#ゆる創作 満月侍⑨
西暦一八五四年、日本は黒船の圧力に屈する形で遂に開国を選択した。しかしその選択は同時に、東洋の神秘を求める暗黒陰謀結社や、日本の夜明けを目指す不逞の集団などを励起させるものともなってしまった。
そんな怒涛の時代。江戸北町奉行所は、不逞の集団・髑髏党との攻防を繰り返していた。その合間、不意に訪れた平和の中、次なる戦火が首をもたげる。奉行所内の内通者による手引で、かつて捕らえたはずの髑髏党の始末屋、『殺しの竜』が脱獄したのだ。それを追うべく一人夜廻りを開始した鬼塚に、今度は月よりの使者が接近する。すると、殺しの竜が洋刀の般若を引き連れて現れ……ここに、運命の二重決戦が始まろうとしていた!
***
「いざ!」
「勝負!」
誰からともなく響く声。続けて爆ぜるは四つの蛮声。それはたちまち剣戟の音へと変わり、類稀なる戦場音楽へと変化を遂げた。
「覚悟っ!」
「ヒィーヒィー。あの時よりかは、腕を上げましたかねえ?」
鬼塚が振るう上段の剣を、般若が凄まじいサーベルの振りでさばいていく。鬼塚の剣は並ではなく、裂帛にして迅雷そのもの。上段から落雷の袈裟を落とし、横薙ぎ、斬り上げと豪速で刃を振るう。しかしながら、般若のサーベルさばきもまた異質にして人外の技量にあった。最小の手筋で受け流し、絡め取る。理合いを駆使して軌道を描く。
「ほらほら。もっと早く攻めないとわたくしの防御を抜けられませんよぉ?」
「チイイィッ!」
般若の声に、鬼塚は荒ぶった。より早く。より鋭く。なんとしても防御を抜かんと、その剣はいよいよ激しさを増していく。しかしこれこそが、般若の術中だった。刃を合わせるうちに、鬼塚の攻勢が徐々に鈍っていく。疲れ。痺れ。あるいは荒々しさゆえの雑さと緩み。己を急き立てたことが、逆に己を追い詰めていく。
「ぐぬううううっ!」
「おやおや。鈍ってまいりましたか? 先ほどより遅くなっていますよ? これでは余裕でさばけてしまいます。あくびが出そうですねぇ」
「ぬかせっ!」
鬼塚は己を奮い立たせ、いよいよ上段を誇り高く構える。同時に荒々しい呼吸を押さえつけ、まっすぐに般若を見つめる。あいも変わらず覆面で隠された顔からは、その思考は読み取り難い。しかしこのわずかな空白が、静かに取った呼吸が、鬼塚の眼を開かせる。己は今に至るまで、敵を冷静に見たのかと。
「……」
「どうしました? 攻めねば勝機は生まれませんよ? 先の戦でもご承知でしょう。わたくしは、貴方よりも確実に強いのですよ?」
「……」
般若の嘲りを受けてなお、鬼塚は動かない。呼吸が、彼に頭の冴えをもたらしていた。喝破をもたらしていた。この挑発が、防御に徹する姿勢が。すべからく般若による罠なのだ。疲れに疲れ切り、それでも般若を屠らんとする最後の一撃に、余人の介入許さぬ必殺剣をぶつけて鬼塚を完膚なきまでに葬り殺す。それこそが、般若の狙いなのだ。
「ならば」
「そちらが動かないのであれば、こちらが決めてしまいましょうか。おさらばです」
業を煮やした般若が動く。心臓を狙った、超速の突き。流れるような踏み込みに合わせて、最短の軌道で右手が伸びて――
「あいにくだったなぁ。殺しに来るなら、どこを狙うかぐらいは予想はつく」
そこには洋刀を打ち落とす、雷霆があった。甲高い音を立てて、般若の手から洋刀がこぼれ落ちていく。だが鬼塚に容赦はない。即座に刀を振り上げ、刃を返し、般若の面を叩き割った。
カァン……。
二つに割れた般若の面が、地面と不協和音を奏でる。慌てて顔を隠そうとする般若だったが、鬼塚はすでに素顔を見抜いていた。
「異人さんとの混血かい。道理で顔を隠すわけだ……」
顔の掘りの深さ、青みがかった目の色。そのすべてが、彼の目に焼き付いていた。ともあれ。
「言いたいこともあるだろうが、こっちだって聞きてえことがある。とりあえず捕まってくれぃ」
衝撃に動けぬ般若の首に、鬼塚は素早く手刀を叩き込んだ。
***
一方、今一つの戦場では、時ならぬ嵐が巻き起こっていた。
「おるぁあああああ!」
「ぬうううっ!」
二刀どころか八面六臂とさえ見まごうような怒涛の攻勢が、月よりの使者を激しく打ち据えていた。その斬撃の角度たるや円弧の如く自由自在。あらゆる方向から襲い来る二刀を、それでも月よりの使者は必死にさばいていた。
「カアアッ!」
横薙ぎで使者の大刀を打ち払った竜が、もう一方の豪剣を脳天めがけて振り下ろす。しかし使者もさる者。受け止めるような真似はせず、三回転による退避で間合いを切った。そして己に強いて右足を踏み切り、閃光の速度で前へと躍り出る。
「ハアッ! 月歩一足詰め!」
「ふうんっ!」
三歩が一歩に見えるような踏み込みをしかし、竜は前へ出ることで強引に受け止めた。体躯に勝る竜の踏み込みとその後の押し込みは、使者の一撃を跳ね返すのに相応しい力を発揮した!
「ぐぬあっ!」
機動に勝れど膂力には劣る使者が、弾き返されてたたらを踏む。絶好の機会と、竜が突っ込む。構えるは、必殺の縦横十字! 先の折り、髑髏党脱走者を葬り去ったあの一撃!
「勝った! 死ねい!」
「使者どのーっ!」
響くは裂帛の気合。ああ、今こそ使者に死神の鎌が振り下ろされる! 鬼塚は迷う! 割り込むべきか、それとも。しかし!
「望月・満月返し」
鬼塚は聞く。使者の声が、透き通るように響いた。鬼塚は見る。使者の振るう月牙二刀が、満月のように円を描いた。そして。
キィイイン……!
刀が刀を弾く音が、高く、遠く鳴り響く。凄まじい速度で描かれた満月の受けが、縦横十字の一撃を見事なまでに返したのだ。
「チッ。そんな隠し技があったのかい」
「月は、密かなものなれば」
「なら、仕方ねえか」
喉元に太刀を突き付けられた竜が、観念したかのように両の手を挙げた。
こうして、暗夜の決闘は終わりを告げた。