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遊興の女、奔る #6(完)

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「こ、これは一体」
「動くんじゃないよ? わずかでもアタシを襲おうとかしたら。いや、大声を上げようとでもしたら。その瞬間にズブリだ」

 まだ灯が点いている寝室に、男と女の声が交錯する。恐怖によるものか、エトワーニュの顔は若干引きつったそれになっていた。

「お、女。いや、ガラリアよ。おまえは、何者」
「答える義理が、あると思うかい? いや、これだけは伝えないと駄目だね。アンタが娼婦殺しの罪を押し付けた蛮人。女連れって、聞かなかったのかい?」
「ま、まさか。おまえは」
「そのまさか、だよ。蛮人の連れさ」

 もはやガラリアの口調は素に戻っていた。否。ことここに至りて、本性を伏せる必要はどこにもなかった。

「余を、その暗器にて脅そうてか」
「ご明察。アンタも察しは付いてるだろうが、今回のからくり、アタシがこの耳でしかと聞いた。世間に流されたくなければ」
「ぐ、ぬ……」

 一瞬冷静を装おうとしたエトワーニュ。だが、わずかに話したのみですぐに目を白黒とさせた。異様に小さい目が、やたらとしばたたいている。己の権威が通用しない相手に、恐れを抱いたのだ。

「……願いとは、なんだ」
「アンタが罪をなすり付けた、蛮人の解放。それだけだよ」

 絞り出すように放たれたエトワーニュの言葉を、ガラリアは手短に切って捨てた。それ以外の選択肢はない。暗器を持つ手に力を込めて、彼女はその事実を指し示した。

「……余が許そうとも、この街が」
「それがどうした。アンタの許し一つで、アイツは罪人ではなくなる。それを無視するほど、アンタの権威はおざなりなのかい?」
「くっ……!」

 苦し紛れに放った詭弁も、冷徹なる事実をもって切り伏せられる。こうなってはエトワーニュも、遂に首を縦に振らざるを得なかった。

「わかった……。即刻とまではいかずとも、今宵のうちにことが済むように取り計らってやる。夜が明ける前に、どこなりとでも行くが良い」
「できるんだね」
「余の権威を舐めるでないぞ。なんとしてでも、果たしてみせる」
「わかったよ」

 ガラリアは暗器を突き付けたまま、エトワーニュを座らせた。言質こそは取ったが、あくまで口約束である。自由の身にしたあとに警邏を差し向けられ、襲われたとしても。それは彼女の落ち度となるのだ。『むしり取る時には、皮も残すな』。彼女が、師から受けた教えであった。

「解放してくれるのではないのか」
「甘いね。アンタが余計な手筈を打たないよう、見張らせてもらうよ」
「くっ……」

 唸るエトワーニュを尻目に、ガラリアはあくまで慎重に振る舞った。まずは酒場の主人を通じて、先刻帰されたはずの警邏の長が内密に呼び寄せられる。通された長は、驚きの顔を隠せなかったものの。

「ご下命とあらば」

 エトワーニュの置かれた状況を知ると、即座に来た道を戻っていった。ガラリアは、男に悟られぬように固唾をのむ。己の身体を二つに分けることはできない。すなわち、警邏側の動きを掣肘することは不可能である。エトワーニュを見捨て、酒場ごとガラリアを制圧する。警邏の長が、そちらを選んでしまえば。カチ、カチ。刻時機が脈打つ音が、彼女にとっては、異常なまでに煩わしかった。半刻でさえもが、永遠にさえ感じられた。
 そして、一刻ほど経った頃。扉を叩く音が、彼女の耳へと飛び込んだ。

「仰せの通りに、蛮人を連れて来ました」
「よし、通せ」

 ゆっくりと、扉が開く。ガラリアは再び、つばを飲む。はたして、視線の先には。

「おれの命数は、まだ尽きるべき時ではなかったようだな」

 容貌魁偉という言葉では足りぬほどの、筋肉にくに覆われた巨魁。
 よく陽に灼かれた、赤銅色の肉体。
 大ぶりという言葉では表し切れぬほどの、顔の構成物。
 蛇の如くうねる、火噴き山めいた赤髪。
 そう。数日牢に繋がれた程度では陰らぬ、誇りも気高き蛮人がそこに在った。

「……交渉成立だね」
「その通りだ。エトワーニュ様を」
「もちろん一、二の」
「三」

 駆け引きにならぬよう、数をもって呼吸を合わせて。両者はほとんど同時に、拘束していた相手を解放した。互いが互いの、待ち人の元へと辿り着く。即座に、街を統べる側の者どもが声を上げた。

「さあ、約定は果たされた。この上は疾くと去れ。どこなりとでも行け。この街には、二度と姿を見せるな」
「ああ、もちろんそうするさね」
「同じくだ。犯してもない罪を押し付けるような卑劣に、戦神はその威光を示しはしない。いずれは定めし罰が下る。その折に、報いを与えに来てやろう」

 捨て台詞めいたエトワーニュの叫びに、二人は堂々と応じた。それは偽らざる心境であり、明確な宣言でもあった。

「行くぞ。もはやこの街に長居する意味はない」

 ガノンがガラリアの手を引き、エトワーニュの前に立つ。彼の迫力に圧されたのだろう。その行く道は、するりと開いた。男としての格の差が、滲み出た瞬間であった。ガノンは振り向くことなく突き進む。様子を見ていた給仕の群れも、その先に立つ酒場の主人さえも。その圧でもって道を開かせた。主人はなにやら言いたげだったが、ガノンが止まることはない。必然、ガラリアにも言い残せる言葉はなかった。やがて、二人の身体は外に出る。街は未だ、夜闇に包まれてはいたのだが。

「……」

 二人の先に、無言で佇む男がいた。その男を、ガラリアは知っていた。身なりの良い、優男。瞳の色が見えないほどに目が細い。街を統べる者の三男坊。ガラリアを、手助けした男。エトワーニュの、弟。コズニック、その人であった。

「幸運だったねえ」
「そうだね。アンタにも、運命神にも感謝を捧げることにするよ」
「ありがとう。さて。そこまで言ってくれるのなら、ボクの言うことについても」

 目を細めたままに、コズニックはのたまう。ガラリアから見れば、笑っているようにさえも見える。だが、その真意はわからなかった。ともかく彼女は、首を横に振る。彼の言いたいことはわかるが、そうもいかないのだ。

「そうしたいのはやまやまだけどね。一応、これでも所払いの身なんでね。とっとと去らないと、なにを言われることやら」
「だろうね。誰が入れ知恵したかは知らないけど、腐っても兄上か。しょうがない。キミたちを引き入れるのは、諦めよう」
「そうしておくれ」

 コズニックが、道を開けるように脇へと退いた。ガノンはわずかに首を折り曲げたのち、開けた道を突き進む。止まるつもりは、毛頭なかった。彼らは結局、振り返ることもなく街を去っていった。

「惜しいなあ。本当に、惜しい。恩を売って引き込めれば、この街の未来を変えられたかもしれないのに」

 その姿を見送りながら、三男坊はぼやく。とはいえ、すでに未練は絶っていた。兄が己の罪を蛮人になすりつけるも、脅迫に屈して未遂に終わった。この事実を、いかに己の有利に変えるか。その方向にのみ、その頭脳を稼働させ始めていたからだ。しかし。
 コズニックがこの都市まちに感じていたほの暗い未来。そして、ガノンが言い残した報いの宣言。
 幾年かの時を経てその二つは、現実のものへと変わるのだった。

遊興の女、奔る・完

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南雲麗
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