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北辺の巫女姫 #2

<#1>

「おお、驚かせてしまったか」

 声のした方角を向いた巫女姫を撃ち抜いたのは、いと容貌魁偉なる男の姿であった。
 肩まで蛇の如く伸びた、火噴き山めいた赤髪。
 口元を覆う赤髭。
 盾の如き五角形、赤銅色の顔面を構築する、大ぶりなその構成物。特に目立つは、黄金色をした瞳。
 腰に宝剣めいたこしらえの剣を佩き、豪壮な鎧に身を包んでいる。一見しただけでも、相応の身分にあることは明らかだった。

「な、何者ですか貴方は。答えねば、声を上げますよ」

 それでも巫女姫は、気丈にも男を誰何した。身をよじり、視線は逸らし気味。されど語気は強いものだった。

「済まない。訳があってこの地に来た。ガノンという。今はヌルバダの王を務めている」
「ヌルバダ?」

 男――ガノンの素直な返答を、しかし巫女姫は訝しんだ。ヌルバダなど、彼女の知らぬ国の名だったからである。そもそもこの男は、どこからここに入って来たのだ。あからさまに不審である。彼女はやはり、声を上げようとして。

「待て。落ち着いてくれ。済まぬ。北辺の者に、東部域の話をしても通じぬのは目に見えていた。それでもおれは、この地に用があるのだ。むざむざ捕まる訳にはいかぬ」
「言い訳は、捕縛ののちにするがいいでしょう」

 ガノンの口上を耳にしてなお、巫女姫は態度を崩さなかった。しかしガノンは、わずかに考え込む。それを諦めと見たか、巫女姫が大きく息を吸う。その瞬間、ガノンは仕草のみで待ったを掛けた。

「っ」
「声を上げる。それ自体はおれが不審者故に、仕方あるまい。だが、同時におまえの立場も悪くなるだろう」
「王の自称に続いて、またもハッタリですか。不審な男を不審と告げて、なにが悪いと」
「その装束。おまえは北辺の海神に仕える、巫女姫だろう。巫女とは、純潔を神に捧げるものだ。だというのに、おまえは今。不審な男をこの場に招き入れている。間違いなく、純潔を疑われるだろうな」
「……」

 ガノンの言い分に、今度こそ巫女姫は沈黙した。彼女は、三人の世話役を思う。同じ頃合と思しき二人はともかくとして、年嵩は間違いなく口うるさくのたまうだろう。純潔に関して、忌々しい確認行為をされるやもしれない。自分の身を守ったにもかかわらず、疑いが掛かる。それは確かに、面倒だった。

「こんな現れ方こそしてしまったが、おれは多神教連中から密使……言伝を頼まれている。おれを捕縛し、尋問したなどとあちらに知れたら、もっと面倒なことになるだろうな」
「……」

 今度は、巫女姫が考え込む番となった。面倒に、面倒が重なる手間を取るか。一旦目の前の男による話を聞き、運命共同体めいて策を練るか。いずれにせよ、このガノンなる男は狡猾だ。それでも声を上げるとなれば、己を人質にしてでも抵抗するやもしれない。それはそれで、外交にかかわる面倒が発生しそうだ。結局のところ、この男は自分の手には余る存在だ。話を聞いた上で、世話役――年嵩に押し付けるのが最善だろう。彼女はそう、結論付けた。

「話を、伺いましょう。まずはいかようにして、ここに参ったのか。続いて、この北辺に来た主題。言伝とやらの内容ですね。それらを伺わねば、とても前には進めませぬ」
「いいだろう。話せば少々長くはなるが……。座しても、良いか?」
「構いませぬ。こうなってしまったからには、運命をともにする他ないのでしょう。存分に、お話しください」
「ありがたい」

 ガノンが、巫女姫の正面に座る。巫女姫も、男に視線を合わせた。その後方には、巨大な鉾がしつらえられている。これが、【ポセドー様の鉾】なのであろうか?

「そうさな……少々荒唐無稽なことにはなるが……」

 そう言ってガノンは、いきさつを語り始めた。

***

 その紫色の空と黒ぼったい大地は、随分と久しぶりに見るものであった。王たる執務を終え、眠りにつくべく私室に入らんとした瞬間にこれである。ガノンは少々不機嫌気味に、口を開いた。

「……しばらくぶりに、踏み込んだな。それも、随分な仕打ちでだ」
「いんや、今回は『招いた』よ。無礼については、許しておくれ。こうでもしないと、秘密が保てないのさ」

 答える声は、即座にあった。ガノンがそちらに目を向けると、常とは異なる出で立ちの【荒地の魔女】、バンバ・ヤガがそこにいた。黒布に顔や身体を包まず、亜麻色の長髪。彫りが深く、ほうれい線一つない整った顔。高い鼻。くっきりとした青い瞳。そのすべてを、【異界】の風に晒していた。服こそは黒布のままではあるが、ここまであけっぴろげな彼女を見たのは、実に初めてであった。

「……どうした、【荒地の魔女】。とうとう聖女に戻ったか」
「そうじゃない、と言いたいところだが……当たらずといえども遠からず、だねぇ。ちょいと、聖堂の連中から無理難題を言付かってね。手持ちの人脈で、頼れそうなのがアンタだけだったのさ」

 ガノンの嫌味めいた言葉に対し、バンバ・ヤガはしわがれ声をもって返事をした。あいも変わらずの声である。今の晒された顔からすれば、酷く不似合いな声であった。

「おれの眠りを妨げるのだ。相応の報酬は頂くぞ」
「聖堂の連中に、用意させるさ」
「鎧を脱ぐ前で良かったな。仮に脱いでいたら、意地でも乗らなかったぞ」

 半ば脅しめいて、ガノンが言う。無論、半分は冗談である。【異界】にてその主の意向に逆らうというのは、生殺与奪のすべてを主に委ね、己はそれに一切文句を言わないと宣言してしまうに等しい行為である。主を殺せるほどの力量があるのなら別ではあるが、【異界】とはおおよそその主が支配権を持つ世界である。よって、ほぼほぼどうにもならないというのが、正しい見解であった。

「だからこそ、そうなる前に【神隠し】たのさ。正式な着衣で向かわないと、捕まって妄言吐きとでも罵られ、あとは斬首で終わりだろうからね。それはアタシもごめんこうむるよ。ああ、そうだ。言い忘れていたよ。ヌルバダの王、ガノンよ。戴冠、おめでとう」
「取って付けたように言われても喜ばしくはないが……早く本題に入れ。多少の時空は無視できるにせよ、夜が明けてしまえばコトが漏れるぞ」
「そうだねえ。それじゃ、小屋に入ろうか」

 魔女が手をかざすと、即座に木造りの小屋が現れる。そのかたわらには大釜もあった。かつてと変わらぬ、魔女の住まいであった。魔女はガノンを招き入れると、そそくさと茶の準備を済ませる。変にもったいぶらない辺り、本当に急ぐ気なのだろう。

「北辺、ってのは、ご存知かい?」

 円座のテーブルにて対面すると、魔女は即座に話し始めた。ガノンは返事を省略し、うなずく。実際に立ったことはなくとも、聞いたことだけはあった。

「雪と氷が大地を構成し、大陸とはまた異なる生態系があると聞く」
「その通り。その最果てにね、連中の海神を祀った院があるのさ」
「ふむ」

 ガノンは相槌を打ち、続きを促した。己がいちいち割って入っていては、話が長引いてしまう。

「ところがその御神体……【ポセドーの鉾】ってのが曰く付きでねえ。大昔にね。聖堂九十神の御神体から、見栄えの良いヤツを連中に貸し与える羽目になっちまったのさ」
「ならば、取り返せばいいではないか」

 ガノンからは、直情なる言葉。しかし魔女は、首を横に振った。

「正論を言うでない。当時、北辺どもはこう言ったのさ。『我々の御神体が賊徒に盗まれ、北辺は神のお怒りによって危地に瀕している。北辺が滅びれば、大陸にも危機が訪れる可能性がある。どうか我々を救うべく、格別のご配慮をもって御神体の貸与を許されたし』ってね」
「つまるところ、窮余の一策であったと」
「そういうことだね」

 魔女は肩をすくめた。ガノンも、首を横に振る。一拍を置いたのち、魔女は言葉を続けた。

「まあそんな訳でかれこれ三から四百年は経つんだが、連中は他の御神体を作ることもせず、こっちから借りたものを【ポセドーの鉾】だと言い張るようになっちまった。いろいろアレコレあったとはいえ、聖堂にしてみりゃ大問題だ。なんとかしたい。さりとて交渉の手管がない。ところが最近、事態が大きく動いた」
「まさか」
「そのまさかさ。真なる【ポセドーの鉾】が、とある盗人のおかげで見付かったのさ。すでに専門の者による鑑定も受けている。おおかた、本物だと見て相違ないそうだ」
「……」

 『盗人』という言葉に、ガノンは少々顔を歪めた。しかし魔女はそこには触れず、話を続けた。

「で、聖堂としては北辺に取引を持ち掛けたいわけだが……いかんせん、正式に使節を立てての交渉となるといろいろ面倒が多い。ましてや、御神体のやり取りも含まれる。アンタだからはっきりと言ってしまうが、本物のやり取りは事前に済ませ、正式な場では模造品レプリカをやり取りしたほうが安全なくらいだ」
「なるほどな。それで密使。だが」
「だろうね。どうしてアタシが話にかかわることになったのか。それは、【異界】の遍在性にある」

 ガノンの訝しみを見て、魔女は即座に話を継いだ。ガノンも、それには素直にうなずく。そう。【異界】とはどこにでもあって、どこにも無きもの。逆に言えば。

「変に使節を用立てずとも、一息で北辺に顔を出せる、ということか」
「その通り。そうでもしなけりゃ、あっちとは距離があり過ぎる」
「なるほど……」

 ガノンはようやく、合点がいった。たしかに、己の地位は王である。交渉者の格として、これ以上に良きものはない。聖堂の密命を帯びることには多少の抵抗があるが、そもそも報酬をもって行うのであれば傭兵としては問題がない。要は、極めて短期の雇われ仕事だと思えば良いのだ。結果としてヌルバダの国が良くなれば、それで良い話でもある。細かい部分は差し置いても、自儘以外の反抗手段は皆無だった。

「断る、と言ったら?」
「聖堂の誰ぞが、この異界に踏み込むことになるね。とはいえ、いきなり聖堂との接触は向こうさんも顔を引き攣らせかねない。難しい話になるかもね」
「……わかった。おれが行こう」

 遂にガノンは、首を縦に振った。完全に納得したわけではないが、ここで抵抗を続けたところで、面倒が増すばかりである。ならば、さっさと行って話をつける。そのほうが、最善かつ最短だった。

「ありがたい。それじゃあ、真なる【ポセドーの鉾】をアンタに渡そう」

 言うなり彼女は、一つの箱を持って来た。決して長くも、大きくもない。魔女の、胴の幅。その程度の、長さだった。

「まあ、これさね」

 彼女はすっぱりと箱を開ける。そこには、三叉の鉾が納まっていた。

「手垢がついたせいで輝きは薄れちゃいるが、れっきとした神器だ。大切に、扱っとくれ」
「わかった」

 ガノンは造作もなく、しかし壊さぬ程度には慎重に、箱を貰い受けた。

「その重みこそが、今回のお役目の重要性だ。頼むよ」
「……」

 魔女からの言葉に対し、ガノンは返事をしようとしなかった。

#3へ続く

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南雲麗
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