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悪夢払い #2
「さて。王相手には、ああのたまったが」
一刻後。近習の姿は、自室にあった。側には一人、女が侍っている。本来であれば、近習如きが側女を侍らすなど不可能である。だが、ガノンは敢えてウリュバスにそれを許していた。
「とはいえ、策は実ったのでしょう?」
側女が、ウリュバスに微笑みかける。黒髪長髪の、女であった。仕草はたおやかで、柳のように細い。
「ああ。君のおかげで、僕の策は実った」
ウリュバスが、しなだれかかる側女を撫でる。側女はうっとりと、目を細めた。
「悪い人。王の憔悴を裏に広めて、暗殺者の手を一箇所に集めようだなんて」
「そうでもしなければ、我が王は動かないよ。あの性格で、あの強さだ。なにが起きようと、鷹揚に受け止めてしまう。危機感を、持たせないと」
ウリュバスは、眉目秀麗たる顔を歪ませた。そこには、明確な悪意が伴っている。それこそが、彼の持つ『歪み』であった。
「なるほど。で、目論み通り王は悪夢払いを命じた訳だけど。策はあるの?」
「あるね。むしろ無い状態で、コトを起こすと思っていたのかい?」
「だろうね。アンタは二手も三手も先を読む。策を作る。そうじゃなくちゃ、アタシはここに居ないわよ」
今度は側女が、不敵な笑みを浮かべる。口ぶりから見るに、この女もまた、ただの側女ではないようだ。
「ふふふ。そんな君だからこそ、僕は傍に置いている。そして使う。早速だけど、次の策を……!?」
流れるように次の策を開陳しようとしたウリュバス。されどその唇は、側女の人差し指によって封じられた。
「その前に。アタシはまだ、褒美を貰ってないわよ?」
男に向けて、妖艶な笑み。しかしウリュバスにはわかる。その奥は、笑っていない。同類が故に、彼にはわかる。物腰の奥に、煮え滾るものを秘めているからこそ。
「良いだろう」
ウリュバスは人差し指を除ける。そしてその奥にあった唇を啄んだ。女から声が漏れ、やがて水音が響く。そして秘め事の声が、部屋を満たしたのだった。
「……僕の煮え滾る思い、これを使う」
たっぷり数刻後。ウリュバスは、寝物語めいて口を開いた。両者ともに、生まれたままの姿である。ウリュバスは細身ながらに筋肉をしっかり付けており、側女は一見細く見えるが、程よくメリハリの付いた身体であった。二人は寝所をともにし、心赴くままに言葉を並べていた。
「ふうん。つまり?」
「僕はあの王を死ぬほど殺したい。これは事実だ。この噂を流布すれば、どこかしらから手が上がると思うんだよ」
「なるほど? 『自分があの王を呪っている。近習のあなたなら、ガノンも油断するであろう』。みたいな?」
「そういうことだね」
女の疑問に答えてやるウリュバス。しかしこの近習、さらりと恐ろしいことを口にしなかったであろうか? 王――すなわちガノンを殺したいなどとは、口が裂けても言えぬはずの身分である。だというのに。
「そんなお手軽なものかしら」
「その懸念はもっともだね。裏に棲まう者は大抵、用心深い。だから、普通はこんな餌には釣られない」
「じゃあダメじゃない」
女は口を尖らせた。さもありなん。せっかくの計略が実らぬのでは、女も動く意味がないのだ。意味がなければ、報酬もない。すなわち、先刻までの悦楽は得られないのだ。
「なに。すぐに釣ろうとは思っちゃいないさ。二十日。三十日。いや、もっと掛けても良い。真実味を、徐々に吊り上げていく」
「そんなに掛けたら、王が業を煮やさないかしら」
「煮やさないように、説明するさ。なにも王だって、僕を行方知れずの矢玉にしたい訳じゃないはずだ。方策を上げなきゃ、信用を欠く」
「へえ……」
側女が、感嘆じみた声を上げる。その周到さに、ある意味呆れているようでもあった。
「うん。僕の目標は、王が健在剛健なうちに、王を歯牙にかけることだ。だからこそ、いつまでも憔悴しててもらっちゃ困る。やり遂げるさ」
「……アンタって、ホントに陰険ね」
「冗談じゃない。僕は敵を減らしたいだけだよ。王を討ち取り得る敵なら、なおさらにね」
側女の心底嫌そうな発言にも、男は動じない。無論、彼女とてそのくらいは読めていた。それでもなお。言わなければ収まらなかったのだ。口ぶりから窺える付き合いの長さと深さが、そうさせるのであろうか? 本当のところは、誰にもわからなかった。
「まあ、いいわ。それならアタシも、アンタを心底振り向かせることを目指せば良いわけだし」
「これは意外だ。まさかこの僕に、そこまでお熱だったとは」
「なに寝ぼけたこと言ってるのよ」
ウリュバスの減らず口を前にして、遂に側女は舌鋒を鋭いものにした。これにはウリュバスも、口をあんぐりと開けた。長い付き合いの中で、ここまで言われたことのほうが稀だったのだ。
「たしかに。お互い目的があって、腐れ縁をやってるわよ? だけどそれだけで、アタシが身体を許すと思って? そもそも側女なんて……」
迂闊な一言から始まってしまった、側女による説教。さしものウリュバスも、これには黙って甘受せざるを得なかった。
***
「それで、おまえはじっくりとあぶり出す算段を整えたというのか」
「はい。少々時間は掛かりますが、いざという時までお側に仕えることは可能でございます」
「……ふむ」
翌朝。ウリュバスから【悪夢払い】の策を聞かされたガノンは、玉座にて、わずかに考えにふけってしまった。されど、ウリュバスの表情に動揺はない。少々疲れが見え隠れしないわけでもないが、一見するにその眉目秀麗たる顔に変化はなかった。
「つまりこうか。おまえはおれに、悪夢を耐えろと。そう言うわけだな?」
「つまる所は、その通りでございます。王ならば、今しばらくは持ち堪えられましょう」
「言ってくれるわ」
ガノンは、まんざらでもないという顔を見せた。たしかに表情だけ見ていれば、憔悴こそすれども不敵さは失われていない。肉体のハリも、まだまだ頑健そうに見える。ウリュバスがのたまった通り、今しばらくはおろか、百日、二百日でも保ちそうな身体つきと顔つきであった。なんたる心身の壮健さであろうか。これが戦神の【使徒】たるということか。ウリュバスは改めて、自身が相対する者の恐ろしさを噛み締めた。
「まあいい。おまえはおれに対して、そのような無粋な殺し方はしない。それをわかっているからこそ、おれもこの件を預けられる」
「お見通しでございましたか」
ガノンの言に、ウリュバスは慇懃に頭を下げた。あいも変わらずの態度は、文武百官の立腹を招きかねぬもの。されどこの場は、二人だけの場となっていた。なにしろ未だ、百官の登城前であるのだから。要はこの件は内密であり、ウリュバスに下されしは密命であった。
「見通すもなにもだ。おまえの野心は、おれをその剣で縫い留めることだろう? しかも、『強いおれ』を、だ」
「その通りでございます」
「だったら結局話は早い。おまえはなんとしてでも、その陰気な呪い手を始末しなければならない。そうしなければ、おれが弱るばかりだからな」
「まことに、その通りで」
ウリュバスは、再び頭を下げた。今度は慇懃ではない。心底からのものだ。同時に彼は、この関係に感謝もしていた。ガノンは、ウリュバスの野心を認めている。認めた上で、自身の最も重要な配下に据えている。寝首を掻くことさえも、叶えることができ得る位置だ。そんなガノンの懐に、ウリュバスは幾度となく心服しかけた。しかしその度に野心をくゆらせ、こうして向き合って来た。綱渡りめいた、奇妙な関係。されどこの仲は、二人の奇妙な信頼があってこそ、成立するものだった。
「だったら、やれ」
王が、気怠げに命じた。これ以上のやり取りは望まぬと、気配がそう語っていた。
「承知」
近習が傅き、頭を下げた。言外の意まで汲み取った、見事な一礼であった。
こうして二人は、公の関係へと切り替わる。東部域の覇王と、近習たる天才剣士。ヌルバダの王と、その護衛。百官に見せるその姿もまた、真実の一つであった。
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