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奪回の姫君 #4
かくて、時は少しばかりの間を置く。二刻ほどの休息と、数刻の旅路を経て、遂にガノンはユメユラの故郷へと到達した。その間【闇】からの攻撃はなく、幸運なことに匪賊野盗からの襲撃も避けることができた。すなわち、歩きの疲労と睡眠の不足以外は万全である。ガノンは、その肉体に意気を漲らせていた。
「――!」
彼らが一歩領内に踏み込むと、それだけで変化が生まれた。まず、いかなる仕掛けによりてか、彼らの退路が塞がれた。結界か。それとも異界か。ともかく、二人の退路は物理的に寸断されてしまった。来た道を、仰ぎ見ることが叶わなくなったのである。
「――! ――!」
続いて、家々から死んだ目をした人々が躍り出て来た。一瞬、姫君は歓喜した。彼らが無事だったのかと、誤認したのである。されど。彼女はすぐに過ちに気が付いた。人々がのぞかせた歯が、牙へと変じていたからである。人々は、めいめいに得物を持っていた。農具に調理具。棍棒。ありとあらゆる道具が、本来の使い方から逸脱させられていた。
「……っ」
これに息を飲んだのがユメユラだった。【闇】の脅威は、すでにガノンから聞かされていた。にもかかわらず、見知った顔が牙を剥いて来た。その事実に、いたく動揺してしまった。
「屈め! そして目と耳を塞げ!」
ガノンは、即座に反応した。ユメユラに現実を拒絶する自由を許すと、己はすぐさま身体をほの光らせた。戦神崇敬の聖句を唱え、敵陣へと踏み込んでいく。彼がユメユラを許したのは、別段慈悲からではない。彼がこれより行う行為が、残虐極まりない殺戮だからである。
「――!」
「ふんっ!」
見よ。ガノンに隙ありと襲い掛かった領民兵を、彼はいとも容易く頭部から両断せしめてしまった。無論、【闇】に呑まれたといえども即死である。否。これほどに確実に殺さねば、【闇】がいかなる仕儀に及ぶかわからなかった。
「――――!」
「破ッッッ!」
見よ。ガノンに追い込まれた領民兵が、一瞬無垢な顔をのぞかせた。しかしガノンは、無慈悲に首を断つ。無論即死。忘れるなかれ。一度【闇】に呑まれたものは、二度とこちら側へと戻って来ることはない。これを知らぬ者から、【闇】との戦闘では死んでいくのだ。
「ッ!」
「――っ!」
かくて鏖殺は続いていく。ガノンは躊躇なく領民兵の胴を絶ち、首を斬り、頭から両断する。その行為に、一切の躊躇はなかった。躊躇をすれば、己が斃れる。これまでの経験から、彼は熟知していた。
「――!」
「――――!」
やがてどこからか銅鑼の音が響いた。方角からすれば、城の方か。それを合図に、領民兵が一息に引いていく。不利を悟ったのか、それとも。
「ヴァアアア!!!!!」
答えは、不吉の方であった。城兵が槍をしごき、牙を光らせてガノンへと襲い掛かった。無論、マリルドにより洗脳済みである。しかも、ただただ襲い掛かるのではない。統率され、確かな戦術のもとに、城兵どもは襲い来たった。その戦術とは。
「くっ……」
瞬く間に敷かれた包囲に、ガノンは唸った。常よりも長い槍――青髪の戦友が振るうものよりも、長い――がガノンの動きを阻み、城兵どもに安心感を与えていた。間合いを奪われ、動きを拘束される。万事これまで。姫君が目をつぶった瞬間。
「まだっ!」
ガノンは、不意に跳躍した。無論、【使徒】たる身体能力で行われるそれは、常人よりも高い。ただでさえ高い背丈の、二倍は跳んだ。故に、さしもの長槍も届かず。脱出を許す。
「ぬぅん!」
ガノンは、一回転から後方に着地し、乱戦を引き起こした。空中を狙えば良い? 重ねて言う。ガノンは、【使徒】たる身体能力を振るったのだ。いかに【闇】の補助があるとはいえ、簡単に餌食になるほど【使徒】の能力は甘くない。いわんや、ガノンが助力を受けしは戦神である。戦の神が、戦において遅れを取るであろうか? 否! 断じて否! 故に、ガノンは乱戦で暴れ回る!
「はっ! せいっ! ふぅん!」
見よ。ガノンが手頃な剣を振るう度、まるで児戯かの如くに首が舞う。あまりにも、あまりにも凄惨なる鏖殺の舞。されど、これも致し方なし。万度述べるが、【闇】に侵されし者は、正しく殺さねば甦りかねぬのだ。
「サアアアッ!」
そしてしばしの時を経て。ガノンが最後の兵士、その首を叩っ斬った。この間、マリルドなる者からの介入は一切見られなかった。力量差は明白だというのに、これはいかに。いや、しかし!
「きゃあああああっ!?」
「クフフフフ! 姫君、手に入れり!」
なんたること! その声は突如、ガノンの背後より轟いた。奇矯なる風体の小男が、姫君の首に刃を当てていたのだ! いかなる術策か? ガノンにはわからぬ。ただ対峙する他にない。
「ガノンと、言いましたかな? 姫君をそこな兵士どもと同じ目に遭わせたくなくば……っ!?」
されど、ガノンの決断は早かった。小男の、わずかに見えた頸部。そこに目掛けて、己が手頃な剣を投げ付けたのだ。瞬間、小男は幾匹もの蝙蝠に霧散! その隙に、姫君はガノンの背後へと逃げ込んだ!
「問わん。おまえが、マリルドか」
蝙蝠の群れに、ガノンが黒剣を突き付ける。常の相棒とは異なるが、それでもガノンの輝きに翳りはない。
「クフフフフ! いかにも。私はマリルド。いと深き【闇】より賜りしは、【尖兵】の二つ名。これより始まりしは、闇の宴でございます」
おお、蝙蝠が再び人形を成し、己が名を名乗った。その仕草、あまりにも慇懃。その振る舞い、あまりにも殺意万端。その証拠に。マリルドは早速、ガノンに向けて手をかざした!
「むうっ!」
ああ、見るがいい! いかなる仕掛けによりてか、ガノンが不可思議に引き寄せられてしまう! 戦神の光芒をもって耐えてはいるが、尖兵もまた、相応の加護を得ているのであろうか? ガノンの耐久と、拮抗していた!
「ガノン様!」
「見ておれ!」
ユメユラが叫ぶ。彼女は爺やから、父が不可思議に吸い寄せられ、弑されたことを聞き及んでいた。同じ目に遭うのではと、心の底から悲鳴を上げる。されどガノンは、一喝した。このような【闇】の手業には、覚えがあった!
「ぬぅん!」
ガノンは一息、己が右足を地面へとめり込ませた。これにより、まずは足場を構築。続けて!
「おおしゃあ!」
蛮声一声。極限まで大きく踏み込み、黒剣を横薙ぎに一閃! 無論、マリルドには届かぬ。されど、その装束――蝙蝠羽を付けた、貴族趣味、少々奇矯な装束だ――に、わずかな傷を刻み付けた。ガノンの剣速が、空気を薙いだのである!
「っ……!」
間合いの危険を悟ったマリルドは、瞬時に蝙蝠の群れへと変化した。同時に、ガノンとの拮抗が解ける。ガノンは一息に、蝙蝠の群れへと――
「ギイイイッ!」
襲えなかった。逆、蝙蝠どもが一斉にガノンへと襲撃を掛けた。ガノンは、姫君の言を思い出す。蝙蝠に噛まれれば。
「チイイイッ!」
ガノンは視線を切らずに、間合いを下げた。されど蝙蝠は追いすがる。その動きは速い。しかも三次元だ。抵抗すれども、ひらりひらりとかわされて。
「くっ!!!」
ガノンは決死の覚悟で剣を振るう。蝙蝠は間合いを取りつつ、上下左右から襲撃を掛ける。このままではガノンが徐々に不利。されど。ああ、されど!?
「カアアアッッッ!!!」
ガノンは一声、大音声を放った。それは、あまりにも凄まじきもの。ユメユラが慌てて、耳を塞ぐほどの代物だった。だが、それによって盤面は変わる。ガノンに近かった蝙蝠が、数羽に渡って撃墜されたのだ。
「チッ!」
「ハアッ!」
マリルドが人の姿へと戻り、退く。ガノンが、一気に踏み込む。爪牙の抵抗を掻い潜り、その腹に黒剣を刺し込んだ!
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