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悪夢払い #3

<#1> <#2>

 そうして、三十日の時が過ぎた。彼らの周りに、変化はない。王は悪夢に悩まされ、近習はそこに打ち掛かる討ち手を殲滅する作業に追われていた。しかしその陰では、着々と策は進行している。裏の世界に、少しずつ『ガノン殺害を目論む側近』の噂が広まりつつあった。では、その担い手は?

「今しがたガノン王の悪口が聞こえましたが、お嫌いでして?」
「ああ。嫌いだ。奴は我々から権益を奪い、庶民どもに分け与えている。我々の間では、憎き者としてしか捉えられていないぞ」

 夜のヌルバダ王都。いささか猥雑な酒場に声が響く。肥えた商人が女を侍らし、酒を嗜んでいる。その中の一人、商人にしなだれかかる女は……

「あら。もしかしたら、近い内にお亡くなりになるかもしれませんわよ?」
「む? 奴が昨今悪夢に魘されているらしいとは聞いたが、それでもあの丈夫さだ。そうそうすぐには……」
「そうでもありませんようでして……」

 女が、商人に向けて声を潜める。しかしそのかんばせに、見覚えはないだろうか。黒髪長髪。切れ長の目。そして大きな黒瞳……もしや!

「王宮に、まことしやかに伝わる話がありまして……」

 そう。ウリュバスの側女、まさにその人! ウリュバスの講じた策を果たすべく、彼女自身がその一翼を担っていたのだ! 先述したガノン憔悴の噂も右に同じ。彼女がこうして、少しずつ裏を駆け巡らせたのだ。

「…………」

 こうして夜を巡っていく噂は、巡り巡って裏にも伝わっていくこととなる。彼女のやり口は大したもの。こんな大事おおごとの噂にもかかわらず、民草や王宮には、真実味の薄い戯言としてしか伝わることはなかった。
 かくして。

「僕に会いたいという人物がいる?」
「ええ。呪い手とやらに行き着くかはわからないけど、相応の結社みたいね。夜のツテを使って、接触があったわ」
「へえ。君にたどり着くというなら、相応に力はあるんだろうね」

 命が下されてから、五十日ほどが経過したある夜。ウリュバスと側女は、酒を酌み交わしていた。議題は、策の進捗。網に掛かる者があったと、側女からの進言があったのだ。

「アタシもそう思うわ。周りに人がいないのを見計らって、声を掛けて来たからね。多分、アタシの正体辺りまではたどり着いてる」
「わかった。まあ……結局そいつら、僕に消されるんだけどね」
「ん? 悪夢の下手人じゃないとしても?」
「当たり前だよ。あの王を嫌う者は多い。嫌う以上、いつかは王の敵になる。敵は、少ないに越したことはない」

 決然とした表情のウリュバス。側女は『怖いわね』と言葉を漏らした。もっとも、真に恐れているかは解り難いのだが。

「当然だ。僕は王の刃、そのものでもある。刃が錆びていれば、王が見くびられる。そんな王は、僕の望みではない」
「どこまでも、王なのね」
「どこまでも、王だよ」

 呆れ混じりの側女の声さえも、ウリュバスは堂々と肯定する。おお、これこそが、彼の生きる道だというのだろうか?

「まあ、わかったわ。連中の根城アジトは……」

 側女がウリュバスに身を寄せ、耳に口を運ぶ。そんな妖艶にさえ見える仕草にも、彼は一切動じない。それもまた、彼の精神性の体現であった。

***

 数日後、ウリュバスの姿は王都の外れにあった。もっとも、忍んだ姿である。フードの付いた外套を身に着け、ひさしを目深にかぶっている。眉目秀麗は巧みに隠され、並の人物ではウリュバスその人とも気付けぬであろう出で立ちとなっていた。

「……」

 さしものヌルバダ王都といえども、外周部ともなると整備は行き届いていない。荒れた道が多くなり、建造物も無作為、無法に建てられたものが多くなる。違法な賭博の声や怪しげな物売り、いかがわしい声掛けなどが横行さえもしている。おそらくは、周辺地域から、王都へ不法に住まっている者も多いのだろう。

「…………」

 ウリュバスは、そんな風景に目を配りながら考える。この風景が、己とは関係のないものか。それは嘘になる。王の治世がこの状況をもたらしているのであり、自身はそれを側で支える者である。なれば。この風景の一因を担っているのも、また己なのだ。

「………………」

 そんなウリュバスの表情かおが、ピクリと動いた。周囲に、気配を感じたのだ。

「五……六。遠くのものまで含めれば、十を越えるか? 大した展開力だ」
「なるほど。その察知力、まさか王の最側近が出て来るとはな」
「む」

 最後の気配は、目前に現れた。襤褸ぼろを被った、やや背の低い人物。声色からするに、男だろうか。ウリュバスは、密かに警戒値を上げる。この眼前に立つ人物、その直前までまったく気配を感じなかった。強者か。あるいは襤褸に紋様を隠し持つか。いずれにせよ、油断はならぬ。

「……面体風貌を隠せども、腕前は隠せぬ、と」

 ウリュバスは、先手を取って顔を晒した。無論、ここまでしたからには腹は決まっている。この場に立つ全員を、斬り伏せる覚悟だ。そうでなくばいずれ、己が謀反人として告発される危険がある。なにをどう言い繕おうとも、王への殺意は歴然たる事実なのだ。

「その通りだ。察しも良い。腕もある。立場も重要。我らの潜伏同志たるに、相応しい存在だ」

 襤褸の人物が、首を縦に振った。しかし、襤褸を取る様子はない。ウリュバスは、さらに警戒を厳にした。この用心深さ、只者ではない。否、叛徒ならば必然か? とはいえ、油断せぬに越したことはない。

「付いて来い。我らの企み、その一端をお見せしよう」

 それに気付いてか気付かずか。襤褸の人物が背を向けた。ウリュバスを、そして気配どもを導くように、歩き出す。ウリュバスはひとまず、素直に付き従うことにした。やがて見えるは、廃墟と化した聖堂だった。

「これは」
「お前たちの王が、先代王を弑した時に焼かれたものだ」
「では君たちは先代王の」
「そこは関係ない。使いやすいから、使っているだけだ」
「そうか」

 襤褸の人物に従って、ウリュバスは廃墟へと踏み込む。途端、彼を強度の陰気が襲った。じっとりとした、なんとも言えぬ重苦しい空気。これは、環境のせいではない。気配察知に優れた彼の感性は、瞬く間に陰気の正体へと近付いていく。しかし、徐々に一歩が重くなっていた。額を通じて、滴る汗。気配どもも、付かず離れずながらも、近付いて来る。

「ほう。さすがの察知力だ。だが、もう少しだけ耐えてもらおうか」

 襤褸の人物が、声を漏らす。ウリュバスは軽く口の中を噛み、己に強いた。己の感性が正しければ、この先に。それは百歩先か。二百歩先か。わからぬのであれば、歩くほかない。やがて彼らは、聖堂跡の最奥へとたどり着いた。陰気はいよいよ色濃くなっており、襤褸の人物を除いて、誰もが足取りを重くしていた。ウリュバスには、それさえもが感じ取れる。だが歩いた。そうして進んだ先に、一人の人物と紋様陣が見えた。瞬間、ウリュバスは直感した。ここが、こここそが! 陰気の発信源である! すなわち!

「ご明察。大したものだ」

 襤褸の人物が、ウリュバスに顔を向けた。同時に、顔を覆っていた襤褸を外す。見立て通りに、男だった。さして歳は取って見えないが、それでも十人近くの人間は束ねている。相応の力はあると、見るべきか。

「我々がお前たちの王を呪い、悪夢に魘されるように仕向けた」

 陰気の発信源たる人物が、のっそりと立ち上がった。襤褸の人物よりも大柄で、顔中に紋様刺青いれずみを刻んでいる。いかなる神を称揚するものかまでは、解読せねばわからない。だが、ガノンを悪夢にて呪うとなれば。

「王を悪夢にて弱らせ、王権を緩ませる。しかるのち、我々の手、あるいは近しき者によって討ち取る。それが、我々の計画だった」
「それで、私に接触を図った」
「その通り。手頃な噂が転がり込んだのでね。発信源を慎重に探り、声を掛けた。結果、今に至る。重畳だ」

 襤褸の人物……というのはもはや正しくない。陰謀の首魁は、饒舌となった。呪いの男は、無言のままにその傍らに立っている。この二人こそが、集団の頭領だと見るべきだろう。

「さて。お前は王を殺したい。そう、我々は判断している。されど、まだ真なる言葉を聞いてはいない」

 陰謀の首魁が、右手を差し出した。そして呼び掛ける。

「我々と組み、潜伏同志となるのであれば、この手を取れ」
「そうだな」

 ウリュバスは、同じく右手を差し出した。その手を、首魁の手に……添えない。寸前でかわしたあと、手は流れるように剣へと向かい……

「私は我が手で、あの王を殺したい」

 次の瞬間、凄まじい剣速が空気を薙いだ!

#4へ続く

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南雲麗
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