見出し画像

奪回の姫君 #6(エピローグ)

<#1> <#2> <#3> <#4> <#5>

 その日。ユメユラの故郷は、炎の中に消えた。すべては、【闇】の行いによるものであった。【闇】に領民を侵され、彼らがそちらに行ってしまった以上。もはや浄化できるものは炎以外には存在しなかった。すべての命を根絶やしにしてから、早二日。これでも遅い方というのが、【闇】の恐ろしさ、そして此度の幸運を指し示していた。

「危急に駆け付けられず、誠に申し訳ない。ましてや、このようなことになろうとは……」
「いえ……故郷を奪い返せただけでも、不幸中の幸いです」

 自領を焼き払うという、狂気の沙汰。それ故に、見届け人を務める隣領の領主。彼は、重い責任に項垂れた。されど、ユメユラは首を横に振る。此度の事態は、あまりにもの急襲であった。それに対し、自身も速攻をもって故郷を奪い返した。故に、仕方のない話なのだ。ユメユラは、その事実を心得ていた。

「それにしても……奪回の折に助力頂いたというその御仁。今は何処に? 【闇】に対する的確な措置、当方への早急なる参上。できることであれば……」
「今朝方、わたくしに糧食を渡して旅立ちました。本来であれば、奪回の時点で去ってもおかしくない方です。止められませんでした」
「おお……」

 隣領の領主は、悲嘆をあらわにした。さもありなん。【闇】を成敗できる人間は、貴重である。可能であれば自身の幕下に加え、今後の護りとしたかったことであろう。そう思えば、落胆も致し方無きことである。されど、それはユメユラも同様であった。

「わたくしとて、あの方に報酬を授け損ねました。いつかどこかでお会いしたらば、なんとしてでも授けねばなりません」 
「ほう。差し支えなければ、なにを授けようとしてらしたので?」
「わたくしの、すべてを」
「……それは」

 口をあんぐりと開けた領主に対し、ユメユラは『ええ、【すべて】です』と復唱した。領主という立場の人間が、その意味を知らないはずがない。彼は幾つかの言葉を脳に浮かべ、そしてそれらすべてを打ち消した。この数日間、彼女の身に起きたことを思えば。それほどを賭してでも、故郷を取り戻そうとするのは必然だったのだろう。彼女を助けることができなかった己に、彼女を説き伏せる資格はない。彼はそうして、逸る己を鎮めた。そして、話題を切り替える。

「こののちは、いかがなさるので? 復興など、もはや望むべくもなく」
「一旦、王都へ向かうことになるでしょうか。無論、あなた様からのお口添えも必要となりますが……」
「良いでしょう。一筆でも、然るべき者の同行でも。望み通りにいたします。あの御仁にも、言い含められましたので……」

 領主は、昨日の事件を思い出す。隣領に異変ありと聞かされ、軍勢を用意する間もなく動き出した彼。その前に現れたのが、良く陽に灼けた、赤銅色の蛮人だった。その男は不遜ながらも彼に頭を下げ、こう言った。

『隣領は【闇】に呑まれし者の襲撃を受けた。元凶こそ倒したが、住民も【闇】に取り込まれた故、すべてを滅ぼして浄化をせねばならない。失礼ながら、至急に来られたし。領主の娘御のみが生き残りし故、可能な限りの協力を望みたい』

 南方蛮人の特徴を持ちながら、最低限の礼を尽くして振る舞った男は、そのまま足早に来た道を戻っていった。領主にできたのは男の言葉にうなずくことと、男の姿が消えるまで見送ることのみ。さりとて、男の持つ黄金色の眼光は鋭かった。協力せねば、どうなるか。その答えが備わっていたように、彼からは思えた。

「……」

 彼は、燃え盛る炎を見つめる。多神教は懸命に秘しているが、【闇】はどこにでもいる。そして、誰もが【闇】に陥る可能性がある。【闇】は人を愛するが故に、人を取り込む。かつて。彼は学士にそう習った。それ故に、人は常に己を律する必要があるのだと。

「よろしく、お願いします」

 隣に立つ、哀れな姫君が頭を下げた。否。この娘は、けして哀れではない。一命をとりとめ、領土を自らの手で滅ぼす。その権利を、奪回せしめたのだ。さらには今後の人生に希望を繋ぎ、そのための手管を模索している。いささか歪みが見え隠れしているが、人生の目的も備えている。彼女はたしかに不幸に遭った。されど、哀れではない。むしろ、幸福だと言っても差し支えないだろう。

「でき得る限りは」

 領主は、最低限の言葉を返した。二人の前では、未だに炎が紅々と燃えている。すべてが滅び去るまでには、未だ時が掛かりそうであった。

***

「【尖兵】が、滅びました。逸った結果としては、妥当でしょう」

 何処とも知れぬ洞窟。黒色に染まった手鏡を手に、一人の男が佇んでいた。細目に細身。商人めいた装束を、身にまとっている。彼は手鏡越しに、声を放っていた。どこかと、連絡を取っているのであろうか。

「ええ、ええ。なにも問題はありません。蝙蝠変化を失ったのは痛いですが、彼は勝手な行動に出て自滅したまで。私の采配に従えば、どうにでもなりますとも」

 おお。この慇懃な口調。細目に細身。覚えておられる方は居るやもしれぬ。そう。【闇の伝道師】を称する男、パラウスだ。この男、なんぞや企んでいるのであろうか? 連絡の声は、さらに剣呑さを増していく。

「なぁに。まだまだ仲間はおりますとも。【豪傑】。【傾城】。【呪法遣い】。そしてこの私。貴殿――【宰相】どのまで含めれば、いかなる計画をも完遂できることでしょう。荒野を【闇】に染める日も、遠からずや」

 なんたること。この伝道師、荒野を【闇】に捧げようというのか。匪賊野盗の多き地とはいえ、人々が自由を謳歌する地を暗黒に染め、あわよくば【闇】の聖地とせんと目論んでいるのか。なんたる悪行。なんたる計画。止めねば、荒野は。

「ええ、ええ。貴殿は引き続き国政を掌握していてください。大まかな計画は、我ら四人で進めます。否。すでに進んでおりますれば、なにも恐れることはございません」

 ああ、【伝道師】が高笑う。彼とその仲間は、すでに恐るべき計画を進めているのだ。しかもこの様子では。

「はい。誰一人とてこの企みには考えが及ばぬことでしょう。いと優しく、いと哀しき我らが神のため、必ずや、目的を果たしましょう」

 おお、おお。なんたること。【闇】なる者の企みは、あまりにも深い。神々の目すら掻い潜り、深く、隠れて進行していた……。
 事実、この計画が白日の下に晒されたのは、一つの事件が起きてからだった。

奪回の姫君・完

いいなと思ったら応援しよう!

南雲麗
もしも小説を気に入っていただけましたら、サポートも頂けると幸いです。頂きましたサポートは、各種活動費に充てます。