時を経てなお #11
<#1> <#2> <#3> <#4> <#5> <#6> <#7> <#8> <#9> <#10>
罵声にまみれていた観覧席も、今に至ってはパリスデルザへの圧倒的な声援へと変わっている。しかしその中にはチラホラと、この戦いの真実を見抜く者どもが隠れていた。
「兄者。今の言葉」
禿頭大柄にして、背に大斧を携えた男が口を開く。
「聞こえた。聞こえたぞ弟。あの蛮人、一刀命奪の境地を否定した」
すると、隣に座りし長髪矮躯の男がそれに応じた。口ぶりからすると、二人は兄弟か。闘技場を圧する声援の中、ガノンとパリスデルザが交わす言葉を正確に解する。恐るべき聴力が、二人からは窺えた。
「さてはて。どうする兄者。あの蛮人、荒野に流れる噂が真なら」
「どうする弟。『ガナン』なるは真っ赤な大嘘。真の名は【大傭兵】ガノン。ラガダン百金の賞金首ぞ」
二人の語らいは、大歓声にかき消されて周りには聞こえぬ。そもそも、この声量の中で会話が成立していること自体が異様であった。
「そうさな。常ならば、首を取ろうにも相応の痛手」
「だが、この戦の後ならば」
「どちらが勝とうが、負けようが」
二人の目が、狂気に光る。だが二人は、気付いていない。この闘技場には、他にも殺意、あるいは野心を燻らせた者どもが潜んでいる。そして彼らもまた、闘技場での戦、その終わりを待っている。そして、貴賓席では――
「この囲みはなんだ」
「アンガラスタ公のお指図にて。あの蛮人を引き入れたいきさつについて、終の戦が終わり次第、お尋ねしたいとのこと」
ローレンが、周囲を屈強なる兵士に囲まれていた。兵士どもは皆重装。鎧兜や武具には、紋章紋様が刻み込まれている。ログダンの軍の中でも、一際精鋭であることには相違なかった。
「我がお眼鏡の戦士が、いかなる仕儀にて」
内心では心当たりを複数持ち合わせつつも、ローレンは表情を変えることなく兵に問う。この程度のことでいちいち表情を変えるようでは、高位の貴族、八大公爵家の当主などとても務まらぬ。これもまた、教育の賜物であった。
「あの『ガナン』なる者。とある賞金首が名を変え、我が国へと潜り込んだ疑いがありましてな」
兵――実際にはその中の隊長と思しき者だ――は、あからさまに怪しむ視線をローレンへと投げる。ローレンが、なんらかの意図を持ってガノンを引き込んだ。口には出さねど、そういう疑いを掛けている。アンガラスタ公爵家ならば、そこまで見切るだろう。ローレンは、小さく息を吐いた。大立ち振舞いをしているガノンを責めたくもあるが、先の戦からこのかた、彼には重い戦いがのしかかっている。全力を出すなと言う方が酷でもあった。仮に責めるのであれば、彼の内心を見抜けなかった、己の方が適格だろう。
「なるほど。それは重篤な問題ですね」
「いかにも。今は祭典のさなかゆえ囲むにとどめていますが、終わり次第、ご協力を」
とはいえ、ローレンは表情を変えぬ。変えれば、敏い者には見透かされる。見透かされれば、すべてが終わる。そして同時に、この苦境を切り抜ける術を考えてもいた。しかし彼女にはひらめくものがなかった。あるとすれば、それはガノンの勝利。ガノンがパリスデルザに打ち勝ち、王国簒奪の謀りを打ち砕く。それ以外に、光明は見当たらなかった。
「頼む。勝ってくれ……」
彼女にできることは、密かにガノンの勝利を祈ることだけだった。
***
そんな周囲の変化を知ってか知らずか、戦の場には剣呑な空気が漂い始めていた。
「良くない、ですと」
「ああ、一刀命奪。あれは良くない」
ガノンの言葉にパリスデルザが問い、ガノンがまた返す。ガノンを包む温かな光に、変化はない。しかしガノンの目の色は、一層虚無に染まっていた。ここではない遠くを、見据えているようでもあった。一方、パリスデルザはというと。
「剣士の境地に、なんたる無礼を。貴君は、なにをもって」
高みを、強さを求める剣士らしく、その手に力が籠もっていた。にわかに音が鳴りそうなほどに、剣の柄を握り締めている。おぼろげに彼を包んでいた光が、にわかに鋭さを帯びつつある。彼から、涼やかさが消えようとしていた。
「たしかに、おれは境地に至ったことがない。だが、そういう性質の剣を、握ったことがある」
「ほほう」
ガノンの返しに、パリスデルザは距離を詰めた。腰を落とし、剣を下段に据えている。いつでも斬り掛かれる。そう言わんばかりの態勢だった。
「悪くはない。流石の剣だった。だがな」
ガノンが構えを取る。両腕を広げ、腰を落とす。どちらかと言えば、拳と身体で戦う者の構えに近い。身体の正中線が、がら空きである。だが、闘志は漲っていた。気勢でもって、襲来を防ぐ狙いか。
「技と、気構えが鈍る。どんなぬるい攻撃でも、当たれば殺せる。その緩みが、気を鈍らせる」
じりり。ガノンが距離を詰めた。十歩ほど離れていた両雄の間合いが、七歩、五歩と迫っていく。そして。
「それでも、おまえは高みを望むか?」
ガノンの問いが、すべてを断ち切った。
「蛮族如きが、剣の境地を語るなぁっ!」
解き放たれたかのように、パリスデルザが剣を振りかざす! ガノンに向かって襲い掛かる! ガノンはそれを受ける! 弾き返す! そのまま二合、三合、両雄は渡り合う! 刃鳴り散らす音が、観客の蛮声をつんざいて響き渡る! 削れた刃金が、両者の皮膚をかすめ、傷を作る! 激しい攻防! 観衆に潜む技ある者も、これには目を見張った!
「キエエエッ!」
わずかに離れた間合いから、パリスデルザが渾身の突きを放つ! ガノンはこれを身をよじって回避! そのまま踏み込み、横薙ぎを放つ! だがパリスデルザは間一髪で超旋回! ぐるりと回って、間合いを取る! しかし!
「隙あり!」
回避の際に一瞬だけ目線を切った。それがガノンに、大きな隙を晒してしまった。パリスデルザに襲い来たるは、再びの飛び込み唐竹。それも、一際高い。先刻のものより、威力が高いのは明らかだ。飛ぶか? だが態勢が整っていない。さらに言えば目前の敵は、それさえも読み切っている。下がったところで、そこにめがけて叩き込まれる。パリスデルザもまた、有数の剣士である。故に、見えてしまった。ならば。
「オオオッ!」
パリスデルザは、両手でもって剣を掲げた。この一撃、全力で受ける他なし。彼は覚悟を決めたのだ。パリスデルザの身体が、一際輝きを放つ。彼が自覚しているかはわからぬが、武神の愛が、彼に呼応しているのは明らかだ。この一撃が、勝負を分かつのか。
「ぜりゃあああっっっ!」
ガノンの蛮声が響く。観客のざわめきが不協和音を描く。諸手の唐竹割りが、パリスデルザの剣をめがけて振り下ろされる。凄まじい刃金の音が、すべてをかき消し、場を染め上げ――
「がっ……!」
短くも長い沈黙の後、パリスデルザが片膝をついた。わずかに間を置いて、彼が掲げていた剣にヒビが走った。ガノンに振り下ろされた箇所から破断が始まり、パリスデルザの涼しげな顔に、刃が降り注いだ。必然、傷が生まれる。だが、彼は動かなかった。なにかを噛み締めるかのように、ただただそこに鎮座していた。
「……」
罵声を上げていた観客たちも、気が付けば皆沈黙していた。今起きている現実。その先にあるものは。否定の意志か。言葉を溜めているのか。ともかく、彼らは皆、一様に押し黙っていた。
「……」
ガノンは、巨躯でもってパリスデルザを見下ろしていた。その目には、今も虚無の陰りが残っている。かつての黄金色は、いずこに消えてしまったのか。
「まい……った」
その言葉が放たれるまでには、たっぷりの時間が必要だった。それが、パリスデルザにとって必要な時間だったのか。それとも、ただただ現実を否定するためだけの時間だったのか。それは、彼自身にしかわからない。たがともかく。勝負を決する言葉が、今ここに発せられた。
「勝負あり! 終の戦、勝者はパクスター公お眼鏡、『ガナン』!」
「うおおおおっっっ!」
「蛮人が優勝だと!?」
「許せるかっ!」
「ぶち壊せっ!」
終の戦のためだけに用意された伝達者が、拡声器を使って結末を観客に告げる。すると観客どもの内、血気盛んな者どもが立ち上がった。あちら。こちら。そちら。円形闘技場の、あちこちで。その数、千に至ろうか? そしてその中には――
「兄者、ゆこう」
「うむ。【大傭兵】ガノンを討ち取る好機ぞ」
「賞金首ガノンよ。我が刃に跪け」
「赤髪の牙犬。今こそ、その死をもって罪をすすぐが良い!」
幾人もの猛者たちが騒擾に紛れ、ガノンを討ち取らんと動いていた!
「いかん!」
無論軍隊が飛び出し、沈静化を図る。だがその内の幾人かはさり気なくガノンの側を向き、彼に槍の矛先を向けていた。その思惑は明らか。この騒ぎを利用してガノンを捕縛。ひいてはローレンの取り調べを目論んでいるのだ。つまるところ、アンガラスタ公の息が掛かった者である。彼らは彼らでガノンを襲撃者から守らなければならぬ。すなわち、起きるのは――
「あの蛮人をぶちのめせ! 大武闘会をぶっ壊せ!」
「ガノンに死を!」
「陣形を保て! お二人をお守りするのだ!」
「チイッ……!」
襲う者。守る者。そして脱出を目論む者。三つ巴の大混乱。大武闘会の歴史を汚す大騒乱かに思われた。その時!
「やめえええいっっっ!!! 静まれえええいっっっ!!!」
貴族たちの集う貴賓席。その最上段から、一際鋭い大音声が轟いた!