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末路
草木も少なく、通る者も少ない荒野に、夕闇が迫りつつあった。ナバタマスは野伏じみて息を潜め、一人の男を見張り続けていた。その期間、すでに三刻。一つの大きな別れを経た人間として、彼は不退転の決意を固めていた。
「故郷たる西部域を荒らし回った戦犯。大傭兵とまで呼ばれし男。ラーカンツのガノンを、必ずや殺す」
かつて戦友と交わした約定は、ガノンその人の手によって儚く散った。三刻前。戦友ヤマデズバラは絶対勝利の襲撃を目論み、逆に脳天を断ち割られたのだ。
『っ……』
戦友の死という凶事にあたってナバタマスが選んだのは、同時に討たれての擬死であった。否。一度は実際に死んだと言ってもいいだろう。生命神称揚の文言を刻んだ首飾りによる、一度限りの死に戻りだったからだ。戦友を謀った罪を背負いつつも。彼は戦友の無念を晴らすべく、その【死】にすべてを賭したのだ。
ラガダン金貨百という破格の賞金。荒野に生き、荒野に名を馳せし【大傭兵】。ガノンを討ち取ることの価値は、戦友の死をもって、金ではかることが許されぬものへと変わった。たとえ死してでも、殺さなくてはならない。
『おおおっ! よくも……』
『……』
激昂のそぶりを見せた己に対し、ガノンはあくまで冷酷だった。無言のままに、袈裟斬りにて命脈を絶たれる。幸運だったのは、首飾りを破壊されなかったことのみだった。そのことによって、彼は現世に舞い戻れたのだから。
「……」
これまでのいきさつを思い出しながら、彼は携行食を頬張った。旅暮らしの賞金稼ぎに、質の良い食事を取れる時は少ない。ヤマデズバラと、少ない糧食を分け合ったこともある。とある戦役――思えば二人は、そこで初めて命運をともにした――では飢えと乾きのあまり、互いの血を啜ったほどだった。その血の味は、今でも覚えている。己のものと、同じ味だった。
「あの戦役は、酷かったよなあ」
ナバタマスの思考は、過去へと飛ぶ。いかなる縁か小国側の支援に付いた二人の戦は、あまりにも悲惨なものだった。時に大軍に追われ、時に屍肉を喰らい、時に居城を這い出る隙間もなく囲まれた。その中でも一番酸鼻を極めたのは、ごく小勢をもって大軍に抗せざるを得なかった、とある砦での戦いだった。最終的にはわずかな隙間をこじ開けて離脱したのだが、半ば見捨てられた形での脱出行は、多くの犠牲を強いられるものだった。
『なぁに、俺にはコイツがある。ずっと付いてきてくれた、相棒がな』
そんな中でも、ヤマデズバラは飄々としていた。長年一緒だったという手槍をしごきながら、軍勢の一番手に立って敵を屠っていた。無論、時には複数人に囲まれることもあった。だが、飄々とした姿勢は崩さぬままに、全員を返り討ちにしてのけていた。
「そうだ。アイツは強かった。神の加護かどうかは知らないが、この槍とともに生きていた」
戦友の手からむしり取ってきた槍を、ナバタマスは握り締めた。再び、怒りがこみ上げる。怒りのあまりに爪が肉に食い込み、血が溢れていた。邪魔だと思い、彼はそれを舐める。やはり、戦友と同じ味がした。なれば、憎きガノンも。
「同じ味だよなあ……!」
己の口角が上がったことを、彼は自覚した。そうだ。奴とて人間だ。飄々と相棒をしごき、多数さえも返り討ちにしてのけた戦友を、いともあっさりと断ち割った。そんな恐るべき強さを備えている相手だとはいえ、人外ではない。恐らくではあるが、人間だ。ならば。
「殺せない理屈は、ない」
おお、おお。ナバタマスの眼に、炎が灯る。それは非常に、赤々としたものだった。ともすれば、それ一つで居所が割れかねぬほどに。
「さあ、どうやって殺そうか」
ナバタマスは思考を巡らせる。すでに携行食は食し終え、彼は再びガノンを追尾していた。とうに夜闇が荒野を満たしたというのに、ガノンの足は止まらない。奴は休息を取るつもりがないのか。ナバタマスにも、焦燥がよぎる。しかし彼は、その度に己を奮い立たせた。
「俺は戦友と、幾日も奴を追ったのだ。ここまで近くにいながら、たかが数刻で諦める。それほど愚かなことはない」
付かず離れず。ガノンに捉えられぬほどの距離を保ちながら、彼は近接行動を続けた。あくびを必死に押し殺し、神々が座す星々の下を駆け抜ける。時に逸る気持ちを押さえ付け、時に己の疲れを噛み殺し。彼は決死の覚悟で、ガノンを追い回した。その甲斐は、数刻経ってようやく。
「……少し、鈍ったか?」
ナバタマスの目でも捉えられるほどに、ガノンの足並みに乱れが生じた。わずかによろめき、歩みが鈍る。なんとか維持しようとはしているようだ。しかし歴戦の傭兵であり、賞金稼ぎでもあるナバタマスにははっきりとわかった。ガノンに、異変が生じている。
「機会!」
ナバタマスは、ここぞとばかりに歩みを早めた。野伏の襲撃めいて態勢は低く、ギリギリまで捕捉されぬよう、足音は控えて。それ故に、距離はさくりとは縮まらぬ。されど、着実に距離は詰めて……
「釣れた」
「!?」
その低い声は、『背後から』耳を貫いた。バカな。間違いなくガノンは目前で。
「おれがどういう手管を使ったか、知りたそうな顔をしているな。だが、おまえに教えることはない。冥界で、魂朽ち果てるまで後悔しろ」
「〜〜〜ッッッ!!!」
間違いない。己は、ガノンに背後を取られた。確信したナバタマスは、己に強いて一撃をかわしにかかった。受けてはならない。立ち向かってもならない。相手の剣は、いと強き者であったはずの戦友を、一刀両断にせしめたほどのものなのだから!
「ッ!」
「んぐうっ!」
ナバタマスは、幸いだった。彼は己の祝運を運命神に感謝すべきだった。なぜなら、彼の幸運は、二度目だったからだ。首飾りによって死に戻り、わずかな差とはいえども、ガノンの豪剣をかわしてのける。いずれも、彼の腕前だけでは起こせぬ奇跡だった。しからば。
「逃げ……ぬ!」
己によぎった逃走の意志を、ナバタマスは敢えて切り捨てた。ガノンに向けて、戦友が手槍を突き出していく。何故なら。ああ、何故なら。
「なるほど、先の折に殺したはずが、なんの因果か生き延びていたか」
手槍は、いともあっさりとかわされる。されど、ナバタマスとて歴戦の戦士。槍は引かれ、また突き出される。だがガノンは、そのすべてをかわしてのけた。
「っーーー!」
ナバタマスは唸った。叫んだ。何度も槍を突き出し、そしてかわされた。彼は、叫びたかった。なぜ当たらぬ。なぜかすりもせぬ。己が限界まで槍を振るっているのに、なぜこの男は……
「槍には、当たってやるわけにはいかんのでな」
ガノンから、声。男は、冷たくナバタマスを見下ろしていた。それを直視したナバタマスは、動きを固めてしまった。否。動こうにも、動けなくなってしまった。古にあったとされる、【瞳術】に魅入られたが如くに!
「おまえにも理由があるのだろう。だが、おれにも理由があるのだ」
ガノンが再び、剣を振り上げる。よくよく見れば、見事なロアザ鋼の剣だった。ガノンの腕前を持ってすれば、神々からの加護がなくとも。
「う、うおおおおお……ッ!」
ナバタマスは今一度意志を奮わせた。たとえ死ぬにせよ、ただ死ぬるわけにはいかぬ。せめてこの手槍を――
「当たれぬと、言っただろうに」
ガノンからの、冷たい声。脳天に、痛みが走る。ナバタマスは、薄れゆく意識の中で、顔を見上げた。髭の生えた顔。赤色の長髪。虚無の色に染まった瞳が、やけに目に焼き付く。そして最期に、銀色の識別票が目に入った。ああ、ああ。まさか、この男も……。されどその思考は、言葉になる前にかき消えた。こうして、荒野にまた一つ、遺骸が増えた。
「……」
蛇のようにうねる、火噴き山の如き赤髪の男――ガノンは、ナバタマスの死体を見つめていた。己は荒野に、いくつ遺体を積み上げたのか。そんなことを、不意に思う。しかし即座に、感傷を振り切る。そんなものに浸っていては、旅の目的は果たせないからだ。目的の地、タラコザは未だ遠い。今後も、遺体を積み重ねることになるだろう。彼は骸を一瞥すると、再び旅路へと漕ぎ出していった。まずは手始めに、褒美。手管に使った旅人に、礼金をくれてやる必要があった。ガノンの旅は、まだ終わらない――
***
ガノンに挑み、無惨に散ったヤマデズバラとナバタマス。彼らの行いは、無為であったのか。このまま荒野に埋もれ、忘れ去られる行為であったのか。それは、否。断じて否である。ガノンが去って数刻後。その証拠は、荒野の向こうから訪れた。
「先と同じ、断ち割り傷。死体も新しい。やはり、ガノンは近い」
フードの付いた黒色の外套に髪を隠し、わずかに覗くその色は白銀。中肉中背。されどエメラルドグリーンの眼光は鋭く、なんらかの強い意志を秘めていた。外套は擦り切れ、顔には汚れと疲労の色が濃い。長い旅を続けてきたであろうことは、目にも明らかであった。
「ヴァンデサクロはガノンを殺す。ヴァンデサクロは師の敵を討つ」
死体の見分を終え、うわ言のように男は呟く。ガノンがどちらへ向かったか。彼には理解することができた。ガノンが逃亡を果たす前、最後に切り結んだ男の出自。その男と、ガノンの関係。数少ない目撃証言において、ガノンが身に着けていたもの。そこからわかるのは。
「ヴァンデサクロはタラコザを目指す。たとえ道中ガノンに出会えずとも、そこでは必ずガノンに出会う」
おお、おお。男――言葉から察するに、ヴァンデサクロというのか――は、正鵠を射ていた。そして狙い過たず、男は真っ直ぐにガノンが足を向けた方角を目指し始めた。
「ヴァンデサクロは雷神を愛す。愛するが故に、愛されている」
男の周囲に、稲光が走る。次の瞬間、男の姿がかすかに消えた。ああ、両雄は相まみえるのか。その時、いかなる結末が訪れるのか。エメラルドグリーンの眼光が見据えるものは、未だ只人には見えざるものであった。
末路・完
剣の舞に続く
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