか。
石油タンクを狙ったところで、無駄弾を消費することにならないか。
要はそこまでして攻撃する価値があるのか、石油タンクに
ということですね。
072
ここまで説明してもなお、第二撃にこだわる人は多くいるでしょう。
それはやはり、先に紹介したニミッツ長官の言葉(>>065)
>この燃料がなかったならば、艦隊は数か月にわたって、真珠湾から
>作戦することは不可能であったであろう
本職はニミッツ長官を深く尊敬しています。
その理由は次のミッドウェー海戦で説明しますが、同書の真珠湾の章に関しては、正直なところ「負け惜しみ」と言わざるを得ません。
073
我々日本人は(なぜか)南雲長官の不手際を叩くことに一生懸命になっていますが、客観的に評価すれば「開戦初日に太平洋艦隊壊滅」はどれだけ言葉を尽くしても責任を免れない大失態ですね。
当然のことながら、米国内では「海軍は何をやっていたんだ」と非難の声が集中し、キンメル長官は更迭され、その後継として米太平洋艦隊司令長官に就任したのがニミッツ長官です。
『太平洋海戦史』(>>065)の引用箇所前後を読むと、
「真珠湾の惨敗の程度は大きくなく、はるかに軽微」(p23)
「旧式戦艦の乗員を空母に転換できたのでかえって良かった」
「戦艦は沈んだけど巡洋艦と駆逐艦は被害が少なかった」(p24)
「これらは高速空母機動部隊を編成する基盤となった」
074
自称(ryの方々は、ニミッツ長官のお言葉をありがたや~と信奉して南雲長官を叩く根拠とするのですが、ここの部分は額面通りに受け取ってはいけませんよ。
戦艦8隻が行動不能となり、2千人以上の戦死者を出しながら”損害軽微”なわけはないですよね。
旧式戦艦が要らないのならば、わざわざ引き揚げて改装して後半戦でレイテ沖海戦に投入することも不要
配置転換した高速機動部隊で出来たのは外周敵基地に奇襲をかけるくらいで、西太平洋での日本軍の快進撃を全く止めることができなかったのだから。
075
太平洋戦争において、一般にアメリカ側は日本軍将兵を高く評価する傾向にあります。それは本当にそう思っていたかは別にして、
「敵は強かった。だがその強い敵に勝った俺たち最強!USA!USA!」
という彼らお得意のリップサービスなのです。
特に山口多聞少将や小沢治三郎中将に対して顕著ですが、
南雲長官に対しては手厳しい。
なぜだか分かりますか?
真珠湾から南太平洋海戦まで、南雲機動部隊には全く歯が立たなかったからなのです。
076
ミッドウェー海戦の話を出したくてうずうずしている人がたくさんいるのは承知しています。
ここでいう「歯が立たなかった」とは戦闘の勝敗のことではなく、
機動部隊航空兵力の打撃力が遠く及ばなかったということです。
南雲機動部隊の放つ攻撃隊を一度も阻止できなかった。
だからそれを指揮した南雲長官を誉めることは悔しくてできない。
その心情を察してさしあげてください。
077
これを聞いて、かたよった考え方だと思いますか?
それはおいおいと明らかにしていけるでしょう。
まとめると、
ニミッツ長官の発言(>>073)は、このようなあら探しをしないと出てこないほど、南雲機動部隊の真珠湾攻撃の手際は完璧だったという証であり、
その”行間”を読み取れずに、真に受けて「石油タンクを攻撃しろ~」と主張するのは全く現実が見えていないのです。
078
いやそれでも・・・と石油タンクにこだわる人はいるでしょう。
そこで発想の転換です。
>この燃料がなかったならば、艦隊は数か月にわたって、真珠湾から
>作戦することは不可能であったであろう
石油タンクを破壊することが目的ではなく、
米空母を数か月間、作戦行動できなくすればいいのです。
079
これまた戦史に学ぶことができます。
真珠湾攻撃で米戦艦群は壊滅したものの、空母は健在だったため、
昭和17年(1942年)2月より、ヒットアンドアウェイと呼ばれる
機動空襲作戦が開始されます。
「また空母レキシントンを基幹とする第11任務部隊指揮官ブラウン中将は、後述する2月1日のマーシャル方面攻撃に策応し、ウェーク島空襲の任務を与えられて真珠湾を出港したが、その直後の1月23日、オアフ島西方135浬で随伴の油槽艦ネッチスが、日本潜水艦(伊72潜)によって撃沈されたので、ウェーク島空襲をとりやめた」
(『戦史叢書(38)中部太平洋方面海軍作戦(1)』)p379
080
081
不鮮明で申し訳ないですが、太平洋戦争で知っておくべき地名です。
■が日本支配地域、□が米国領
■東京
□ミッドウェー
■硫黄島 ■南鳥島
■ウェーク オアフ島□
■サイパン(マリアナ諸島)
■グアム ■クエゼリン(マーシャル諸島)
■パラオ ■トラック ■タラワ(ギルバート諸島)
■ラバウル
082
開戦前はこのようでした。
□ミッドウェー
□ウェーク ハワイ□
□グアム
□フィリピン
083
アメリカにとってフィリピンはアジアの重要な植民地です。
そこはハワイから遠く離れているため、太平洋に浮かぶ米国領の島々を中継基地としていた。
この中でグアムは日本の南洋委任統治領(>>080の点線で囲まれた領域)の真ん中にあったため日米開戦となったら防衛は絶望的とみられていた。
同じくウェーク島はマーシャル諸島の北方約600浬の位置にあり、委任統治領に接していたため、開戦直後に日本軍が攻撃してくることは間違いなく、空母エンタープライズが海兵隊の戦闘機を運んで(>>054)増強していた。
084
開戦当日の12月8日から日本軍陸攻隊による爆撃が始まり、上陸部隊をともなったウェーク島攻略部隊が来襲します。
一度は撃退したものの結局12月中に陥落、日本軍が支配することになった。
そこでアメリカ側は作戦可能な空母部隊を使って、これらの島々に機動空襲を仕掛ける作戦を始めた。
さすがの米帝チートも当時はウェーク島などを奪還できるだけの準備は整っておらず、一撃離脱の奇襲をかけるだけで戦略的には価値のとぼしい作戦ですが、
[1]開戦以来、日本軍に負けっぱなしで停滞している士気を高揚させるため
[2]日本軍のさらなる支配地域拡大を阻止するための牽制作戦として
実行に移されたのです。
085
その手始めに、
ハルゼー中将率いる空母エンタープライズがマーシャル諸島へ
フレッチャー少将率いる空母ヨークタウンがギルバート諸島へ
ブラウン中将率いる空母レキシントンがウェーク島へ
それぞれ奇襲攻撃に向かいます。
このような作戦計画は同時多発的に実行するのが効果的で
日本側は次にどこが狙われるか見当がつけられないので
全域にわたって防衛を強化しなければならず、
その分、進攻兵力を減らさなければならなくなるのです。
086
ところが既述のとおり(>>079)
>随伴の油槽艦ネッチスが、日本潜水艦(伊72潜)によって
>撃沈されたので、ウェーク島空襲をとりやめた
レキシントンのウェーク島空襲計画は中止になったのです。
ここで思い出してください。
>この燃料がなかったならば、艦隊は数か月にわたって、真珠湾から
>作戦することは不可能であったであろう(>>065)
南雲機動部隊の”失策”により、真珠湾の重油タンクは無傷だったのにも
かかわらず、米空母の遠征計画は中止になった。
なぜ?
油槽タンカーが沈んだからです。
087
つまり、大量の爆弾を投下して重油タンクを炎上させなくても、
油槽タンカーを全部沈めてしまえば、
>艦隊は数か月にわたって、真珠湾から作戦することは不可能
という目的を達成できる。
重油タンクにこだわる必要はないのです。
>④目標選定の誤り(>>013)
と指摘した意味が伝わったでしょうか。
088
ここで真珠湾攻撃時に停泊位置を確認すると、
恰好の目標を見つけることができるでしょう。
089
090
フォード島に隣接した戦艦群や周囲の燃料タンクに目を奪われては
なりません。
注目すべきは中央付近の戦艦カリフォルニアの右隣にいる
「ネオショー」
思い出しましたか?
最初の方(>>034)で紹介した、珊瑚海海戦時の米海軍の油槽タンカー
のことです。
091
もし真珠湾攻撃でネオショーを沈めていたら、珊瑚海海戦は起こらなかった・・・とはなりませんが、
(当然ながら、別の油槽タンカーを用意するはずなので)
米空母部隊の行動が制限されることは間違いないですね。
これは真珠湾後に起こったことなので、厳密な意味での”戦訓”とはなりませんが、重要な示唆を与えてくれるでしょう。
092
>>017のとおり、真珠湾往路での南雲長官は、
①毎日正午に各艦の燃料残量を報告させる。
②予定の燃料補給日に関係なく、可能な限り毎日補給を行ない、”満タン”状態を維持するように努める。
③オアフ島の敵哨戒圏外に油槽タンカーを待機させ、真珠湾奇襲攻撃後に速やかに離脱して補給部隊との合同に成功した。
燃料補給の重要性を正しく理解していることを行動で示しています。
であるならば、真珠湾の油槽タンカーは優先すべき攻撃目標であることを作戦計画に織り込んで、第二撃を実施する場合の目標として真っ先にあげなければならない。
そのためにはオアフ島のスパイに油槽タンカーの位置を報告させなければならないのです。
093
それを怠った南雲は無能、空母の戦い方がまるで分かっちゃいない!
と主張するのが”正しい”批判なのですよ。
石油タンクのように「労多くして功少なし」な目標ではなく、
費用対効果の優れた、令和風に言えば「コスパの良い」油槽タンカーを狙うべきなのです。
094
以上四点(>>013)を中心に振り返ってきましたが、
第二撃を実施せずに、速やかに戦場離脱した南雲長官の情勢判断が、
いかに理にかなったものであるか、よく理解いただけたのではないかと。
095