「だいすきだよ」 Qこれは同棲ですか? Aいいえ、同居です⑤
「いらっしゃいませー」
昼食後は雫の方がメインになった。再び小洒落た服屋に入れば、やっぱり小洒落た内装が姿を現す。先程とは別の店なのに、要には同じように見えてしまう。
「リクルート用のスーツが欲しいんですけど……」
だが雫はスイスイと道を行き、適当な店員を見つけてさっさと尋ねてしまう。本人が言っていた通り、慣れっこなのだろう。要はなにもすることがなくなってしまった。もっとも、付き添いは付き添いで大事なのだが。
(まあまあ。ちょっと品物でも見ててよ)
(……分かった)
そんなわけで要がやや憮然としていると、雫が唇の形で意思を伝えてきた。見かねたのだろう。要はなんとかそれを読み取り、従うことにした。
「彼女さんですか?」
「あ、いえ。その……」
暫く経って要に声を掛けてきたのは、ようやく雫から解放されたと思われる先ほどの店員であった。栗色のショートカットにナチュラルメイク、そしてスマイルの似合う女性だった。あまりにもフレンドリーに話しかけられたため、思わず戸惑い、口籠ってしまう。
「んー……では妹さんですか?」
「あ、えー……従姉妹、です」
「仲がいいんですね」
「ええ、まあ……」
何も悪い訳でもないのに、こうして口が重くなるのは要の悪い癖だった。親しい人物以外に相対すると、どうしてもこうなってしまう。
しかし助け舟はすぐに出された。
「要兄、こっち来て!」
更衣室のカーテンから顔だけ出して。雫が要を呼んでいた。渡りに船とばかりにそれに応じる。
「すみません。呼ばれたので、これで」
「はい、ごゆっくり」
軽く会釈をし、そそくさと雫の元へと向かう。そして。
「じゃじゃーん! どう? 似合う、かな?」
要は驚愕した。
身体のラインが浮き出るが如きキャミソール。足のラインはおろか、尻に食い込むレベルのショートパンツ。くるくる回って見せられたそれは、あまりにも刺激が強すぎた。
「……。まあ似合う。だが、せめて外出の時は一枚上に着てほしいなあ。後そのショートパンツは下着が見えると思います。ってーか。スーツを見に来たんだよね?」
「パンツなんて、要兄のエッチー。後スーツはもう決めましたー」
「酷い!? 見えそうな服着てるのは……」
「エッチー! エッチー!」
「エッチじゃなくてですね!? 後あんまり買い過ぎるといくらダダ余りだったとはいえ、なくなっちゃうから!?」
「スケベー!」
「言い換えてもダメ!?」
結局この直後、店員に咳払いされる羽目になってしまったのであった。
「さて。いつの間にやら夕方ですよ、っと」
結局服を購入させられ、全ての買い物が終わっても。雫は『帰ろう』と言わなかった。むしろ要の手を引き、あちこちへと連れ回した。
ウィンドウショッピングに、パフェの美味しい喫茶店。始終笑顔のまま、姫は執事を振り回した。
そうして夜が、迫っていた。二人は、とあるデパートの最上階、十階に居た。
「まだ。もうちょっとだけ」
だが、この期に及んでも、雫は帰ろうとしなかった。腕時計を見ながら、なにかを待っている風に立ち続けている。強情には慣れていた要だったが、目的が分からなくては頭を抱えてしまう。
「なあ……」
困り顔で要が声を掛けようとした時だった。
「要兄。見て。きれいでしょ?」
「……っ!?」
要は絶句した。そこに広がるのは、ネオンとビルの灯りに彩られた。一面の夜景。光と影が織りなす、ある意味天然のイルミネーション。一年前にこの街に来たにも関わらず、一度も見ていなかった光景だった。
「……確かに」
要は、一言だけ漏らした。それ以外に、口を紡げなかった。自分の視界の狭さに、打ち震えていた。
「ここはね。この街で一番高い場所なの。だから、ほら。遠くの山まで見える。こっちに来る前に、ネットで見つけていたの」
雫が指し示す方角。確かに山だ。大分距離があるはずなのに。
「ねえ、要兄」
雫が再び、言葉を紡いだ。
「要兄になにがあったか、私は知らない。知らないけど。無理はいらないと思う。私が居るし、ちょっと見る場所を変えれば。要兄はまだ」
要は、答えなかった。ただただ、夜景を見ていた。すると、唐突に。話題が変わった。
「……ここが見られて、良かった。万が一ダメだったら、帰らないといけないし」
雫の方を向く。少女は、遠くを見ていた。要もその方向を見て——そして気が付く。
「一緒に暮らすにしてもさ。要兄は家主さんで、もしかしたら出て行け、って言われるかもしれない。でも私は、私を伝えたくて……」
雫が見ている方向は彼女の故郷。故郷を見る眼からこぼれているのは——。
要は唐突に理解した。この少女は——
「要兄……だいすきだよ」
要に向き直り、涙の篭った笑顔でそう言った雫は。そのまま振り向き、離れようとして。
「っ……!」
要は手を伸ばし、少女の手を掴む。そこに打算もなにもなかった。ただ。
(彼女の想いを、無為にはしたくない!)
その一心だった。そして、そうしたからには。すべきことは明らかだった。
「雫、場所を変えよう」
要がそのまま手を引けば、意外にも雫は、素直について来た。これ幸いと一気にエスカレーターを下まで降りる。だが、顔は見ない。見たくなかった。見られなかった。
後ろにいるという実感はただひとつ。握っている手のひらの感触だけだった。なにも話さず、無我夢中のまま。要は近くの個室居酒屋へ駆け込んだ。
店員に頼んでなるべく静かな部屋を選んでもらい、ようやく要は一息ついた。
だが雫は、未だに下を向いたままだった。
要には、乙女心はわからない。だが、この状況ではなにも変わらないことはわかる。だから、まず。顔を上げてもらう必要があった。こういう時、呼び出しベル式の店は重宝する。
「……雫、顔を上げてくれ」
口調の変化は自覚していたが、それでも口は止まらなかった。言葉が選べない。選ぶ余裕が無い。
(俺は。『なし』にしたいんじゃない。『ある』への過程を踏みたいんだ)
そのための手段はあった。最初は躊躇した手段。ある意味雫の好意を利用する手段。だが、全てが上手くいくならば。これ以上の手段はない。
「……」
ようやく雫の顔が上がった。その目元は赤く、要は決断の正しさを悟る。
「……怖かったんだよね?」
「うん……。でも、伝えたかった」
「済まない」
「ううん、いいの」
雫は首を振り、要に目を合わせて来た。ようやく、話ができる態勢になった。
「……服まで買いに行って申し訳ないけど、昨日言った条件は一度忘れて欲しい」
「え……なん、で?」
「これを見てくれ」
深呼吸と共に話題を切り出した要は、そのまま雫にスマートフォンを見せる。そこには、通信制高校のホームページを、をいくつかピックアップしていた。
「……高校? それも、通信の」
「そう。別に俺のもとにいても、高校は卒業できる。学費については俺が叔母さんや、俺の両親を説得する」
「……」
雫の顔色に、変化があった。手応えを得た要は、さらに言葉を並べる。
「……雫は、『つまらない』って言ったけど。やっぱり今後どうするにしても、高卒の資格は要ると思うんだ。アルバイトするにも、最近はうるさいし」
悲しいかな。この国はまだまだ学歴社会だ。中卒で家庭教師や家政婦ができるのかと聞かれたら、それは要にも答えようがなかった。
「まあ、無理に今決めなくても良いし、大家さんには俺から頭を下げるから。別に一ヶ月ぐらい居ても……」
「行く」
「え?」
「行く。要兄がそばに置いてくれるのなら。私は地獄だって行く」
泣き腫らしていたはずの雫の目が、今度は鋭くなっていた。それは、紛れもなく。
「分かった」
要は静かにうなずいた。
「後は任せろ」
「うん。……要兄」
「なんだ?」
「好き」
「……ありがとう」
雫の好意を無為にしなくてよかったと、改めて要は思うのだった。
結果から言えば、要の決断は最上だった。叔母も両親も二つ返事で、学費と家賃の援助を承諾してくれたのだ。
そして雫の行動も早かった。翌日には行く学校を決めた。そして最初の仕送りが届くや否や。即座に手続きを済ませたのだ。
「要兄。ふつつか者だけど、よろしくね?」
編入当日、敢えて先日買ったスーツに身を固めた雫が。まるで嫁入りのようなセリフを言った。
しかし要は動じなかった。なぜなら返すセリフは既に、決めていたからだ。
「ああ、一緒に暮らそう。雫」
第一章:完
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