不死魔人の死 #2
遡ること幾日か前。ちょうど西日が差し込みつつある塔の中で、戦は終焉を迎えようとしていた。
「……どうした。我を殺すと息巻いていた手管は、早尽き果てたか」
「ぬかせ。今考えている」
塔の最上階。意味を成さない芸術としての紋様と絵画が刻み込まれた広間の中で、男二人が対峙していた。かたや赤髪巨躯、手頃な剣を右手に引っ提げ、黄金色にけぶる瞳に闘志を爛々と燃やしている。一方、いま一人は心の臓に黒槍を突き立てられ、腹の臓腑を黒剣にてえぐられていた。しかしなおその者は悠然と立ち、弱った様子の一つさえもない。黒髪痩躯、長身。青白い顔。どこか諦観のこもった瞳で、赤髪の男を見詰めていた。
「我が身に纏わりつく【不死の呪い】、心の臓を貫いた程度で消え果てると思うたか。我も舐められたものだ」
「くっ……」
痩躯の男が、赤髪の男を言葉で苛む。赤髪の男――ラーカンツのガノンは、頬に一筋の汗を流した。腹を貫き、心の臓をえぐった。これでも、【不死の魔人】が斃れぬならば。
「ゆくぞ」
ガノンは決意を込め、左足を下げる。その身体には、いくつかの傷を背負っている。さもありなん。痩躯の男、【不死の魔人】は、いずこのものとも知れぬ長剣を、だらりと右手にぶら下げているのだ。
「ハアッ!!!」
ガノンの脚が、石造りの床を蹴る。その身体が、ほの光る。さもありなん。ガノンはこの強敵に対し、幾度となく戦神への祈りを捧げていた。ガノンは未だ自覚していないが、戦神は彼に、【使徒】としての力をもたらしている。その加護の力が、彼に尋常ならぬ速さを与えていた。
「っく!」
魔人の長剣による突きを掻い潜り、ガノンはその懐へと潜り込む。そして手頃な剣を横薙ぎに振るい――
「逝くがいい!」
げに凄まじき剣速で魔人の胴を両断する。無論、常人の力で成し得る業ではない。戦神の加護が、ガノンにその力を与えている。そして事実、魔人は真っ二つに斬り裂かれた。しかし。
「見事。ああ、見事。よくぞ我が半身を殺し給うた」
上半身、首のある方から声が響く。手を叩く音さえも響いた。ガノンはおののく。馬鹿な。半身を割いても死なぬのならば。
「まさか、首を断ち割ろうとも」
「ああ。死なぬよ。いや、八割は死んだことになるやもしれぬ。だが滅びぬ。頭を断ち割っても同じよ。我に死をもたらすには、それでは足りぬ」
「ぐぬ……」
ガノンはここで、初めて足を引いた。ガノンは、根本的には退かぬ男だ。いかなる時でも戦神を称え、万軍の相手にさえも剣を抜く気概を持ち合わせた男だ。そんな男が、足を下げる。あまりにも、異常な事態であった。
「去るか。それも良かろう。敗北の哀しみを背負い、立ち去るが良い。間違いなく、汝は敬意を払うべき強敵であった」
「抜かせ。たとえ下がるにしても、もう一度来る。その時にこそ、貴様は死ぬ」
下がりゆくガノンに視線を合わせ、魔人は語る。気が付けばその姿は、元の痩身長躯に戻っていた。なんたる回復力。いや、【不死の呪い】が、それを生み出すのか。ともかく、上半身の下に、下半身が蘇っていた。
「楽しみにしている。それまでこの黒剣と黒槍は預かっておこう。再戦までの質とする」
「……わかった。それは預けておくとしよう。さらばだ」
ガノンは、相手を見定めていた視線を一息に切った。それからは振り返ることなく、一目散に塔を駆け下りた。彼にはあるまじき、即断だった。そして塔の麓で待つ行商ども――彼に魔人討伐を依頼した張本人たちだ――に敗北を謝罪した後、こう告げた。
「しばし待て。おれは必ず、この塔に帰って来る。あの魔人を、打ち倒す。だがその道筋のために、一人探してほしい男がいる。タラコザ傭兵の、サザンという奴だ」
***
サザンに言われて向かった先の遺跡には、すでに盗掘市が立ち並んでいた。古代ハティマ帝国の遺品というものは、いかなる術によりてか、良い状態で発掘されることが多い。そのため、わずかな宝飾品でも高値で売れてしまう。一攫千金も、案外に容易い。逆に言えばそれだけ、盗掘から足を洗う人間が多いとも言えた。
「兄さん兄さん。武器はどうだい。安くしとくよ。中に入るなら、一個や二個、持っておいて損はない」
盗掘市の一角で、主がガノンに声を掛けて来る。口元から顎にかけて、もじゃもじゃとしたヒゲを生やした男だった。ヒゲモジャ男は、人懐っこい笑みを浮かべている。いかにも、盗掘慣れしていますという風な顔だった。
「ふむ」
ガノンはあえて、その声に応じた。二、三、剣を手に取り、心地を確かめる。同時に、密かに奥の方へと目を向ける。もっと良い物を隠していないか、探るためにだ。
「ん? 兄さん、なにを見てるんだい?」
だが目ざとい店主はそれに気が付く。当然の話だ。彼らは商売に長けている。良い物を二束三文で売っては、商売が成り立たぬのだ。ガノンは店主の眼力を確信し、口を開いた。嘘を申し立てるつもりはない。すべては、魔人に死をもたらすがためだ。
「これから遺跡に入るが、おれは良い武器と案内人を探している。おまえはこの遺跡で、銀の武具を見たことがあるか?」
「む……銀の武具……悪いな。こちとら、あんまり奥には入ったことがないんだ。ここは武器庫だったのか、あんまり奥に行かずとも結構な数で武具が見つかる。ハッキリ言えば、穴場だぜ」
しかし店主の反応は、思ったものとは異なっていた。ガノンは、肩を落とすでもなく礼を言い、そのまま店を離れようとした。すると、店主がガノンに耳を寄せるように告げた。
「なんだ」
「兄さん。奥を目指すんだろう? だったら、あっこの片隅で小さな店を構えて、膨れっ面しているアイツが良い。鼻っ柱は強いが小回りが利いて、利発な奴だ。毎回大物を狙って、奥まで潜り込んでやがる。多分、お望みのものに一番近い」
「……感謝する」
店主の視線、その方角には、たしかに膨れっ面をした人物がいる。まだ少年と思しき背格好だが、その視線には力が感じられた。なにがそんなに機嫌が悪いかは知らぬが、己にもそんな時分があったか。ガノンはわずかに、懐かしく思った。
「まあ、なんだ。金で靡くような奴じゃないかもしれねえが、そこは兄さん次第だ。上手くやれよ」
「わかった」
ガノンは店主に礼を言うと、早速足をそちらへと向けた。まずは少年の正面に立つ。すると当然のように、少年が言葉を吐いた。
「なんだい。冷やかしなら帰ってくれよ」
「せっかくの客に、その口の聞き方はないだろうよ」
「上から見下ろしてるのが気に食わないんだよ。物が欲しいなら、まずは近くで見やがれ」
「一理あるな」
少年の言葉に、ガノンはうなずく。彼はそのまましゃがみ込み、黄金色にけぶる瞳を、少年へと差し向けた。
「これでどうだ?」
「お、おう。できるじゃねえか」
少年の態度が、わずかながらに年相応のものへと戻る。その姿を見て、ガノンは悟った。なるほど。この少年、肩肘を突っ張っているだけである。正しく礼をもって接すれば、必ずや。
「武器を探している。良いものはあるか?」
ガノンは腰に下げていた袋を手に取り、ジャラジャラと音を鳴らした。『金なら相応にある』という意志表示である。従来であればいやらしさの出る行動だが、この少年は冷やかしを嫌っている。ならば、さにあらずという表現が必要だった。
「あるぜあるぜ。旦那、わかってるじゃないか」
少年が立ち、ガノンに背を向ける。こういう店の形式としてよくあることだが、店の前面には見栄え重視の武具を並べ、本命は後ろへと隠しておくことが多い。市場にはよくある盗人や喧嘩、隙あらば値切りを狙う冷やかしへの対策が第一義だった。
「ほら。第三層まで行くと、こんなのが掘れるのさ。他の連中はしょっぱいぜ、一層二層の武器も悪くはないが、こっちの方がより鋼が強く感じるんだ。多分、ロアザ鋼じゃないね。古い連中は、なんらかの方法で別の鋼を作ってたんだよ」
少年が、目を輝かせながら一本の剣をガノンに見せる。こしらえは無骨だが、刀身の色が従来の物と異なる。鍛冶には詳しくないガノンの目から見ても、白い輝きがひときわに強かった。魔人に預けたままの黒剣や黒槍とは異なれど、ハティマの製法で作られたであろうことは想像に難くない。
「なるほどな。ところで少年」
「少年とはなんだ。おいらにはブンって名前があるんだ」
「すまん。ではブンよ」
剣を手にしたままにガノンは、いよいよ本題を打ち明ける。そう。この輝きの剣も気になるところだが、彼の本命は別にあった。
「ここの遺跡で、銀の武具を見かけたことはあるか?」
「銀の武具? ああ、呪い払いの……」
ブンが、声を潜めた。ガノンは確信する。銀の武具。その用途を知るのであれば、在り処も。
「第三層までじゃあ、見たことないな。と、なると四層より下……だがなぁ」
ブンが独り言を吐き、顔をしかめる。なにかを知っていると、ガノンは直感した。ならば。彼は黄金色の瞳で、少年の目を覗き込んだ。
「ブンよ。なにを知っている。力になれるやもしれんぞ」
「ほんとか? いや、こんな所に来るぐらいだから、腕には覚えがあるんだろうが」
「前に、成り行きでハティマの遺跡に踏み込んだことがあってな」
ブンに向けて、ガノンは語る。緑の目を持った少女に請われるがまま、ガノンはハティマの宝物庫へと踏み込んだ。そこを護っていたのは――
「そこには、機巧仕立ての戦士がいた。奴は弓や槍を扱い、人並み外れた腕前を持っていた」
「……アンタはソイツを」
「倒した。後、俺の名は、ガノンだ」
「ガノン……さん。アナタなら、もしかしたら」
少年の口調が変わる。目の色も変わった。明らかな敬意に、その瞳が色付いている。なんらかの希望を見出した。そんな顔を、少年はしていた。
「やれるかもしれない。おいらは一度だけ、三層の先に踏み込んだことがある。だけどそこには、よくわからない護衛……かな? が、あちこちにいたんだ。もちろん、見つかる前にすぐすっこんだよ。アレは恐ろしかった。多分、人間じゃない。人間はあんな場所で生きれやしない。だけど」
熱っぽく語る少年はしかし、そこで一瞬間を置く。光り輝く眼を、ガノンに向けて見せつけた。ガノンは思う。ああ、故郷を出る前の己も、きっとこんな瞳をしていたのだろうと。だが、それは些事であった。関係なかった。
「もしソイツが機巧? ともかく、ブッ倒せる護衛だってんなら、ガノンさんならやれるかもしれない」
「と、いうことは」
「ガノンさん。アナタはおいらに、案内を持ち掛けたかったんだろう?」
問われてガノンは、首を縦に振った。
「案内はする。するけどさ。おいらにとっても探検になるから、護衛を頼みたいんだ」
「!」
ガノンは、目をかっ開いた。はっきり言えば、驚きの感情がそこにはあった。危険な道行きになるのであれば大枚を払う必要があると踏んではいたが、こうなると。
「まあ、つまり。なんだい。お互い様ってことで、組ませておくれよ」
ブンが、おずおずと右の手を差し出す。ガノンはそれを、強く握った。
「わかった。おれが倒れれば、おまえも死ぬ。そうなっても、構わんな?」
「やってくれると、信じてるよ」
こうしてガノンは、一蓮托生の案内人を手に入れたのだった。