盗賊VS蛮族 #1
街には既に、夜の帳が降りていた。神々が座すと言われる星々がきらめき、人々の視界は夜闇に閉ざされていく。そんな中、その一角にある屋敷には、異様に物々しい警備が敷かれていた。私兵と思しきまちまちな装備をした男どもが各所に立ち、視界を確保するためか篝火までもが焚かれている。明らかに、常の状況ではないことが見て取れた。
「【旋風のナピュル】め……来るなら来い」
屋敷の中、一際広い一室に目を向ければ、そこでは主人と思しき男が怒りに打ち震えていた。明らかに眉間にシワを寄せ、椅子の肘掛けに添える手は握り締められている。憤懣やる方ない様子が、あまりにも容易に見て取れた。とうに地肌が見えるほどにまでなった頭部の上から、湯気が見えそうなほどだ。
「……」
一方でその傍らへと目をやれば、そこにはこれまた不似合いな男女が並び立っていた。一人は半裸を晒し、下穿きと粗末な靴のみを身に着けていた。背には手頃な剣を備え、黄金色にけぶる瞳を遠くへと差し向けている。肌は陽に良く灼けた褐色、髪は火吹き山を思わせるかのように赤く、肩を越え、蛇の如くうねっていた。
とはいえ。明らかに南方蛮人の出で立ちであることを除けば、男はまだ戦の出で立ちであり、この場に立っていることも理解できる。問題はいま一人、女の方であった。まず、女であることそのものが異様であることは相違ない。そしてこの女は、武人ですらなかった。黒の一枚装束を身に纏い、太腿や胸元からはわずかながらに素肌を覗かせている。口元には紅が引かれ、目元には瞳を強調するような拵えが施されていた。髪の色は黒く、しかし短い。つまるところこの女は、遊び人の類だった。言動の駆け引きと鍛え上げた手業でもって、荒野を渡り歩く漂泊である。
「すでに夜半も近いな」
二人のうち、男のほうが口を開いた。その視線、未だ意気軒昂。茹だるような空気の中で口を開ける度胸は、感嘆に値するものである。
「寝ずの番だと、言ったであろう」
主人が男に、言葉を返した。ただでさえ湯気が見えそうな頭部から、さらに熱が噴き出したようにも見える。主人の苛立ちは、すでに頂点に達していた。
「承知している。おれはそのつもりで、契約を受けた。だが、連れは約定に筆を入れていないはず。眠る権利ぐらいあるだろう」
「ガノンの旦那」
その様子を知ってか知らずか、男はそこに抗弁を重ねる。そこに割り込んだのは、遊び人の女だった。
「アタシは問題ないさね。そもそもここに乗り込んだ時点で、そのくらいの制約は覚悟の上さ。いくつか仕込みまでさせてもらっておいて、約定に参じていない? そっちのほうが、話がおかしいよ」
朗々と、堂々と男二人の会話に割り込む女。少々丘陵のある胸を張り、目を輝かせて言い放つ。その言葉には自信と、責任への意識が窺えた。いずれにせよ。ガノンと呼ばれた蛮人の懸念は、やや的外れだったようである。
「……ガラリアがそれで良いのなら、おれも良しとしよう」
いかなる感情が去来したのか? 僅かな間の後に、ガノンは女の言を承諾した。苛立っていた主人も、これには顔を綻ばせかけるが。
「コホン! ともあれ、【シンヂッチの腕輪】は我が家最上の家宝である。それに対してナピュルは、こともあろうに挑戦状を叩き付けてきた! 貴様らが守り切れぬのであれば、全員まとめて、剣の錆としてくれる! 覚悟しておけ!」
「大枚を手にしておいて、使命を果たせぬ。それは戦神にもとる行為。故に、可能な限りのことは為そう」
「怖い怖い。そんなに茹だっていると、肝心な時に視野が狭くなっちまうよ」
感情の波を隠すように、再度不機嫌に染まる主人。そんな彼に、ガノンとガラリアと呼ばれた女は、それぞれの忌憚なき主観をぶつける。しかし直後、主人の顔がにわかに曇った。
「……とは言ったものの。肝心の輩が来ぬではどうにもならぬな。ナピュルは近郊で名うての盗賊。流石にここまでの防御を敷けば」
「さて、ね。備えを固めているのは、向こうも承知の上でしょう。今頃、策を練っていると思うわよ」
ぼやくような言葉に、期待じみた発言を乗せるガラリア。ガノンはといえば、黄金色にけぶる瞳を不機嫌じみて天井へと差し向けている。その天井は、異様なほどに――
「来る」
ガノンが、一言つぶやいた。直後。高々とした、豪奢な天井の一部が砕け散る。そこから躍り出たのは――
「おまっとさんでした。【旋風のナピュル】、ここに参上」
旋風を纏っているのか、その姿は見えず。ただただ強風と、周囲に巻き上がる物質の数々が、敵手の存在を周知するのみ。人語を発する以上、ナピュルが人、もしくは近しい種族であることには相違なかろうが――
「行くぜ」
主人。そしてガノンとガラリア。三人が動かぬのを見たナピュルが、瞬く間に先手を奪う。しかし次の瞬間。
「残念。アタシがここにいる訳をわかってなかったね?」
「うっ!?」
ナピュルの足が止まり、にわかに赤い血がこぼれ落ちる。そこにあったのは目では察知できないほどに細い鋼線。遊び人が、あくどい手業を駆使する際に使う道具だ。ガラリアはそいつを、この部屋に巡らせていたのである。
「ちいっ!」
傷を負ってなお旋風に護られているナピュルが、今度は高く舞い上がる。だがそこに向けて、一直線にガノンが迫った。戦神の加護か、あるいはガラリアの手業か、彼の行く道に鋼線はない。無傷のままに、風へと迫る。
「覚悟」
「そうそう上手くいくと思ってんじゃねえぞぉ?」
空気の乱れをものともせず、旋風を斬り付けんとするガノン。しかしその攻撃は、横合いより阻止された。足技と思しき一撃が、刀身を引っ叩いたのだ。剣の軌道はそらされ、そのまま旋風は逃げ延びる。そして。
「こう腕っこきの護衛がいるんじゃ、らちが明かねえナア。ブツをいただくぜ」
「きゃあっ!?」
言うや否や、風が勢いを増し、鋼線を引き千切る。道を得た旋風は、瞬く間に主人へと迫った。
「ナピュルめ! 我が剣の錆に……」
「おっと。アンタは眼中にねぇんだ。俺のお目当ては……」
「でえっ!?」
剣を抜いて待ち構える主人の頭頂を、旋風は挑発的に飛び越える。そしてそのまま、主人の背後にある硝子箱へと迫った。そこには金に輝く、宝石を嵌めた腕輪が納められていた。
「ナピュル、貴様……!」
「待て!」
ガノンが雷の速さでナピュルを追う。しかし風の方がわずかに速かった。硝子箱が砕かれ、腕輪が消える。直後。
「待てと言われて、待つ人間がどこにいるかね。じゃあなっ!」
「うぐううっ!?」
旋風が突如として勢いを増し、部屋中に荒れ狂った。ガノンは主人を伏せさせざるを得ず、既にガラリアは動けない。誰も動けぬまま、時は過ぎて――
「……貴様らぁ!」
「遅れを取った。その事実だけは痛感している。責任は負う」
風が過ぎ去った時には、荒れに荒れた部屋と、天井に空いた大穴だけが残されていた。