1/31 小説家とは嘘つきである
小説家は嘘をつく
小説家とは、嘘をつく者である。なぜならば、虚をもって物語を紡ぐからである。
いきなり暴論を吐いたが、ノンフィクションでもない限り、小説とは全てウソである。フィクションである。
ただし、その嘘はほとんど一度限りの大嘘である。
異世界物ならば「地球と異なる世界がある」という嘘。
能力物ならば「超能力がある」という嘘。
例え現代日本ものであろうと、「そのキャラクター、もしくは舞台は実在しない」という嘘がある。
確かに嘘をつくが
まあこう言うとおそらくツッコミがあるだろう。
魔法の存在は?
超能力の構成は?
舞台構成は?
頭の良い方なら、もっと傷を見つけられるだろう。だが、見方を変えるのであればその小さな嘘は。
「嘘に殉じて、よりリアリティに構築した結果」
とも捉えられないだろうか?
魔法は異世界の異世界性を保証する良質なパーツだ。
超能力は我々の世界でもいくつかのネタが有る。
舞台の構成? それこそ材料はリアルに存在するではないか。
嘘を嘘のままにすれば、それはいつか暴かれる。小説家は、嘘を真に見せなければならない。
中世ヨーロッパ「風」も、RPGゲーム「風」も。そのためのパーツなのだ。読者が、像を結びやすくなるのだ。
それだけで、リアリティが増すのだ。ドラゴンクエストシリーズの、一貫した中世風味。その偉大さが垣間見える。
嘘を真に見せ、読者の脳裏に像を描かせる。それが小説家が読者にできうる、最大の貢献である。
小説家とは
身も蓋もない話をしよう。小説家とはすなわち、「嘘の上手さ」で生きているのである。
詐欺師か! と怒られそうだ。しかしそうではない。
プロの小説家は、金を対価に夢を差し出す。
一流の詐欺師は、最後に大きくハメる。
僅かな違い。それは「嘘を嘘と見抜けるか」にも通じるのだろう。小説家は、よほどでない限り。あらかじめフィクションを明言している。
司馬遼太郎も。JKローリングも。アガサ・クリスティーも。何なら紫式部だって。あらかじめ嘘を公言していたはずである。
ではなぜ、多くを魅了したのか? 「司馬史観」なる物が生み出されたのか?
その嘘に、リアリティがあったのだ。間違ってもリアルではない。リアルは、時にトンデモ展開すら許容する。
地下鉄サリン事件を。9.11同時多発テロを。インド洋大津波を。事前に予期し得た人間など、皆無に等しいのではないか?
本能寺の変はもしかしたら明智光秀の、ほんの思い付きだったかもしれない。そう言われて、納得の行く人間がいるだろうか?
そういうことだ。陰謀論は行き過ぎとしても、人間は辻褄を求めるものだ。故に時にフィクションは現実を上回り、事実は小説より奇なりともなる。
だからこそ。小説家は嘘に殉じてリアリティを描くのだ。
小説家とは、嘘つきである。
おわれ
追伸:月末特別編は休刊とします。自己と向き合った結果、今はそうあれかしと感じたゆえの決断です。
方針がコロコロ変わり、真に申し訳ありません。