ガノン・ジ・オリジン(ピース・ツー)~戦神~ #1
戦神に愛され、南方蛮人でありながら中原の王にまで上り詰めた男、ラーカンツのガノン。黒河から白江までのあらゆる民をその威光のもとに治めた彼の生誕には、数多の伝説が描かれている。ある者はガノンの母が、懐妊時に赤銅色の太陽を飲み込む夢を見たと言い、またある者はガノンが母の胎より出でし時、その右手に赤銅色の血の塊を握り締めていたと語る。
此度語られしは、そんなガノンの真なる生誕と、彼を含めて南方蛮族の崇敬を集める、戦神について。そして、ガノンと戦神の関わりを語る。そんな起源の物語である。
***
「夢枕に、戦神がお立ちなすった、だぁ?」
「あぁ、そうさね。戦神様が夢に現れてね。『汝の腹に住まう子、猛き者なり』って。そうおっしゃったのさ。お姿までは見えなかったけど、間違いなく戦神様のお告げだよ。それともなんだい? アタシの言うことが」
「待て、そうじゃない……」
南方蛮族――彼らはラーカンツと名乗っている――、ガラナダの地。多くある天幕の内の一つにて。臨月を迎えた夫婦による、他愛もない痴話喧嘩が交わされていた。しかし、この他愛もない痴話喧嘩こそが、ガノンの生誕、その真実である。
「だいたいアンタはね……」
「大きな腹を抱えて立ち上がるな! 腹の子が暴れるだろうが!」
「いんや、今日こそ言わせてもらうよ! アンタは……うっ!」
「ほら言わんこっちゃない! おおい、産婆と、女手を何人か……」
慌てた夫が、飛び出さんばかりの勢いで天幕から駆け出す。妻は腹を押さえつつも、苦笑いを浮かべていた。たしかに陣痛は始まったが、真実生まれ出ずるのはまだ暫く先である。女の戦――新たなる生命をこの世に産み落とす戦い――は、まだ始まったばかりであった。
そして数刻後。ガノンは無事にこの世へと出生を遂げた。のちに紐解かれたラーカンツの史書には、『その産声は雷鳴の如く。ガラナダの地をつんざき、氏族すべての者が【強き雄】の誕生を悟った』と、伝えられている。さすがにこれには誇張も含まれているだろうが、事実として――
「う、産声もデカいかと思ったが、身体もデカいな……?」
「だろう? コレがスルッと出て来たんだからアンタ、嫁さん褒めてやらなくちゃ。ああ、まだ耳がジンジンするよ。こりゃ、強くなるね」
妻の隣に寝かせられているのは、過去に見て来た赤子の、倍はあるのではないかと錯覚するぐらいに大きな赤子だ。これを目の当たりにし、産婆に指摘されて。ようやく夫……否、父は我に返った。雷の如き産声に耳を叩かれ、その大きさに唖然としたわりには、切り替えは早く。
「……っ! アミナ、でかした!」
「……ヌジュメト。……ありがと」
夫からの褒め言葉。手を握られる。力強い。これには妻も笑顔を浮かべ、涙をこぼした。しかし、次の瞬間には気丈にも。
「それで……名前、決めてあるかい?」
息は荒く、常の勝ち気さは薄れている。しかしさすが婚姻前は【女戦神】、【ガラナダ一の女傑】とまで言われていた女性である。その精神性は、少したりとも削がれてはいなかった。
「あ、ああ。ガノン、だ」
「ガノン」
「戦神に猛き子となると言われたのだ。強き名を授けたい。だから、呪いの婆に聞いて来た。即答だった」
母となった女の圧に気圧されつつも、男は興奮気味にいきさつを語る。その姿に、母は満足したようで。
「わかったわ。この子はガノン。アタシたちの子。戦神様の、新たなるお子。きちんと、祈りを捧げなくちゃねえ」
「ああ、やるぞ。俺は、ヌジュメトは、生命にかえてもこの子を育て上げる!」
「その意気だよ、アンタ。だけど、死んじゃぁよくない」
「わ、わかってらいっ!」
こうして陽は高く穏やかな日。産声高くガノンはこの世へと躍り出た。彼がのちに【戦神の申し子】、【赤髪の牙犬】、【大傭兵】、【東部域の覇王】とまで呼ばれることになる一代の英傑になろうとは、神々のみぞが知るものであった。
***
それから、五年の月日が過ぎた。いと大きく生まれたガノンは、大病をすることもなくすくすくと育っていた。
「速い!」
「うわぁ! またガノンが圧勝だぁ!」
「駆け足でも押し合いでもガノンが一番かよ」
「もうやだぁ!」
見よ。同じ年嵩と思しき童子たちが群れて遊ぶ中、一際異彩を放つ童がいる。体格だけであれば七つ、いや九つにまで見えるのではないかとばかりに、その童は大きく、強く、速かった。しかしそれでも、童たちに『諦める』という言葉はない。否、こうして遊び合って絆を作り、時に強き者に挑むことによって、ラーカンツの勇猛さは作り上げられていくのだ。
「畜生、こうなりゃ二人がかりだ!」
「行けー! 押せー!」
「ぬんっ!」
「うわ、ガノンの足が止まって……ああ! 一人ずつ押し出された!」
「おかあさーん! ガノンと遊ぶのもう嫌だよぉ!」
とはいえ、ガノンはあまりにも他者を圧倒し過ぎていた。その強さを盾に他者を蔑むことこそないものの、そのことが逆に、童たちの間でガノンが浮くことにも繋がっていた。
「いいねえ。ガノンは見事に育っているよ」
「とはいえ……。ちょーっとアレはまずくねえか? 手を抜けとは言えねえけどよ。あんまりにも、その」
童が群れる草原から少し離れた場所。ガノンの両親たるヌジュメトとアミナが言葉を交わす。父はやや心配げである。だが、母はむしろ胸を叩いてガノンを肯定した。
「いいんだよ、ガノンはアレで。下手に群れるよりは良いってものさ。それに、もうすぐ五歳のお参りだろう? それを過ぎれば」
「なるほどな。戦神様の御手から離れ、正式にガラナダの、ラーカンツの子となる」
「そういうことさ」
アミナが胸を張ると、ヌジュメトも笑顔を見せた。童が冥界神の御下へ招かれることが多かった時代、童は一定の歳まで神の子とみなされることが多かった。二人が語ったのも、その名残である。
「夢枕のこともあるし、しっかりお礼しないとな」
「そうだねぇ。三人揃って、きちんとあの山に登ろうか」
二人の視界には、小高い程度の山が見える。それこそが、ガラナダ氏族における信仰の山である。遥か古、ラーカンツの聖地に降り立ったとされる戦神が、ラーカンツの各所を巡って定めたとされる十四氏族の故地。その一つである。この山に登って聖地を向き、戦神に子の無事を報告。正式に氏族の子として貰い受ける習わしこそが、『五歳のお参り』であった。
「アタシはねえ。ガノンに最後まで歩かせるよ」
アミナが、力強く言う。
「おいおい、大丈夫か? いくらガノンが強いと言っても」
「大丈夫さね」
不安を見せるヌジュメトに、アミナはニッカリと笑った。その顔には、女傑たる自負と、これから放つ言葉に対する自信というものが詰まっていた。
「ガノンは音を上げやしないさ。仮に音を上げたとしても、アタシが歩かせる。それくらいできなきゃ、親じゃないよ」