2/17 真実は……
真実はいつもひとつ。死神級に殺人事件と出会う、どこかの元高校生名探偵な少年は言う。
だが、現実は容赦なく彼を嘲笑うだろう。真実でなく、事実ならその場にあるだろうと。
司馬遼太郎が事実から創作を起こしたように。真実とはたやすく捻じ曲げられる。
ある一面からの真実は他の真実によって排斥され、結果として都合の良い/悪い真実が歴史に残される。
今一度明言しよう。真実は『不在』なのだと。
殺人事件が起きた。これは事実だ。
容疑者が判明し、トリックや動機を白状した。これも事実だ。
だが、この先は全て推測。類推である。
被害者が本当はどのような人物だったのか。加害者の動機は、適切だったのか。全ては事実からの推測でしかない。考え方ひとつなのだ。
ここで貴方は、気付くだろう。『事実とは。事実でしかない』と。
例えば、貴方がミスをした。叱責された。叱責されるまでが事実となる。
だが。解釈はいくらでも生み出せる。
自分/相手を無能と断じる。ミスのみを受け止める。何かしらの言い訳をしてなかったことにする。引きずる。それはそれとして次に向かう……。
選択肢は、ごまんとある。だが、解釈の仕方が己にあると。知って悪いことはないはずだ。
それだけで。コントロールの可否が分かれるのだから。自分の手綱を、握れるのだから。
おわれ
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