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御恩返し #2

<#1>

 二刻後。ダーシアは帳面を手に、満面の笑みを浮かべていた。その空気は、幹部たちにも伝播していた。天幕全体の空気が、柔らかいものに変わっている。さもありなん。レフザナの差し出した商品の目録が、尽く自軍の欠けたるものを埋める品ばかりだったからである。

「驚きましたぞ。まさかここまで我軍の需要に見合った品が揃うとは」
「そりゃ揃え……こほん。おお、それならまことに重畳でございます。こちらとしても、持ち来たった甲斐があった」

 一瞬何事か言いかけた様子のレフザナだったが、すぐに表情と言葉を商人のそれに戻す。幸いにして幹部どもには、その変化は見抜けなかった。しかし、【紅き牙の傭兵団】首領補佐官。かつてはいずこかの高貴に仕え、その家の一切を切り盛りしていた男、ダーシアの目からは逃れられなかった。

「……ところで」
「おお。なんとなされたかダーシアどの」
「レフザナどの、ご貴殿、どうやら我らが首領とやぶさかでもない関係のご様子。差し支えなければ、いかようなかかわりかご教授くださらぬか」
「……!」

 おお、見よ。今こそレフザナはその悪人じみた顔を大きく歪ませた。己の迂闊を呪っているのか? それとも、ダーシアの喝破に渋面を浮かべているのか? 余人にはその感情の機微はわかり難い。されど、レフザナは初めて、大きな動揺を見せた。幹部どもにも、再び緊張が走る。表情が強張る。せっかくの物資が、また消えてしまいかねない。そうなれば、軍勢の崩壊さえも。

「どうされた。話し難いことがあろうはずもない」
「む、無論。されど、我が恥を晒すようなものでしてな」
「なるほど。我が首領もなにやら言っておりましたな。ですが今回における破格の振る舞い、我らにおいては疑いとさえなり得るもの。ここは敢えて恥を明かし、それをもって破格の信用を得るのがよろしいかと」
「……」

 注目を続ける幹部やダーシアをよそに、レフザナはしばしの黙考に入った。己の矜持と、ガノンの傭兵団、ひいては進展著しいタガンダ帝国からの信用。どちらが、より価値のあるものか。しかしながら、その回答はあまりにも明白で。

「いいでしょう。我が恥と、その恥をすすぐために行った行動のすべて。ここに白日の元と致しましょう。無用な隠し立てを試みたこと、謝罪致す」

 彼は、潔く全体に向けて頭を下げた。禿げ上がったその頭皮が、光さえも帯びる。そしてダーシアに視線を据え、口を開いた。幹部たちもまた、商人に向けて視線を据える。それでもレフザナは、動じなかった。その口ぶりに、信用への覚悟が滲み出す。

「あれはもう、幾年前のことだったでしょうか。わたくしは……」

***

「……行き倒れか」

 いつ何時たりとも、変わらぬ姿を見せる荒野にて。ガノンはいと大きな体を丸め、その黄金色にけぶる瞳をもって、一人の人物を見ていた。つるりと禿げ上がった頭が天を向いており、その表情は見えない。手荷物の類なども、見当たらなかった。意識はあるのかと、確認を試みようとした。その瞬間。

「……文句が、あるのか」

 禿げ頭が、声を漏らした。どうやら、息と意識はあるようだ。低い声色からして、男のようでもある。ガノンの頭脳に、幾つかの情報が集まってきた。ガノンは、周囲を見る。やはり人間はいない。彼は、意を決して声を掛けた。ここで見捨てるのは、あまりにも寝覚めが悪い。そして、彼が信ずる神に対して、あまりにももとる行為であった。

「文句はない。だが疑問はある」

 ガノンは、禿頭とくとうに向けて手を差し伸べた。痩せ細った手が、彼の手を掴む。彼は丸太じみた腕の筋肉にくに力を入れ、やすやすと行き倒れを助け起こした。顔の彫りが深く、髭を蓄えた男性。率直に言えば、善人に見える面ではなかった。その頬は、痩せこけている。食事を摂れていないのだろう。されどその目からは、未だに強い意志が垣間見えた。

「疑問か。いいだろう」

 選択を、誤ったか。わずかに邪念を抱いたガノンをよそに、行き倒れはふらふらと胡座をかいた。その様子からするに、立てなくなっていただけなのか。とにもかくにも、ガノンは問うた。

「何故に、倒れていた。鳥獣にでも、身を捧げる腹積もりだったか」
「生憎だったな。そのつもりはない。だが、腹が減っていた。四肢に力が入らなかった。今だって、どうにかこうにか動いている算段だ」
「ふむ。頭に草木の生えた聖人もどきではないようだな。ではなんとした」
「こんなナリでも、元はガリハン商人よ。だが組合から追われ、放逐された」
「ほう」

 ここでガノンは、珍しくもその目を大きくひん剥いた。ガリハンといえば、ヴァレチモア大陸でも屈指の商都である。その組合にいたともなれば、それなりの実績を上げていたに相違ない。だが、それを追われたとはこれいかに。

「……これを食え。商人の肥えた舌には合わぬかもしれぬが、腹の足しにはなるだろう」

 ガノンは腰の袋を探り、わずかに残った干し肉を差し出した。およそ文明人、それも都市住まいの商人の舌には合い難いもの。だが、よほど腹が減っていたのだろう。禿頭の商人は、一息に干し肉をかっ喰らってしまった。そして、詰まらせたのか胸を叩き。

「み、水はある、かい?」
「荒野で水は貴重だが……いいだろう」

 ガノンが革袋を差し出すと、こちらもグビグビと飲んでいってしまった。やがて商人は息を吐き。

「……ふう。死に掛けから救われたと思ったら、別の方向性で死ぬところだった。済まない。この恩義は必ず返す」
「構わん。覚えておけるかすらわからんからな」
「ふむ。だが、これでも俺は商人なのでな。必ずや、だ」
「わかった。いずれ再会した折に」

 ガノンは商人に背を向け、立ち去ろうとした。飲み水がなくなった以上、一刻も早く、近場の街を探さねばならない。しかしそこに向け、掛かる声があった。

「おいおいおいおい。旦那さんよ。ちょいと出会いついでに、話を聞いちゃくれないかい。俺を助けちゃくれないかい」
「なんだ。用は済んだのではないのか」
「むしろ始まったばかりだろう。急場を凌げただけで、まだまだ危地には変わりないんだ。俺が不憫だと思うなら、アンタの行き先まで連れてってくれ」
「むぅ……」

 ガノンは唸った。いかに信条にもとるとはいえ、とんでもない拾い物をしてしまった。しかしながら、ここで置き去りにするのも寝覚めが悪い。戦神の教えに、もとる行為やもしれぬ。そう思い直すと、彼は商人に声を掛けた。

「おれは近場の街を探す。おまえに、その手の知識はあるか。あるならば、おれは報酬を払う」
「おお、おお。それならまっこと十分だ。南に三刻……そう、まるっと逆向きだ。その向きで三刻も歩けば、それなりの街がある。俺が飲み干した、水も得られるだろう。どうだ、報酬はいくらだ?」
「ポメダ銀貨で十枚だな。感謝する」

 問いに応じたガノンは、そのまま商人に向けて腰を落とした。しかし商人からの反応はない。ガノンは小さく息を吐くと、努めていかめしく言った。

「足腰が弱っているのだろう? 此度の礼というわけではないが、報酬とは別に、おまえを街まで背負ってやる。おれを導け」

#3へ続く

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南雲麗
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