ガノン・ジ・オリジン(ピース・ワン) #4
かくして、時は来た。彼らの栽培する数少ない作物の収穫が終わると、十四の氏族は数日を掛けて聖地に集う。その地にて三日三晩、昼は奉納勝負、夜は楽器を打ち鳴らし踊りに浸る大祭が開かれるのだ。
「……ガノン」
「大丈夫だ。おれは打ち勝つ」
聖地へと馳せ参ずる移動の当日、ガノンは姉貴分の訪問を受けていた。陽に良く灼けた身体は湯浴みによって輝ける程に磨かれ、普段は伸ばし放題の赤髪も後ろで一つに括られている。鼻下と顎には常には伸ばさぬ髭が蓄えられ、わずかでも他の代表戦士に見劣りせぬよう、苦心した痕が見受けられた。
「心配すんねい、ベラのお嬢。ガノンは申し子様じゃ。どうにでもなる」
「ちょっと! ベラちゃん、いつもありがとうね。ガノン。アンタ、おなごを心配させるんじゃないよ」
ガノンが常と変わらぬ表情を見せれば、すかさず両親が出て来て言葉を連ねる。ガラナダ氏族を支える家柄にしては、少々ざっくばらんだ。しかしながら、これがガノンが住まう家の家風であった。
「おれは勝つからこそ勝つと言った。そこになんの問題がある」
「問題はないけどね。言い方ってものがあるのよ。もう少し、こう……」
「ええい。女は心配性だから困る。いいか。男が勝つって決めたらなあ……」
ガノンの口答え――率直な疑問を皮切りに、家族は終わらない押し問答を始めてしまう。そのさまを見た姉貴分――ベラは、立ち尽くす。同時に、思考を回す。もしかしたら今生の別れ、その発端となり得る今日この日を。このまま無為に終わらせて良いのかと。ガノンになに一つ言えぬまま、終りを迎えても良いのかと。そして。
「すみません、失礼します!」
ベラは意を決し、天幕の中へと踏み入った。従来であれば、主人の許可を得ぬ踏み込みは礼を失するものである。ましてや成人前の淑女をや。だが、いまのベラには関係なかった。一息、ガノンの腕を掴む。そして、引っ張る。
「ベラ、なにを」
「ガノン、来て」
ガノンを天幕から引っ張り出し、そのまま一息に駆ける。たちまちにその姿は遠ざかり。残されたのは夫婦と、まだ年端もいかぬガノンの弟妹のみとなった。
「なんでえ、ベラのお嬢。急にどうしたってんだ」
「アンタ、無粋だよ。男に戦う時があるように、女にだってここ一番があるのさ。ここは見逃してあげな」
「むう……。まあ訴え出るほどのことではないか」
父は頬を掻き、母は笑みを浮かべて。日々の暮らしへと戻っていった。二人にはまだ、幾許かの猶予が残されていた。しかしガノンよりも一つ年上の乙女には――
「ハッ……ハッ……!」
「どうした。人に見られたら、なにかと思われるぞ」
ガノンと言葉を交わす猶予なぞ、もはやほとんど残されていない。その一心で彼を森へと連れ出したベラは、息を切らせて木に寄り掛かっていた。
「わかってる……。でも、言いたかったことが、あるの」
「なんだ」
それでも娘は、絶え絶えに言葉を繰り出す。他人に見つかってしまえば、なんと呼び囃されるかわからない。ここで告げた言葉によって、なにを申し渡されるかもわからない。ただ、それでも。ガノンに告げたい言葉があった。
「わたし、は、まつ。たとえもどってこないとしても、がのんをまつ」
「っ!」
息切れ混じりの、か細い声。しかしながらガノンにも、その意味は通じた。通じてしまった。それが氏族、ひいてはラーカンツの民にとってどのような意味を持つか。ガノン自身も、これまでの教育で良く知っていた。
「ベラ、おまえ、は」
「いわないで。これは、わたしの勝手。わたしがやりたくて、やること。あなた、には、かんけいない」
思わず近寄ろうとするガノンを、ベラは片手を上げて制した。この決断は、あくまでも自分の勝手。ガノンに支えられれば。ガノンから答えを得てしまえば。それは約束となってしまう。ベラはガノンを、縛りたくはなかった。ガノンが外を望むことは、もはや変えようがない。それは繰り返してきた問答でわかっていた。ならば、己にできることは? ずっと、ずっと考えてきた答えが、今この場にあった。
「……わかった」
ガノンが、ベラに対して背を向ける。思わずして、ベラにこみ上げるものがあった。彼の広い背中に、すがりたい。そうしてでも、彼をこの場に押し留めたい。そんな欲望が、己を急き立てる。しかしベラは、最後までその想いには屈しなかった。歯を食い縛り、顔を上げぬことで耐え切った。わずかに視線をやれば、ガノンがゆっくりと遠ざかっていく。少しずつ、森から去っていく。彼の大きな背中が見えなくなった後、ベラは小さく嗚咽し、その場に泣き崩れた。
***
時の流れは、すべてを飲み込んでいく。小さい出来事など、その前には塵芥でしかない。すなわち、残酷なまでに移動の時は訪れ、そして到着の時もやって来る。ガラナダの男どもは4日に渡る旅路を終え、牛を連ねてラーカンツの聖地へと至ったのだった。
「ラーカンツ十四氏族が一つガラナダ、ここに着陣!」
「ご苦労! 大祭は明日より執り行う。今宵は疲れを癒やすが良い!」
「はっ!」
氏族使節の代表が、聖地と大祭の運営保守のみを任された氏族の者と言葉を交わす。彼らは十四氏族の埒外であり、代表は出せない。また、ラーカンツの対外的代表であるテ・カガンも、この氏族からのみ選出される。とはいえテ・カガンはあくまでお飾りであり、実権は十四氏族の上位に属するいくつかの氏族に委ねられているのだが。なおガラナダ氏族は、その数氏族には属していない。一方ペルーザは上位氏族に属している。その事実もまた、ガラナダの本大祭に対する士気を高めていた。
「ガノンよ、今夜はゆっくり休んでくれ」
「頼むぞ、ガノン」
「お前しかペルーザの鼻をあかせる者はいない。やってくれ」
代表戦士のためだけに用意された天幕の前で、氏族の者たちが口々に期待を寄せていく。その言葉の羅列をガノンは、こともなげに受け流した。彼にとって、大祭での勝利は最低条件である。彼の想いはその先、いかにしてラーカンツの外へと出るかという一点にのみ注がれていた。その起点となる勝負は、明日の一番勝負になる。そう決したと、先に伝令が届いていた。
「……」
ひとしきり氏族の者を見送った後、ガノンは天幕に佇んだ。すべての調度が整えられ、十分な広さが確保されている。なんなら、鍛錬を行っても許されるほどの広さだ。代表戦士が時を過ごすために、万端の準備をもって整えられている。未だ年若いガノンでも、はっきりと理解できた。テ・カガンの氏族は、見せかけだけではないのだと。
「とはいえ」
ガノンは日々をともにし続けた棒を持ち、天幕の外へと躍り出た。いかに設えられた宿舎とて、肉体に宿る熱を冷やすには至らない。己に燃え盛る熱を冷やすには、やはり外の風こそが肝要だった。
「ふー……」
息を吸い、そして吐く。ラーカンツの中でも比較的高地にある聖地の風は、少々冷たい。しかしながら、内なる熱をくゆらせるには、丁度良いものであった。ガノンは棒を握り、そして振る。いつも通りの鍛錬を始めんとした時。
「なんだなんだ。奇遇だな。そうよな。戦神に戦を捧ぐ代表戦士が、鍛錬を欠かすはずがないものな」
不意に掛かる声が、ガノンを止める。ガノンは声の方角を見る。そして驚く。視線の先には、己より頭一つ分大きい男がいた。右頬と鼻下に大きな傷痕を持ち、十文字に交差させている。赤茶けたざんばら髪をしており、隆々とは言わないまでも、確かな筋肉の鎧がそこにはあった。右手には棒。口ぶりからすると、この男も。
「おう。貴様はどうやら初顔だな。俺はペルーザ氏族の代表戦士だ。人からは、【天を衝くアマリンガ】と呼ばれておる」
「……っ!」
ガノンは思わず表情を崩す。明日、己の命運を決する大敵が。自身の目前に立っていた。