10/15 書くことへの巨大感情

なぜ書くのか? と問われれば、今の俺はこう返すだろう。

『自分の中にある物語を、少しでも多くの人に読んでもらいたいから』

そう。俺にとって小説とは、自分の中にある妄想の開示手段なのである。いや、案外誰にとってもそうなのかもしれない。しかし、俺としてはここは明確にしておかねばならない。

なぜか? 自分の行き先を決めるからである。多くの人に読んでもらうことと、それによって収益を得ることは、似ているようで違う。言い方が変になるかもしれないが、銭のために作品を書くのか。あるいは、自分が書きたいから作品を書くのか。この違いに至るはずだからだ。

別に俺は銭のために作品を書く人を否定しないし、否定できない。まだ自分の作品でお金を得た経験に乏しいからだ。
ただ、自分が書きたいから書く。その感情は、自分に根ざしたものだと思う。

要は軸の問題だ。『売上』や『評価』という他人からの報酬を軸にするのか、『書きたい』という感情を軸にするのか。たったそれだけである。


どちらも間違ってはいないけど

とはいえ、他人からの報酬を軸にするという行為には、色々とつきまとうものがある。これは自分もそうだったから分かる経験談だ。もし売上や評価が期待値を下回ったら? 何週間もカウンターが回転しなかったら? その時訪れるのは、『虚無の暗黒』だ。

フレーズの引用元はこちらだ。

他人を軸とした精神で、この空虚に打ち勝てるのか? 少なくとも俺は勝てなかった。いくつもの作品が俺の中で書いていく気力を失い、電子の海の彼方へと旅立った。書いてる途中に、他の作品へ浮気してしまうことも多かった。

では、『書きたいという気持ち』。自分に根ざした感情を軸とする精神はどうだろうか? 空虚に勝てる、とは言わない。だが、少なくともブレない心はそこにあるのではないだろうか。

純粋な、『自分の頭の中をさらけ出したい』という欲望。情熱。身を焦がすような情念は、空虚さえも撃ち抜き得る武器になると俺は思っている。


どうせ書くなら

俺も以前は評価ばかりを追っていた。だが、今は欲望へと切り替わりつつある。なぜか。『なぜ書きたいのか?』に気付いたからである。

どうせ書くなら、情熱を燃やさないほうが損だ。小賢しく評価だのポイントだの求めるぐらいなら、いっそ情熱に身を浸す方が清々しいとさえ思う。

ただし、『少しでも多くの人に読んでもらう』ことにも力を入れる以上。宣伝や常連読者の把握に欠けることはあってはならない。読まれない物語ほど悲しいものはないし、より多くの人に届けるために行動するのもまた作家の仕事だからである。

カクヨムコン4(12/1~)をやり遂げるためにも、俺はこれらのポイントを守る。


おわれ


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南雲麗
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