ガノン・ジ・オリジン(ピース・ワン) #8
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天を衝く男からの落雷が、ほのかに輝く男を襲う。それは常であれば、生命を奪う一撃となり得るはずだった。しかし。
「やはり」
アマリンガは、いとも冷静に受け止めた。彼の一撃は、ほのかな輝きによっていとも容易くかわされてしまった。その速度たるや、これまでのガノンとは比にならなかった。ただでさえ相応に疾かった動きが、さらに鋭さを増していた。これは。ああ、これは。
「それでも!」
アマリンガは間合いを詰め、さらに棒を振るった。二撃、三撃、四撃。だが当たらぬ。ほのかに輝くガノンに、するりするりとかわされていく。これでは先刻の意趣返しだ。ガノンの攻撃を見切って受け止めていた己が、今度はガノンによって弄ばれている。そう考えざるを、得なかった。
「戦神は……踏み込む者に愛を与える」
戦神への聖句が、耳を叩く。同時に、二つ棒からの連続攻撃が始まった。右左右。もう一度右。先ほどとは比べ物にならぬ嵐が、たちまちにアマリンガを打ち据えていく。棒の短さ故に、軽さ故に。一撃一撃の重みは軽い。だが間隙がない。絶え間がない。攻めに転じられぬまま、アマリンガは叩き伏せられていく。すり鉢の隅へと、追いやられていく。
「なんたること」
すり鉢の上、ペルーザの者どもは嘆く。さもありなん。ほんの少し前まで勝利を確実にしていたはずが、今や一方的に打ち据えられているのだ。彼らとて、一端の戦士たちである。すり鉢の底でなにが起きたか、理解していた。されど、信じ難きことではあった。
「まさかこの場で、戦神の使徒が顕現されるなど」
「あり得ぬ」
「見目からすれば、成人してまだわずかであろうに」
「いかなる修練を、戦神に捧げたのだ」
彼らは口々に現状を嘆く。すり鉢の対岸では、ガラナダの者どもが歓声を上げていた。戦神を称える唱和さえも響いている。あまりにも信じ難い光景。すべてが一変し、あり得なかったはずの事実が差し迫っていた。彼らはすでに、アマリンガを切り捨てる必要に迫られていた。
「っぐ、がああっ! ぐうっ!」
アマリンガは、なおも打ち据えられていた。身体の各所に傷が走り、戦意喪失の声を上げたい衝動に駆られていた。しかし彼は知っていた。ガノンは、意識を失っている。戦神への崇敬が戦意を繋ぎ、その恩恵が肉体を動かしている。つまり、戦意喪失の声さえも。
「くっ……」
アマリンガは、必死で思考を繋ぐ。いかにして、ガノンを止めるか。もはや負けを認めることはやぶさかでもない。否。戦神の加護がガノンにもたらされた時点で、ほとんど勝負は決していた。神の加護を受けた戦士に抗うには、同じく神の加護を受けるか、紋章紋様、文言による手助けを受けねばならない。そしてラーカンツの戦士は、戦神以外からの恩恵を受けること、己が身を防具に固めることを禁じられている。戦神にもとる行為として、厳しく戒められている。つまるところ、アマリンガは。そして。
「もはや勝負を止める他ないだろう。裁定役はなにをしている」
「戦神の加護を受けた戦士が、その神威をあらたかにして戦っているのだ。安易に止めに行けば、己が葬られる恐れがある。責められぬよ」
「……」
すり鉢戦場の南端、テ・カガンが座す一際豪奢な天幕でも、状況に対する疑義が行われていた。取り巻きたちが勝負の行方を案ずる中、若き男が一人座したまま戦場を見つめている。その装いは華美であり、豪壮であった。しかしながら、その目には輝くものがなかった。活力というものが、見受けられなかった。されどその目は、しっかりと戦場を見ていた。否。ガノンを見ていた。戦神の神威をその身に宿した、この場にて新たに生まれた戦神の使徒。ラーカンツが皆尊ぶべきである戦士を、ただただじいっと見つめていた。
「……っ!」
その視線を知らずして、アマリンガは決断した。すり鉢の壁を蹴り、強引にガノンへと突っ込んだ。あまりにも唐突な突進に、ガノンの身体が僅かにだがたたらを踏む。その隙に、彼は距離を取った。そして叫ぶ。今こそ、昨夜の約定を果たす時。仮に死んでも文句なし。そう定めた。ならば。
「良かろう! 戦神の使徒よ、若き戦士よ! 【天を衝くアマリンガ】、喜んでこの命を差し出そうではないか! この我を見事に、棒の贄へと変えて見せい!」
両の腕を広げ、無防備の構え。本当は棒も捨てたいところではあるが、それを行えば戦闘放棄となり、ガノンを止めることは叶わなくなる。もはや生命をもってでしか、今のガノンは止められない。アマリンガは、そうみなしていた。
「……」
ガノンは、二刀の構えを取ったままアマリンガを見ていた。その目には相変わらず生気がない。ほのかな輝きのみが、そこにある。ややあってからガノンは、地を蹴った。真っ直ぐに、一息に。ほのかな輝きがアマリンガへと迫る。彼はその姿を見据えたまま、覚悟を決めて――
「しょ、しょ、勝負あり! 戦士アマリンガの発言を戦闘放棄とみなし、戦士ガノンの勝利を宣告する! 総員、戦士ガノンを戦場の外へ!」
直前。上から飛び込んで来た裁定役が、意を決して決着を告げる。続けて幾人ものテ・カガン氏族の戦士が、戦場へと駆け下りて来た。彼らは総じてガノンを囲みにかかり、ほのかに輝く使徒を相手に、その勇気を振り絞っていた。
***
数刻後。
「……おれは」
ガノンの肉体は、天幕の中にあった。それも、広々としたものであった。ただし調度品は少なく、他に寝かされた者もいた。そのうちの一人を、ガノンは見る。無論、面識は皆無。されど直感する。この男もまた、己と同じ代表戦士であると。
「目を覚ましたか」
不意に、顔の反対側から掛かる声があった。ガノンは、そちらに背を向ける。包帯だらけの、天を衝くほどの身体がそこにいた。
「死に損なったわ」
身体の持ち主が、カラカラと笑った。そこに後悔という名の陰りは見えない。口ぶりは文句のように聞こえるが、そこに湿り気は皆無だった。
「おれは、負けたのでは」
ガノンは問う。彼が遡った記憶は、アマリンガからの一撃を受けた時点で途切れていた。棒をへし折られ、脳天へと喰らわされたあの一撃。その時点で敗れたのだと、彼は思っていた。しかし。
「いんや。貴様は勝った。幾重もの修練が、貴様の身体を動かしたのだろう。気付けば追い込まれ、敗れていた。危うく死ぬところであったわ」
「……」
アマリンガのカラリとした返事を、ガノンは訝しんだ。いかに己が修練を重ねて来たとて。幾度も棒を振るって来たとて。修練だけで肉体を動かせるほどの境地には遠い。なにかが起きたのだと、意識を巡らせる。すると。
「……そういえば、おれの聖句に」
応えるものがあった。漲るものがあった。ガノンはそれを、思い出した。ならば、それは。
「忘れておけい」
戦神の加護と発しかけた所で、低い声が響いた。アマリンガのものだった。見上げれば男は、厳しい顔をガノンに差し向けていた。
「我らの歴史において、戦神の加護を受けられた者はあまりに少ない。しかも加護に頼り切るのであれば、戦神は容易く我らを見捨てるであろう。故に忘れろ。戦神を敬い、日々鍛錬を欠かすな。加護は蜜。甘い蜜よ」
「……」
ガノンは、アマリンガを見上げ続けた。天を衝く男の発言は、正鵠を射ている。戦神とは、そういう神である。ラーカンツの民として、彼らはそういう教育を受けていた。戦闘と修練、それに通ずる礼、そして正々堂々たるを尊ぶ民であるからこそ、戦神に縋り続けることを良しとはしなかった。あくまで自身の修練こそが基礎であり、戦神による加護は付随物である。その意識こそが、ラーカンツの民をラーカンツの民とせしめてきたのだ。
「肝に銘じる、ことにする」
わずかな沈黙の後、ガノンは静かにうなずいた。たしかに己が祈れば、神は微笑むのかもしれぬ。されどそれは、確信的なものではない。そのことを深く刻んで、ガノンは生きることにした。
「さあ、祭りが済めばテ・カガン様へのお目通りだ。特に貴様は、この地を出るつもりなのだろう? 肚から行かねば、握り潰されるぞ。心しろ」
「うっぐ!?」
表情を戻したアマリンガが、ガノンの背中を一叩きする。するとガノンは、苦悶に表情を歪めた。さもありなん。アマリンガの容赦なき一撃は脳天だけでなく、背中をも穿っていたのだから。その姿にアマリンガは、すかさず謝意を示す。戦いを終えた両戦士の、気安い姿がそこにはあった。