報仇の乙女 #6(終)
一人を斬り捨てたガノンに残されたのは、残り二人の処遇であった。女首領の手下どもは? 彼らはすでに漏らすか、逃げ出すかをしていた。わずかに残った無事なる者にも、すでに戦意は残されていない。ガノンは無人の野を行くが如く、女首領へと迫っていった。
「取引……とはいかないようだねえ」
「無論だ」
いと狡猾な女首領はされど、同時に自身の敗北をも確信していた。まずもって、腕っ節では絶対に敵わない。さりとて知恵を振るおうにも、もはや使える手駒がほとんどない。そして今、そのための提案さえも撥ね付けられた。
「あ、ああ……おたしゅけ……」
そんな女首領に残された手段がこちらである。かつて、非道領主だった『もの』。今や縛られ、涙し、命乞いを繰り返すだけの生き物に堕したもの。ただし、女首領は理解していた。『これ』をガノンに差し出したところで、己の生命は保証されない。その奥に立つ乙女。その強い憎しみの視線が、己を向いていた。女はしばし、逡巡した。思考に耽った。しかし、ややあってから弓を置き、携えていた矢も捨てた。抵抗の意志を、捨てたのだ。ガノンを見据えたままに、彼女は口を開いた。
「参ったよ。せめて、最期の願いだけは聞いとくれ」
「なんだ」
「死ぬなら、強い男に抱かれて死にたい。そう。アンタに絞め殺されたいのさ」
「……。また奇矯な趣味だな。だが、叶えてはやれん」
「なぜだい?」
半ば答えを知っていながら、女首領は訊ねた。せめてもの、時間稼ぎである。浅ましいことは、彼女もわかっていた。さりとて、このまま終わるわけにも行かなかった。最後に残された、些少の意地。この間に、切り抜ける策が浮かべば――
「こうするからだ」
「!?」
おお、なんたること。いつの間に身をねじ込んでいたというのか。気付いた時には、彼女はガノンの羽交い締めを受けていた。しかも、軽く宙に浮かされていた。
「な、なにをするんだい!?」
「抱擁の真似ごとをされるだけでも、ありがたく思え」
ガノンの低く押し殺した声が、耳元近くに響く。それは常であれば、彼女の好色を満たし得るものであっただろう。されどこの危地にあっては、そんなものなど吹き飛んでしまう。女首領は、必死に足を蠢かせた。ジタバタと動く、悪足掻きの足。その先に。
「今こそ、ですね……」
決意を固めた、乙女がいた。その手には、どこで手に入れたのか、短いナイフが握られている。先の交渉時に、ガノンが買い付けていたのだろうか?
「……チッ。どうやらアタシも、税金の納め時のようだねえ」
「その通りだ」
ガノンが諸手で、女首領の口を塞いだ。もはや彼女に、抗う術はない。白刃を握り締めたマルティアが、その腸をめがけて、襲い掛かる。
「皆の仇ッッッ!!!」
「ふぐうううっ!」
深々と突き立て、そして抜く。それだけの行為で、女首領の衣服は朱色に染まった。ガノンが拘束を解くと、その身体はいとも容易く崩れ落ちる。狡猾にして残忍なる女首領は、ここにその命運も尽き果てた。
「はあ……はあっ……!」
興奮と動揺に、震えを隠せぬマルティア。ガノンは大いなる手でその肩を叩き、地面近くを指し示した。そこには、もう一人の仇敵。
「あ、ああ……! ひゅまなきゃっひゃ……たしゅ、け、て……」
うわ言めいて命乞いを繰り返す、かつての非道領主。しかしその目に正気はない。己の上を行く非道に蹂躙され、尊厳を壊され、なにもかもを失ってしまった。その結果が、今の哀れなる姿である。見下す目つきのまま、ガノンが口を開いた。
「戦いの矜持を捨てた、戦神にもとる惰弱の男だ。どうする」
「……本来であれば、仇敵として殺すところです。ですが」
仇敵に目を向けたまま、マルティアが答弁する。『殺す』の言葉で、非道領主は一瞬顔を引き攣らせた。どうやら、死への恐怖は残っているらしい。その姿を見届けつつ、マルティアはたおやかな笑顔で。
「領主様。『遊び』を致しましょう」
「ひっ!?」
屈んで領主に目線を合わせ、言い放つ。その意味を、なんとなくでも悟ったのだろう。領主の顔は、ことさらに引き攣った。
「あなたは、解放されます。しかしそれ以上の情けはありません。城に戻りたくば、自分の足でお戻りください。それができるかどうかの、『遊び』です」
「いぎーっ!?」
聞かされた領主は、目ん玉が飛び出んばかりに目を見張った。彼が犯した醜態は、すでに枚挙に暇がない。この上生き恥のまま居城に戻るなど、とても許される失態ではなかった。
「ああ、別に道中で自裁なさっても結構ですよ? わたくしは責めません。ですが、そのための道具も。あなたがご自分で手に入れてください」
「あ……あ……」
領主の双眸から、大粒の涙が落ちる。彼は、悟ったのだ。死よりも厳しい裁決を、無慈悲に下されたのだと。彼は必死に、首を横に振る。だが、ガノンの剣により、無情にも身体は解き放たれた。
「行け」
なおも震えたままの領主に、ガノンが冷たく言い放った。二人の視線が絡み合う。僅かな無言ののち。
「ひ、ひいいいっ!!!」
最初は這いずるように。やがて四肢の自由を確認したのか、立ち上がって。一目散に村から立ち去っていった。ガノンたちは、その姿が見えなくなるまで見送って。
「……まあ、戻れはしないだろうな」
「わたくしも、そう思います。そもそも戻ること自体が、生き恥でしょう」
「違いない」
ガノンがそう言うと、二人は軽く笑い声を上げた。乙女にとっては、久方ぶりの笑い。ひとしきり、カラカラと笑って。
「で、おまえはどうする」
ガノンが常の顔に戻り、乙女に尋ねた。乙女もまた、ガノンを真っ直ぐに見、告げた。
「わたくしの手は、報仇によって血に塗れました。身寄りもありません。よって、どこかの聖堂にて懺悔し、そのまま出家しようかと」
「……そうか。ならば、近くの街まで送るとしよう」
「えっ……」
「構わん。行き掛かりの娘に死なれて精神が保てるほど、おれは頑健ではない」
「は、はあ……」
戸惑う乙女を、ガノンは馬に乗れと促した。木に繋がれていたダブ馬に、彼女が跨る。ガノンは手綱を器用に解き、言った。
「行くぞ」
「参りましょう」
こうして乙女と、その刃たる男は報仇を果たし、地平の彼方へと消えて行った。
なお非道なる領主の行方は、その後杳として知れなかった。行き倒れたか。匪賊に狩られたか。あるいは自裁を果たせたか。ともあれ、罪に相応の死に方を遂げたのであろう。そう信じて、この話を締め括る。
報仇の乙女・完
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