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蒼き槍兵紅き蛮人 #5

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「ええい、旅慣れぬ娘一人を攫うのに、幾つの賊どもを消費しているのだ」

 荒野でも一等人気ひとけ少なき場所。そこに、人知れず天幕が立てられていた。中には男が数人。その内、一番上座に座る男は、頭を抱えていた。

「無策で襲撃した賊が一つ。その賊に死物狂いで襲われ、撤退した賊が一つ。夜襲を掛けて罠に嵌った賊が一つです」
「そういうことを言っているのではない! ……いや、間違ってはない。間違ってはいないが」

 上座の男の言葉を、質問と受け取ったのだろう。一人の男が、几帳面に詳細まで付けてそれに答えた。しかしながら、上座の男――今般行っている作戦の、指揮者なのだろう――が求めていたのはそういう返事ではない。このままでは、己に影働きを命じた――実際には示唆のみで、後は忖度の折り重なった結果である――大公からの評価が得られない。それどころか、勘気を被ってしまう。彼らは自ら手を下すことはないが、配下には相応の働きを要求するのだ。その理不尽に、己が晒されてしまう。それだけは、なんとしても避けたかった。

「ああ、このままではどうしようもない。他の賊徒の尻を叩き、全軍で襲わせるか? 否。斥候から聞くに、護衛はたったの二人。仮に姫君の拉致に成功したとしても、大公様にお叱りを受ける恐れがある。どうする……」
「おれが行こうか」
「え」

 なおも頭を抱える指揮者の男に、福音があった。それは天幕の隅、仕事に取り掛からず、ただただ壁に寄り掛かる男からのものだった。ボサボサの黒髪。背は常人よりやや高い程度。黒の外套マントでその身は覆われ、得物や肉付きはわからない。とはいえ、立ち上る空気は刃の如し。他を寄せ付けぬ、鋭さがあった。

「ホジャどの。しかし大公家のお抱え剣士である貴殿を動かせば……」
「構わん。興味が湧いた。賊どもは下げろ」

 なおも不安を訴える指揮者を、しかしホジャと呼ばれた男はにべもなく拒絶した。彼はそのまま、指揮者に対して冷たく告げる。

「馬を出せ。バンコでもダブでも構わん。おれが走らせれば、伯爵領の手前で、悠々待ち構えることができる。護衛は倒し、娘はおれが大公家へと捧げる。それですべては終わりだ。違うか?」
「ち、違い、ませぬ……」

 ホジャの鋭い眼光に、いよいよ指揮者は首を縦に振らざるを得なかった。そっと配下に視線を送り、準備を急がせる。これより先は、速さがすべてだった。

「ならば良いだろう。あとはおれがやる。いいな」
「はい……」

 ホジャは指揮官から視線を外し、糧食の指示などに意見を加えていく。もはや明らかな越権行為だ。しかし指揮官はうなだれたまま、それらを許した。彼にとっての本作戦は、こうなった時点で終了していた。あとに去来するのは、喪失の感情と叱責への恐れであった。

***

 気付けば旅路は、終幕が近付いていた。策を講じて夜襲を難なく退けたあとは、無人の野を行くが如き旅路だった。すべてがすべて順調に行き過ぎ、逆に罠を警戒する様相である。とはいえ、ガノンとサザンは楽観していた。仮に罠があろうとも、己ら二人ならば食い破れる。おおよそ五日もの旅路をともにしたことで、二人の間には不可思議な信頼と自信が芽生えていた。されど。ああ、されど。

「……前」

 流石に旅路の疲れを隠せぬ姫君が、馬上より小さく二人に告げる。その声に、二人は目を凝らした。見える。旅路の先に、一つの影がおぼろげに見える。二人はうなずき合い、どちらからともなく口を開いた。

「敵だな」
「ああ、敵だ」
「急ぐか」
「急げば嬢に隙が生まれる。敢えてこのまま行くとしよう」
「わかった」

 短いやり取り。しかし二人は、わずかに足を早めた。旅も大詰めまで来て、一人で待ち構える者。間違いなく、手練れだろう。二人の心臓は自然と高鳴り、無意識の内に、足取りは軽くなっていた。戦士の魂が、震えているのだ。結果、半刻もせぬ内に彼らは影の元までたどり着いていた。

「お初にお目に掛かる。それがしは大公家お抱えの剣士、ホジャと申す者。姫君におかれましては、どうかこのまま某と旅路をともにして頂きたく」

 影はホジャと名乗り、一礼した。剣と思しきものを、右手に備えている。視線は鋭く、背丈はサザンと同程度。外套をまとって肉付きはわからぬが、とにかく視線が鋭い。刃物を思わせるものだ。二人には分かる。ホジャからは、強者の臭いしかしなかった。

「それはできんな。姫君に関しちゃ、俺たちは父上様から言付かってるんだ。『この先にある、伯爵領まで送り届けてくれ』ってな」

 それでもサザンは、姫君を護りに動いた。それが彼の仕事だった。たとえ服の内側で汗を流していようと、仕事を阻まんとする者は許さない。それが、傭兵の気概だった。

「右に同じく。ここで戦わずに退くは、戦神に申し開きもできん行為だ。たとえいくら金を積まれようが、ここはどかんぞ」

 同じく、ガノンも動いた。額からは、一筋の汗。旅路故か。あるいは。

「左様か」

 ホジャは二人と目を合わせ、そしてうなずいた。しかし目の鋭さは、いよいよ凄みを増していた。

「ならば、これしかあるまいな」

 ホジャは、いともあっさりと剣を抜いた。それが一級品の業物であることは、鞘と柄の造りからも明白だった。その辺りにある数打ちの物とは、明らかに質が異なっていた。大公家お抱えという名乗りに、まったくもって嘘はないようだった。

「そういうこった」

 サザンが、槍を構える。こちらも額から汗。戦に、緊張しているのか。それとも。

「来い」

 ガノンも剣を抜いた。ホジャを中心に右にサザン、左にガノンが構える形だ。ガノンの赤銅色をした身体には、すでに玉のような汗が浮かんでいた。

「名乗るが良い。このおれ、ホジャに抗う者だ。その名前、永久とこしえに憶えておいてやる」
「タラコザ傭兵、サザンだ。覚える必要はない。アンタはここでおっ死ぬ」
「ラーカンツのガノン。おまえの名は、戦う者として戦神に伝えておく」
「それでよい。行くぞ!」

 瞬間、ホジャが低く、鋭い踏み込みを見せた。その身体はほの光り、剣からも彫り込まれていた紋様が輝きを見せる。光芒の突進はあまりに疾く、二人は分かれて飛び退かざるを得なかった。

「んなっ!」
「ちいいいっ!」

 一手立て直しが早かったのはガノン。飛び退いた後、即座に裂帛の踏み込みを見せる。しかしホジャの動きも早い。横合いから突っ込む形になったにもかかわらず、即座に対応してみせた。片手でガノンの剣を弾き、目線一つでサザンを牽制する。なんたる腕前。なんたる技量。これではさしものサザンも、安易な動きは見せられなかった。

「どうした。雁首揃えて口だけか」
「……せいっ!」
「槍の軌道が、直線的に過ぎる!」

 ホジャの嘲りを受けたサザンが、意を決して間合いへ踏み込む。されどホジャは、容易く避ける。その上欠点まで指摘する。ガノンは息を呑んだ。あれほどさばくのに苦労したサザンの槍さばきが、わずか一撃で手を止められる。ガノンは考える。この男に、打ち勝つためには――

「嬢、なるべく遠くへ……」
「構わん。搦手などは用意していない。最初からうぬらは殺し、その上で姫君を丁重にお連れする腹積もりだった。もっとも、今のままでは……」
「ハアアアッ!」

 サザンの警告を否定するホジャへ、ガノンが剣を掲げて突進する。だがホジャは受け止めもせず、余裕を持って剣をかわした。それも身体を、そらした程度。見切られていると実感するに、足るものだった。

「殺すまでもなさそうだがな」
「ちぇりゃあああっ!」

 ガノンの剣をかわした位置に、今度はサザンが雄叫びを上げる。必殺の槍はまたも早い。並の者には、穂先が三つにすら見えるほどだ。しかし。ああ、しかし。

「遅い」

 ほの輝く男の目には、それすらものろく見えるというのか。たちまちの内にかわし切り、続きを煽る。煽られしサザンはさらに穂先を繰り出す。されど。そのすべてが空を切った。最後にはホジャからの一撃を受け、再び間合いを押し戻されてしまう。

「……」
「…………」

 サザンは息を吐く。ガノンは剣を構えた。ホジャとのあまりの技量差に、気が遠くなる思いを抱いていた。二人は今一度、視線を交わす。目の前に立つ男を砕くには、今以上の連携が必要だった。

#6へ続く

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南雲麗
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