ガノン・ジ・オリジン(ピース・ワン) #6
翌朝! 聖地は天を圧するほどの大音声に包まれていた! 天幕と群衆に囲まれた草原の只中に、結界めいて誰一人入らぬすり鉢状の穴が存在する。しかしその穴はよくよく見れば人工物だ。さして深くない――成人戦士三人分の背丈くらいか――底には、成人戦士三十人が両手を広げてなお余りあるほどの広さの平地があった。無論、そこに至るまでの道も設置されている。これこそが、幾星霜にも渡ってテ・カガンの氏族が整備を続ける、戦神奉納勝負の場であった。
「ペルーザ、ガラナダの両氏族使節団、出ませい!」
刻限が訪れたのか、すり鉢の北端に立つ男が法螺型の拡声器に向かって声を張り上げた。同時に大音声――ドラや鐘などによる囃子が静まる。ややあって、戦場の両極、やや離れた場所に、氏族の旗を掲げた者どもが立った。互いに五十人ほど。さもありなん。使節の人数は、ラーカンツの掟により厳重に定められている。上位氏族といえども、これは破れない。
「ペルーザ氏族より選ばれし戦士アマリンガ、前へ!」
「応!」
戦場の東端に、天を衝くほどの男が躍り出る。途端、ペルーザ氏族の者どもが鐘を打ち鳴らした。これは戦士を称える歓声であり、ガラナダ勢に対する威圧でもある。こうして囃子を打ち鳴らすことで、相手の戦意を削ごうというのだ。しかしながら。
「ガラナダ氏族より選ばれし戦士ガノン、前へ!」
「応ッ!」
ガノンはその程度では揺らがない。戦場の西端に、ずん、と身体を送り出す。その出で立ちは、今日も変わらない。赤銅色の肌を聖地の風に預け、黄金色の瞳を不機嫌にけぶらせていた。蛇のようにうねる赤髪こそまとめられているものの、その体躯に、その覇気に、翳りは一切ない。今日も今日とて、ガノンはガノンだった。氏族が打ち鳴らす鐘を背に、彼は戦場への一歩を踏んだ。
「オオオオオッッッ!!!」
途端、それまで静まっていた観衆からの、大音声が響き渡った。ドラや鐘、蛮声がかき鳴らされ、戦士たちの意気を高めていく。それを聞いて、ガノンは軽く震えた。怯えではない。高揚を伴った震えだった。これが、『戦士の身震い』という奴か。教官からの教えを思い出し、ガノンは人知れず口角を上げた。
「下りませい!」
北端から、また声。拡声器から放たれるそれは、戦場を彩る音色に負けじとよく響く。ガノンは指示に従い、下り道へと足を掛けた。これより先には、誰の助けもない。どちらかが戦意を喪失するまで、ただただ殴り合うのみだ。
「たとえ敬意があろうとも、棒を向け合うのであれば敵。最大限を尽くさぬは礼を失する。戦神にもとる。許されざる行いだ」
ガノンは己に気概を込める。決して長くはないはずの下り道が、無限にも似て遠く感じた。しかしガノンは戦士である。氏族の代表として、大祭に送り出された存在である。己に怯懦が浮かんでいると感じた彼は、それを振り払うかのように。
「おおおっ!」
走り出す。駆け下りる。他の代表戦士たちに、どう思われようと関係ない。これが、己の決断だった。戦意を示す方法だった。
「若いな。我にはとても真似できん」
はたして、アマリンガの答えは『否』だった。悠々と、悠然と降り来たった最強格の戦士は、ただただガノンを『不足』とみなした。だがガノンは、これにも表情を動かさなかった。己に強いて、言葉を返す。
「おれは若い。まだ未熟だ。だが、戦士の気概だけは持っている。そのつもりだ」
「うむ。良い気概だ。来い」
アマリンガが、棒を構えた。この時の二人の距離、おおよそ二十歩ほど。言葉を交わせる距離であり、棒をもってすれば、数歩詰めるだけで殴り合える距離だった。
「言われずとも!」
勢いのままに、ガノンが動く。それでもいきなり大技には走らない。アマリンガの棒を軽く弾き、右肩を目掛けて切り込んでいく。棒先から遠くを狙った、当てるための一撃。しかし。
「見えておる!」
アマリンガの動きは、滑らかだった。踏み固められた土の上を、滑るように下がっていく。直後、中段に構えられていた棒が振り上げられ――
「落雷一閃。受けてみよ」
瞬時の内に振り下ろされる。瞬間、ガノンは教官の言葉を思い出す。確かに雷霆の如き一撃。されど!
「ッ!」
ガノンは余裕を持って跳び下がる。彼は確信した。避けるのであれば、この一撃は苦にならない! だが。だがしかし!
「避けるか。まあ避けるだけならば、過去三度の奉納戦士でも成し遂げておる」
カラリと笑うアマリンガ。その笑みが、ガノンの背筋に汗を走らせる。そう。彼には意味がわかってしまった。アマリンガの余裕。その意図は――
「ゆくぞ!」
今度はアマリンガからの踏み込み。棒を振り上げ、振り下ろす。ガノンは右に跳ぶ。かわせた。しかし直後。さしたる遅れもなく、横薙ぎがガノンへと襲い来たった。なんたる速さ。なんたる柔軟性。
「っぎ……!」
しかしガノンは、すんでの所でこれをもかわす。身体を後ろに反らした、真にギリギリでの回避だった。息を吐きつつ身体を戻し、再度前への踏み込みを図る。だが!
「いつ終わったと言った?」
その言葉に、ガノンは上を見る。見てしまう。その先には、アマリンガの左腕。そして棒。すでに上段の構えが取られている。これは!
「ぬぅん!」
片腕にもかかわらず、振り下ろしの速度はほぼ変わらない。ガノンは無理矢理、左へと転がった。棒を受けた土が弾け、ガノンの身体を叩く。それでも膝をついて立ち上がり、前を見んとする。この連続攻撃を、破らぬ限りは――
「遅いっ!」
しかしアマリンガは、わずかな思考さえも許さない。次に襲い来たったのは、右手も添えた諸手突きだった。その矛先は鳩尾。ここを穿たれれば、いかなガノンといえども。
「っく!」
ガノンは屈む。そのまま踏み込みを図る。懐に飛び込まなければ、この連続攻撃は止められない。危険は伴うが、背に腹は代えられなかった。
「おおおっ!」
ガノンはそのまま、アマリンガに組み付かんとした。棒を片手に、その腹を捕らえる。押し込む。わずかでも敵手に、防戦を意識させる。そのための一撃を試みて――
「いい突撃だ」
通じなかった。否。正確には数歩は押し込めた。だが、それ以上ではなかった。倒すことも、動揺させることも叶わなかった。結果として残るは、アマリンガの内に、踏み込んでしまった事実であり――
「そおらっ!」
「ぐがあっ!?」
棒の柄による一撃を、無防備のままに背中へと受ける現実へと繋がった。