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奪回の姫君 #2
その提案は、あまりにも唐突だった。
『会ったばかりという無礼を承知で申し上げます。私に手を貸してください。報酬は、この私自身で結構です』
淑女の一礼をもって執り行われたあんまりにもな言葉に、男はまず、黄金色をした瞳を見張った。続けて、姫君の目を真っ直ぐに見つめた。そして最後に、一つ尋ねた。
「本気か」
「本気です」
姫君からの言葉に、男は重くうなずいた。されど、続けて。
「覚えているかは知らんが、おれは言ったぞ。『おまえを取って食うわけではない』。わかっているのか」
「わかっています。ですが、私のすべてを捧げても良い。私が託したいのは、それほどのことなのです」
「……」
男は考えた。しばしの間、考えた。しかし、そののち。
「話を聞かせろ。それから考える。おれはラーカンツのガノンだ。ガノン、と呼べ」
勝手に自己紹介を済ませると、ガノンはどっかと座り込んだ。
***
「わたくしの名は、ユメユラと申します」
少しして、姫君は少しずつ身の上を語り始めた。仕方なくであろうか、彼女も荒野に腰を下ろしている。とはいえ、ガノンのようにあぐらではない。足を閉じ、淑女らしい振る舞いを崩さぬよう、荒野に座していた。ちびちびと、ガノンより渡された水を飲んでいる。
「ユメユラ、か」
「はい。わたくしはここより幾分か離れた場所にある、とある領地。その主の、娘でした」
「ふむ。続けろ」
ガノンの言葉は、端的にして短い。されど、ユメユラは言われるがままに振る舞った。自身が拒絶されてはいないことが、見て取れたからである。彼女はそのまま、己が荒野を歩いていたいきさつを打ち明けた。
「事件は、昨晩に発生しました。前々から目を付けられていたのかさえわかりません。その男は、突然に現れたのです」
「男、か」
「はい。男は自身をマリルドと名乗り、【闇の尖兵】であると称しました。いかなる術によってか宙に浮かび、初手において蝙蝠めいたなにかを、城外に放ったのです。すると」
そこから先は、凄惨な顛末だった。蝙蝠めいたなにかは、まず守衛の兵士たちを襲った。兵士は無論抵抗したが、複数人が牙に肌を噛まれてしまった。
『わたしを、即刻迎撃するべきでしたなあ。これにてもはや、この城は落ち申した』
マリルドが、大言壮語じみた断言を行う。無論、姫も家族も訝しんだ。手勢の数人が蝙蝠に噛まれた程度で、なにが勝利か。その程度で落ちるほど――
『ぎゃっ!』
『ぐわっ! なにをする!?』
しかし城外で起きたのは、盛大な同士討ちだった。しかも、蝙蝠に噛まれた側が強かった。不可思議なことに、常よりも膂力が増していたのだ。そして。
『おお……マリルド様の御為に』
討たれた側、本来の守衛側にも異変が起こる。彼らもまた肉を噛まれ、マリルドの手下へと成り下がってしまったのだ。これでは城の守備力が成り立たない。瞬く間に、守衛たちは城内へと押し入ってしまった。
『爺! 妻とユメユラを逃がせ!』
『はっ!』
領主は動く。落城だけは防ぐため、本来味方である兵士に牙を剥く決意を固めた。だが。
『妻君と姫君はわたしとしても欲しゅうございますが……殿方はどうとしてでも構いませんな』
マリルドが宙から手をかざす。それだけで領主は金縛りめいて動けなくなり、手の動きに合わせてマリルドへと引き寄せられる。そして!
『領主殿、おさらばでございます』
『ぐううっ!?』
なんたること! そのまま引き寄せた領主を、爪を伸ばして串刺しにせしめたのだ!
『〜〜〜!?』
さらに悲運は重なった。騒ぎに気付いて表に出て来てしまった妻君が、この事態を目の当たりにしてしまったのだ! 常軌を逸した状況に、妻君はあえなく失神! 変わりゆく事態に、爺やは判断を迫られ……
『奥様! 申し訳ありません!』
倒れた妻君には目もくれず、彼は駆け出した。すべては一つでも希望を残すため。倒れた妻君は敢えて敵手に託し、姫君を救う賭けに打って出たのだ。
『くふふっ……どうやらすべてを一息に手に入れられそうにはありませんなあ。まあ良いでしょう。同志たちとの連絡もある。あとで角馬でも放ち、追い回すとしますか』
その姿を見送りつつ、マリルドは策を巡らす。彼は比較的状況に満足していた。城と妻君は手中に落ち、残る姫君は老人の手。急くことなく振る舞い、住民もその手に落とせば。
『すべては、我が手に。くふ、くふふふふっ……』
おお、見るが良い。マリルドが、気味の悪い笑い声を上げ始めた。彼はそのまま滑空で城へと飛び込む。すでに各所は、洗脳された兵士たちによって制圧されつつあった。彼はそのただ中を、置き去りにされた妻君に向かって歩いて行く。
こうしてこの夜、一つの城が【闇】の手に落ちたのだった。
***
「爺やに救われたわたしは、彼の機転によって間一髪城を抜け出すことができました。それから角馬に追われて……そして、今に至ります」
「……」
一通りのいきさつを語り終えたユメユラに、ガノンは黄金色の瞳を差し向けた。そして、一言。
「【闇の尖兵】、か」
「はい。マリルドという男は、たしかにそう名乗りました」
「……多い、な」
「はい?」
「いや、こちらの話だ」
ガノンは、姫君の追求をはぐらかした。彼は、【闇】の出現を少々訝しんでいた。【闇の伝道師】を自称するパラウスと邂逅してからというもの、妙に【闇】とかかわる事件が増えてきている。パラウスがなにかを目論んでいるのか? それとも、すべては偶発の事象なのか? それらについて知るには、まだまだ情報が不足していた。
「で。奴は蝙蝠めいたものを操り、他者の肉を噛むことによって【闇】の手先へと変貌させる。そういうことだな?」
「はい……」
姫君は伏し目がちに、ガノンの疑問を肯定した。しかし姫君とて、ほとんどは爺やからの伝え聞きである。どこまで正確か、わかったものではない。ともあれ、情報の伝達は重要だった。
「……わかった。おまえの願いは、領地の奪回だったな」
「はい」
「つまり、マリルドとやらを討ち取れ。そう言いたいわけだな」
「その通りです」
ガノンからの疑問に、姫君は二度うなずいた。それを見て取ったあと。ガノンは、おもむろに宣言した。
「すべてを捧げられてもおれは困るが、その件については引き受けよう。ここでおれがおまえを見捨てても、おまえは困り果てるだけ。弱者を救うは、強者の務め。戦神にかなう行いだ」
「…………ありがとうございます!」
おお、見よ。姫君は、五体投地の勢いでガノンにひれ伏した。これにはガノンも、強く『やめろ』と言わざるを得なかった。なにはともあれ。こうして、たった二人の奪回軍は編成されたのだった。
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