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遊興の女、奔る #1

<参照:女遊び人、ガラリアとの邂逅>

「いや、そう言われてもな。ウチは今回まったく噛んじゃいねえんだ」
「本当か? 嘘だったら、タダじゃおかない」

 都市の抱える闇にも似た、暗い一室。二人の人物が、言葉を交わしていた。一人はいかにもな裏社会風の人物。いま一人は、男にしてはいやに顔立ちが美しい。女が男の服をまとっていると言われても、違和感のないような姿をしていた。

「運命神に誓ったっていいぞ。本当だ。そのガノンとやらも知らん。人が死んだとかいう事件も、エトワーニュぎみとやらも知らん。他を当たってくれ」

 裏社会風の男が、観念したかのように首を横に振る。すると美しい男も、首を縦に振った。

「しょうがないね。神様まで持ち出されだら、ボクも引かざるを得ない。その代わり」
「ああ、わかったわかった。なにかわかったら、真っ先にアンタに提供する。賭けに負けたんだ。そのくらいは呑まなくちゃな」
「ありがたいね。やはり持つべきは同類だった」
「まったくだ。できることなら、二度と会いたくない」

 強い言葉に追い出されるように、美しい男は陽の下へと躍り出た。黒一色の出で立ちに、短く切り揃えられた髪。紅の類も、引いてはいない。だがどこかに、男性にはない柔らかさが隠れていた。否。そもそもこの人物、我々はどこかで目にしていなかっただろうか。口元に紅を引き、薄化粧を施し、男物の黒装束を、女物の一枚装束へと変えたならば。

「……ガノンの旦那が捕縛されてはや二日。いつ死刑のお沙汰が下るかさえもわからないというのに、手掛かりは皆無。せっかくの男仕立ても、効果がないと来た。これじゃあこのアタシ、【賽の目繰りのガラリア】の名が、すたっちまうよ」

 なんたること! 美しい男の正体は、【賽の目繰りのガラリア】。かつてガノンに勝負を挑んで敗北、以来旅路をともにしていた女だった。しかし今、さらに聞き捨てならぬ事実が吐露されていなかっただろうか? 戦神の愛し子、巨躯にして偉容を誇る、あのガノンが捕縛? 死刑もかくや? 一体全体、彼の身になにが起きたというのか? そもそもこの都市まちで、なにが起きているというのか? それを知るためには、刻時機――時を示す機巧からくり――の針を、二日ほど巻き戻さなくてはならぬ。一時いっとき、時間軸を過去に置くことをお許し願いたい!

***

「……なんだ、おまえたちは」
「そこな蛮人。お前を殺人の罪で拘束する」

 街の門を潜ってそうそう。そう、ものの半刻すら経たぬ内に、ガノンは警邏兵士に囲まれていた。その数、ゆうに三十人。当然いっぱしの騒ぎになっており、周囲には人垣が生まれていた。場所は都市の大通り。もはや、
人々の耳目は避けられぬ状況にあった。

「どういうことだ。おれはまだ、この街に……ぐぅっ!」
「口答えをするなっ!」

 疑問を呈したガノンの背中を、警邏兵士の棒が引っ叩く。するとどうだ、たちまちガノンが大きな身体を仰け反らせ、苦悶に喘いだ。常のガノンには、とても起こり得ぬ反応であった。

「どうだ! 貴様がいかに我らを謀ろうとも、審判神の目は欺けぬぞ!」

 警邏どもが勝ち誇る。おお、彼らが手にする棒を、よく見るが良い。そこには審判の神を崇める聖句が、余す所なくびっしりと刻み込まれている。この聖句が審判神の加護を呼び、敵対者の抱える罪を苛むのだ!

「ぐおおおっ……だが、おれは」
「白を切るなっ!」
「んぐうっ!」

 それでも抗弁を試みたガノンが、再び棒で打ち据えられる。必然、ガラリアが止めに入った。旅装束、外套をすっぽりとまとった出で立ちになっているとはいえ、その動きは軽やかだった。ガノンを守るように、警邏との間に割って入る。

「ちょっと! この人はまだこの街でなんにもしちゃいないよ! 旅路をともにした、このアタシが証人だ!」
「うるさい! お前も打ち据えてやろうか!」
「ああ、いいさ! やってごら……んひぃっ!」

 ああ、なんたる非情! ガラリアもまた、審判神を崇める棒の餌食とされてしまった。審判神は善行を尊び、悪行を大いに憎む。殺傷行為もさることながら、賭博、過剰飲酒、詐取など、およそ人の行いにおいて悪に分類されるすべてに、審判神の怒りは炸裂するのだ。荒野を才覚に依りて旅する遊び人であるガラリアは、幾度となく賭博、詐取などに手を染めている。打ち据えられるのも、さもありなんであった。

「おお! 隊長、この女も!」
「捨て置け! 我々が捕らえるべきは殺人犯だ! エトワーニュぎみにかかった疑いを、なんとしてもすすがねばならぬ!」
「はっ!」
「ちょ……待っ……」

 おお、見よ。ガラリアの制止を聞くこともなく、ガノンが審判神称揚の棒に打ち据えられる。複数人にて囲んで叩くその様は、権力による暴行にも似た有り様であった。しかしガノンは応戦しない。いや、間断なく打ち据えられているが故に、かなわぬのか。それとも怒りを溜め込み、応報の時に備えているのか。その意図は、ガラリアにさえもわからなかった。そして。

「よし、連れて行け!」
「ははっ!」

 いつしかその目から力が消えていたガノンを、警邏兵士どもが数人がかりで連行していく。戦闘力を持たず、棒に打ち据えられる類の人間であるガラリアには、それを見送ることしかできなかった。このような真似が許されていいのかと、周囲の民へ視線を向ける。しかし彼らは視線をそらした。中にはそそくさと場を後にしていく者もいる。彼女はそこから、幾つかのことを悟り。

「待っていてくれよ、旦那。アタシが必ず、なんとかするからさ」

 ガノンを見送るその瞳に、一方的な決意を込めた。

***

「駄目だ駄目だ! ソイツは重篤犯だ! そう簡単に会わせられると……」
「まあまあ、これでちょいと頼むよ。な?」

 時は再び現在いまへと戻る。重篤犯が拘束されているという収容所の前、男姿のガラリアは、ひっそりと衛兵にまいないを手渡していた。それも、相応の額。ありていに言えば、ポメダ銀貨複数枚であった。無論これは、彼女がこれまでに溜め込んだ財産である。重ねて言えば、一衛兵の給金、その百日分以上に相当する。これらの使い所を見極められぬほど、彼女は愚鈍ではなかった。衛兵二人に同額を渡し、思考を惑わせる。さすれば、あとは。

「え、ええい! 上に相談はして来る。通るとは思うんじゃないぞ!」

 相方の金をむしり取り、いかめしく去っていく衛兵の後ろ姿。それを見ながら、ガラリアはひっそりとほくそ笑んだ。上の者がよほどの堅物でもない限り、彼女の要望はほぼほぼ通ったと言えるからだ。女の姿で向かったならば、貞操をダシに今少し容易に踏み込むこともできる。だがすでに、女の姿では街の者に醜態を晒してしまっている。これ以上の悪目立ちは、確実に避けておきたかった。そして。

「運が良かったな。半刻ならば接見の許可が出た。せいぜい別れを告げて来い」

 彼女の読み通り、いともあっさりと許可は降りた。衛兵に連れられる形で、ガラリアは内部へと向かう。静謐に満ちた空間は、法の砦を思わせるに相応しい。だがその砦も、内部の者が緩ければ。

「入れ」

 衛兵の指示に従い、奥まった場にある一室へと入る。衛兵も入り、鍵が閉められる。脱獄や、違法な物品の融通を防ぐための措置だろう。ガラリア自身も、そこに文句をつける予定はなかった。そして、程なく。

「誰かと思えば、おまえだったか」

 おお、牢中にあっても偉容変わらぬ男が一人。赤く、蛇の如くうねる長髪。鎧じみた筋肉を誇る肉体。すべてが大ぶりな、かんばせの構成物。そして不機嫌にけぶる、黄金色の瞳。ラーカンツのガノン、その人であった。

「ああ、そうだよ。わかってくれて助かった。なんとか旦那をここから出せないか、今動いているところさ」
「それで男の姿なりを……いや、これは無粋か」
「ああ、無粋だね。まあ、今のところは手がかりがないのが、手がかりだけども」

 再開を喜ぶ暇もなく、ガラリアはガノンの軽口を咎め、情報を受け渡す。とは言っても、朗報と言えるものは皆無だった。

「……それでなんとかなるのか」
「なんとかしなくちゃ、旦那の首が落とされておしまいなんだよ」

 むう、と唸るガノン。それを尻目に、ガラリアは言う。

「なに。さっきも言ったけど、手がかりがないのが、手がかりなのさ。そこまでできる相手は、限られているからね」
「……」
「さて、そろそろお暇するよ。なんとかかんとか、取り調べを生き延びとくれ」
「無理は、するなよ」

 去ろうとするガラリアにしかし、ガノンはなおも案ずる言葉をかける。だが、ガラリアが振り向くことはなく。

「無理には無理の、しどころがあるのさ」

 右手を上げて、そう応えるにとどまった。重い扉が閉められたのは、その直後だった。

#2へ続く

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南雲麗
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