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ガノン・ジ・オリジン(ピース・ワン) #2
すでに夜更けだというのに、その天幕は物々しい空気に包まれていた。中を覗けば、そこには幾人ものガラナダ氏族戦士たちが車座に集まっている。彼らはここで、すでに数刻にも渡って激論を交わしていた。
「私は、幾度となく言っています。そのような氏族の掟や意地だけで、憎きペルーザの輩に勝ちを譲るなど認められぬと!」
「然り! ペルーザと我々は不倶戴天、代々の仇敵。奴らに負ければ、先祖と戦神に申し開きが立ちませぬ!」
「うぬらの言い分はわかる! されどガノンは未だ十と四。成人にすらなっておらぬ。掟はともかく、ここであやつを失うわけにはいかぬ。氏族の宝を失うも同義だ」
「その通り! ペルーザには【天を衝くアマリンガ】がいるのだ。いかにガノンとて、ややもすれば二度と戦場に立てなくなるやもしれん! ここはたとえ及ばずとも、氏族の戦士が範を示す時!」
侃々諤々、喧々囂々。ガラナダの男どもが、口角泡を飛ばして語り合う。一方は氏族の意地を論じ、一方は掟とガノンの重要性を論じていた。これでは平行線もむべなるかなである。そしてなにより――
「待てい。まず話を戻そうぞ。此度の発端は、大祭の奉納勝負。相手氏族がペルーザに決まったことにある」
「うむ」
「ああ」
白き髭を蓄えた長老が話を切り、整理を始める。齢八十を越えてなお矍鑠たるその姿に、部族戦士も皆うなずいた。さしもの彼らとて、長老の言葉は無視できぬのだ。
「皆も知っての通り、ペルーザの輩は幾度にも渡って我々の領域を侵犯、それでいて詫びの一言すらもない。戦神の信徒として、恥ずべき者どもである」
「然り!」
「強く罰するべし!」
長老の言に、数人が声を荒げた。いわゆる強硬派の者である。彼らは往々にして、此度の勝負にガノンを出場させるべしと主張していた。
「されど。昨今の情勢は不穏である。氏族間の争いは強く戒められておる。なぜなら戦神に依らざる軟弱者――北の民が、こちらを窺っているからだ。我らラーカンツが割れれば、かの者どもは陰険なる策略をもってこちらの懐柔を試みる。故に、見せかけだけでも強固でなくてはならん」
「然り」
「我らラーカンツ、一枚であるべし」
長老が言葉を続けると、これまた数人がうなずいた。いわゆる穏健派の者である。長老は彼らにうなずいたあと、さらに言葉を続けた。
「それ故、皆が此度の奉納勝負に逸るのは理解する。かの輩に、鉄槌を下す好機である。ワシとて、その気持ちは往々にある」
「おおっ!」
これには、車座の全員が声を揃えた。そう。彼らは内心では一致していた。ペルーザが憎い。機会さえあれば、奴らの鼻を明かしたい。強硬派も穏健派も、その一点では意志を同じくしていた。そして。
「すなわち此度の議論、すべてはガノンに氏族の代表を託すか否か。そこにのみ、焦点がある。良いな」
「然り」
「異議なし」
両派の議論は、すべてが一点に集約されていた。掟を破り、氏族の意地をガノンに託すか。掟を守り、敗北覚悟で成人戦士を送り出すか。いずれの主張にも理があり、故に議論は平行線であった。相手が繰り出してくるであろう代表戦士、【天を衝くアマリンガ】。かの者はあまりに強く、此度に至るまでの過去六年、三度の奉納勝負でいずれも圧倒的な勝利を飾っていた。だからこそ、ガノンに命運を託す声が出たのである。ガノンならば。長老の認めし、戦神の申し子であれば。そんな希望的観測が噴き出すのも、やむなしと言えた。
「よろしい。ならばワシより提案しよう。ミムアよ。うぬが審議官となれ。うぬが選びし者とガノンが争い、勝利した側を代表戦士とする。それならば」
「!」
次の言葉が放たれた瞬間、全戦士の視線が一箇所に集まる。そこには隻腕の、されど筋骨逞しき戦士が座していた。目には光があり、今なお戦士としての気概を残している。この場の誰にも、それがわかった。
「前回の代表戦士……」
「たしかに、ミムアならば……」
両派から口々に声が上がる。場の空気が、一気に収束していく。その空気の先にある隻腕の男は、わずかに時をおいてから口を開いた。
「長老。このミムア、直々の指名をいただき恐悦至極」
まず男は、深々と頭を下げた。隻腕のために少々不格好ではあるが、それでも清冽さは隠せなかった。
「されど。それがしは先年の奉納勝負で片腕を喪い、今は若輩どもの教官役。その目から見ても、ガノンが図抜けているのは明らかなれば」
「ふむ」
長老が髭をしごく。戦士一同は、固唾を呑んだ。ここでミムアがガノンを選ぶのであれば、すべてはそれで決するからだ。しかしここで、隻腕の男は意外な言葉を口にした。
「前回戦士となったこの身が、奉納勝負のなんたるかをわからせるべきでありましょう」
「ほう……」
長老も、皆も、驚きの顔を示す。一線を退いたはずの男が、ガノンと干戈を交えるとのたまった。彼らにとって、全くの想定外である。
「長老、ミムアは増長しております。何卒、制止を」
慌てた穏健派から、声が響く。無理はない。ここで提案が通ってしまえば、ガノンはミムアを倒すだけで代表となってしまう。有望株を再び喪うのは、彼ら、そしてガラリア氏族にとって大きな損失だった。
「止める必要はない! 手続きが取れるのならば、最上ではないか!」
強硬派からも声が飛ぶ。彼らもまた、ガノンを送り出すことが特例に当たる事実は承知していた。しかしミムアの提案により、その特例を突破できる道が開けたのだ。彼らにとって、針の穴を通すほどの好機であった。
「長老、ご決断を」
「なりません、長老!」
両派に挟まれ、長老は瞑目する。その行為は、しばしに渡って続いた。やがて遠くで、山犬の遠吠えが響く。それが一息ついた時、長老はゆっくりと目を開いた。
「……ガノンを出さざるとしても。【天を衝くアマリンガ】、そして憎きペルーザの下風に立たされることは必定」
「……」
「……」
両派が、沈黙する。そう。この場の全員が、【天を衝くアマリンガ】の強さを承知していた。前回の奉納勝負、彼はそのあまりの強さで相手戦士の顔を潰してのけた。並大抵の者では、到底敵わない。前に立つことさえ、侮辱となってしまう。
「故に、ガノンを試す。ミムア、最悪の場合は死しても構わぬ。かの者に、試練を」
「はっ!」
ミムアが再び、頭を下げる。今度ばかりは、両派も頷かざるを得なかった。長老の決裁は、いかなる合議よりも勝る。こうして、ガノンの運命は一つの試練へと委ねられた。
***
翌朝。ガノンは教官たるミムアに森へと呼び出されていた。いかに大人の狩りに混じることを許された彼といえども、若人たちの教官たるミムアは絶対の存在である。その男から呼び出しを受けた以上、ガノンに応じぬ理由はなかった。
「教官どの。何用であるか」
ガノンは、背を向けたままの教官に尋ねた。しかし教官は、背を向けたままに言葉を紡ぐ。
「【天を衝くアマリンガ】を、知っているか」
「無論。おれ以上の巨体を持つ、ペルーザの英雄戦士。此度の大祭で、我が氏族に立ちはだかる者」
「よろしい」
教官の言葉は、淡々としたものだった。ガノンはいよいよ、不審を抱く。それでも教官は、言葉を続けた。隻腕の男は、何処を見ているのか。ガノンには、わからなかった。
「汝を、大祭の代表戦士にせんとする者たちがいる」
「!」
ガノンは、思わず足を止めてしまった。鍛錬が、戦神への崇敬が実る時が来た。彼の温めてきた想いに、光明が差した。心の底から、そう思った。されど。
「ならぬ」
教官の言葉は、厳しいものだった。
「なにが悲しくて、未だ我が手を離れざる者を死線に送り出さねばならぬ。卓越したるとはいえ、成人、真の氏族戦士ではあらざる者ぞ。氏族はその誇りと意地故に、もっと大きなものを捨て去ろうとしている」
「……」
ガノンの背筋に、走るものがあった。そうだ。己は未だ、氏族において子どもの扱いなのだ。あまりに特別視をされていたものだから、その事実すら失念しかけていた。思い上がりに、冷や水を浴びせられた。教官の言葉には、正しさがあった。
「故にそれがしは、汝を試すことにした。それがしの下す試練を越え、成人に相応たるを証明せよ。さすれば、それがしも汝を認めよう」
教官が、己を見る。その目には、一筋の涙が流れていた。同時に、無数の音が森に響く。木を駆け上る音が、ガノンの耳を打つ。ガノンは、背にはめていた木の棒を抜いた。若人どもに与えられる、唯一の武具であった。
「かの【天を衝くアマリンガ】は、汝を上回る巨体。さらにそれを活かし、雷霆の如き打ち込みを振り下ろす。高所からの三十人、見事さばいてみせよ」
それだけ述べると、教官もまた近くの木へと駆けて行った。
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