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奪回の姫君 #3

<#1> <#2>

「さて。正直に言えば、おれにできる策などはない」
「わたしも同様でございます。戦ごとについては、無学ですので……」

 少しして。二人は冷静に今後について組み立て始めた。しかしながらわかったことは、両者がともに、策を練られるほどの人間ではないという事実だった。故にガノンは、簡潔にして残酷な提案をユメユラに行うこととなる。

「真っ直ぐに行って、突き破る。それ以外に、手はあるまい」
「え……」

 はたして、ユメユラの顔には狼狽が見えた。さもありなん。己に武芸の得手がないのに、無為無策で領地に突っ込むと言われたのだ。いかにガノンが蛮人で、強者だとしても。そんな真似をすれば洗脳兵に。

「お、お言葉ですが。蝙蝠に噛まれた兵士は、いかなる術によりてか常人よりも強靭になるとのこと。あなた様が、いかに強くとも……」
「構わん。その時は冥界神の御下に赴くまで。それともなにか。おまえは怯懦に打ち震えながら、泣き寝入りをするのか」
「そのつもりでは……」
「ならば、答えは二つに一つだ。やるか、やらざるか。それだけだ」

 ガノンは、ユメユラの抗弁を切って捨てた。彼とて、いかな勝算もなしにこの提案をしたわけではない。まずガノンは、戦神の【使徒】である。ガノンはこれまでこの力を振るい、幾つもの敵を討ち倒してきた。加えてこれまで、幾つかの【闇】との戦闘もこなしている。ユメユラを護り切るという条件はついてしまうが、決して無謀というわけでもなかった。

「……やります。このまま泣き寝入りをしたとて、打てる手はございません。他を頼って討伐を組むのも一手ですが、その頃には憎きあの男も態勢を整えているでしょう。そうなる前に」

 しばしの逡巡を経て、ユメユラが顔を上げる。その美しい眼差しに、覚悟という名の光が灯っていた。それを見て、ガノンは大きくうなずいた。

「良かろう。だがおまえを連れての急ぎ足は難しい。故に、恐らく一度は角馬と【闇】の傀儡たる兵士に襲われる。覚悟は」
「できました」

 ガノンの脅し――現実の提起――にも、姫君は動じない。そこまで確認して、ようやくガノンは立ち上がった。

「よし。ならば征くぞ。案内だけが、おまえの仕事だ。あとはおれが、成し遂げる」
「お願い、します」

 立ち上がった男に、姫君は深い一礼を捧げたのだった。

***

 そして再び、荒野に夜が訪れた。しかしながら、二人の足は止まっていなかった。ガノンは、あいも変わらず大股で突き進んでいた。姫君も、疲労の色は隠せぬまでも、足を止めてはいなかった。されど。ああ、されど。必然として、襲い来るものはあった。角馬にまたがりし、三十騎もの敵勢である。必然ではあるが、機動力では敵勢の方が勝っている。ガノンたちは、瞬く間に接近を……

「ぬぅんっ!!!」

 許さなかった。先手を取ったのは、ガノンの方だった。彼は蛮声をともに機先を制すると、瞬時の内に先頭の兵士を馬より蹴落とした。落とされた兵士は首を折り、即死。しかしガノンはそれには目もくれず、次へと進んだ。背にしていた手頃な剣、そして今一つ、腰に隠していた黒き剣を抜き放った。そして。

「ハッ!」

 角馬に囲まれるを良しとせず、ガノンは跳ねる。その動きは高く、そして速い。ガノンが跳ねる度に、傀儡兵士たちの首が飛んだ。一つ、また一つ。これにはいかな洗脳されている兵士といえども、戦意を失っていく。遠巻きにガノンを囲い、やがてその牙は姫君へと伸びた。ガノンを討ち取れぬのであれば、守護の対象を狙うという判断か。しかし!

「そのくらいは読めている」

 遠間のガノンから、なにかが放たれる。それは狙いを外すことなく、洗脳兵士の頸部へと突き刺さった。貫いたのは、黒剣。無造作ながらも、投げ放ったのだ。なんたる腕前。

「――!?」
「――! ――!」

 これには洗脳兵士も驚いたか? 連中はガノンたちに背を向け始めた。しかしガノンは容赦しない。ほの光る身体を突き動かすと、瞬く間に撫で斬りを開始した。なんたる速度。なんたる鏖殺。いつの間に回収していたのか、二刀を振るっての殺戮の舞。凄惨なるものを見慣れぬはずの姫君さえも、釘付けにした。敵勢三十、尽く全滅である!

「…………」

 姫君は、見とれていた。そして、絶句していた。目の前にて繰り広げられた光景が、あまりにも現実離れしていたからだ。恐ろしいほどに鮮やかな手並み。ほのかに、されど温かく輝いていたガノンの肉体からだ。これまでに見たことがなかったものが一息に押し寄せ、彼女の脳髄を揺らしていた。結果。姫君は。

「これなら、奪回も」

 ガノンが無謀を提案した理由を、身体で理解させられた。これほどの戦闘力があるのなら、速攻を決断するのもさもありなんである。つまるところ。ガノンはこの戦をもって、ユメユラの信用を得たのだ。
 かくして、ガノンは【闇】の敵勢を一蹴した。二人はその後も、歩みを進める。馬にて進んだ道を、歩みにて戻る。その道は、決して容易なものではない。夜が明けた頃、二人は一時の休息を取った。

「逆、なのでは」

 ガノンが糧食を整えるさなか、ユメユラがポツリと口を開いた。ガノンはそちらに顔を向ける。表情から意味を悟ったのか、彼は即座に答えを述べた。

「【闇】の輩は、夜が本領。日が高いうちは陰に引きこもり、顔を出さぬ。故に今だ」
「そうなのですね」

 淀みのない回答に舌を巻きつつ、姫君は小さくあくびをした。やはり、疲労は隠し切れぬ。ましてや、精神的な緊張はずっと続いているのだ。致し方ない。そしてガノンも、彼女の様子に気付いたようで。

「……少し休むか」
「いえ。その分到着が」
「構わん。昼の寝入りに忍び込むのも一興だが、夜に堂々踏み込む方がより戦神にかなう。むしろ、おまえの疲れを失念していた。許せ」
「……はい」

 少しの問答を経て、ユメユラは荒野にその身を横たえる。かつては柔らかい寝台をほしいままにしていたであろう娘にとって、それはどんなにか屈辱なことだろう。されど娘は、疲弊し切っていた。その寝台を奪い返すことを想いながら、今はただただ寝息を立てていた。

「……」

 ガノンはその寝姿を見ながら、考えた。己の無骨な身体では、寝台に代わることはできぬ。無骨な旅を続けてきたあまりに、己に用意できたのは身体を汚さぬためのむしろ一つのみだった。無論、それを悔いることはせぬ。これまでも、似たようなことはあった。爵位を持つ者の娘や、それなりの出自を持つ者を、同じような目に遭わせたこともある。故に、今回も同じであった。だが。それでも。これは戦神にかなうことなのか。ガノンは自問自答してしまうのだ。

「……旅も、終わり時なのやもしれぬな」

 間違っても娘を起こさぬよう、小さく呟く。最近はとみに、物思いが増えた。こうして漂泊の旅を続け、己の強さを誇示する。そのような行為の先に、なにがあるのか。そんなことを、考えるようになってしまった。かつて、とある辺境伯の部下に仕官を誘われたことを思い出す。仮に受けていれば、なにかが変わっただろうか。そこまで考えたところで、彼は首を振った。

「考えたところで、詮無きこと……。今は……」

 彼は立ち上がる。背から手頃な剣を抜き、構えた。雑念を振り払うべく、彼は素振りを開始した。心はいつしか故郷へ、かつて重ねた鍛錬へと戻っていく。すべての思考が、修練へと集約されていった。そうして彼は、しばしの時を素振りに費やした。

#4へ続く

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南雲麗
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