441 使い所に書きどころ

小説のための書く力を、日記という形で消費してよいのか。資産形成を考えていないとはいえ、小説家は小説で戦うべきではないのか。

場末のWEB小説家であっても、そんな考えはふとした時によぎるものである。

本来なら一つの小説に筆を傾注し、全身全霊で向き合うのが最上なのだろう。いや、集中の仕方は人によるものでもあるが。

「群像劇の断片図」も、そんな経緯でまた止まっている。

いい加減、noteは日記帳と割り切るべきなのかもしれない。あるいは、小説を置く場所として出直すか。その場合、日刊南雲はどうするか。

やる場合には、多大なブランディングを伴う行動になってしまう。複数アカウント取れるならまだいいけど。それにしてもなんだかなあ。

毎日コツコツ積み上げても、日記帳だと意味がない可能性がある。それは十分にもうわかっている。それでも。

惰性になりつつも、今日も嘘はつかずに書いていた。

おわれ

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南雲麗
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