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奪回の姫君 #5
「っぐ!?」
「ふぅんっ!」
蝙蝠変化を操るマリルドの手管を掻い潜り、遂にガノンは一撃を浴びせた……かに見えた。
「くふふ。まあ、お見事です。この私に、剣を突き立てた。それは真に偉業です。ですが……」
ガノンが、黄金色の瞳が睨み付ける相手の顔が、奇っ怪な笑みを見せた。直後。再び羽ばたきの音が耳を叩く。それは。ああ、それは!
「少々手傷は負いましたが、この技がある限り、致命傷など有り得ません。なぜなら――」
蝙蝠変化を果たしたマリルドが、饒舌に語る。おお、今こそその耳をそばだてよ。【闇】の、恐るべき所業が明らかとなる!
「私がこの肉体を【闇】に捧げた折。下賜されたのがこの能力だからです!」
ああ、ああ。今こそ明かされてしまった。【闇】とは、人を愛するもの。愛するが故に、いかなる所業をも許してしまう。力を授けてしまう。その偏愛が、ここにまたしても危険な人物を生誕せしめてしまった。人よ。【闇】を憎んではならじ。憎めば憎むほど、【闇】は忍び寄る。それ故に、【闇】は滅びぬ。光あるところ、常に【闇】はあるのだ。
「……ならば、その力ごと滅ぼしてくれる」
剣を引き戻せしガノンが、改めて構えを取る。黄金色の瞳に、殺意が満ちる。誤解してはならじ。ガノンは【闇】を憎んではいない。【闇】の所業をこそ、憎んでいる。ガノンは、戦神を知る。戦神は、戦いの神。戦いとは、【闇】にほど近い人間の所業。それ故に、ガノンは己にもまた暗い部分があることを熟知していた。ならば、今すべきは――
「ふんっ!」
このマリルドなる男を確実に滅し、【闇】の所業を許さぬこと!
「アハハハハ! もはや容赦はしませんよ! 人に戻るなど、考えぬことです!」
しかしマリルドは逃げ回る。ガノンを挑発するかのように飛び回り、嘲笑う。無論ガノンとて容赦はしない。一匹二匹は切り伏せる。されど、すべてを切らねば埒が明かなかった。それにはいささか、手数が足りなかった。
「……」
ガノンは蝙蝠どもを睨み付ける。蝙蝠どもは飛び回る。逃げようとせぬのは、勝機があると見ているからか。真意はどうあれ、膠着が生まれた。その時!
「ガノン様!」
まさかの人物が、地を踏み切った。ガノンがその背に護っていた、姫君だった。彼女の向かう先には、一本の剣。先刻ガノンが投擲した、常なる相棒の姿があった。
「姿を晒しましたね! 我が牙の餌食になりなさい!」
「させるか!」
蝙蝠が一点を目指すと、ガノンはそこにめがけて踏み込んだ。蝙蝠と剣閃が激突し、またも数羽の蝙蝠が地に落ちる。マリルドの向かう方角を察知し、決死の覚悟で押し留める。その間にも、ユメユラは走る。走って、走って。走り抜いて。蝙蝠さえも、潜り抜けて。
「こちらを、使ってください!」
非力ながらも、剣を投げる。緩やかな放物線を描いた手頃な剣は、あたかも吸い込まれたが如く、ガノンの右手に納まった! すでに疲れ切った身体を強引に動かした彼女は、力なく崩れ落ちる。されど蝙蝠に、もはや噛み付く余裕はなかった。なぜなら!
「感謝する」
おお、見よ! ガノンの諸手に、二本の刀。常人ならば重みに負けるところであるが、ガノンの膂力は人よりも高い。ましてやガノンは戦神の【使徒】である。この程度のことで、剣閃や振りが鈍るはずがない! すなわち!
「オオオオオ!」
「んなっ!?」
見よ! 二本の剣によって行われる、かくも鮮やかな剣の舞! 次々と蝙蝠を打ち落とし、三次元機動を許さぬ戦慄の剣! かくも、かくも【使徒】の能力は常人とは隔絶しているのか? いと恐るべき剣閃によって、蝙蝠どもはバタバタと地に打ち伏せられ――
「や、やめろ……」
「言われてやめると思うのか」
遂に残されし蝙蝠はただ一羽と相なった。二刀を突き付けるガノンに向けて、マリルドは掠れた声で慈悲を乞う。されど。
「あれなる姫君の父は、おまえに慈悲を乞うたか」
マリルドは無言だ。それこそが、答えである。ガノンはすでに、姫君が領土を奪われたいきさつを聞かされている。その中に、命乞いの話は絶無だった。
「おまえにかける慈悲はない。【闇】の者ならば、なおさらだ」
冷たい宣告とともに、ガノンは二刀で蝙蝠を突かんとする。蝙蝠は回避機動。そのままユメユラを目指して飛ぼうと試み……
「浅ましい悪足掻き、戦士ならざる振る舞いも早三度目だ。慈悲神さえも、許すまい」
いかなる速さか。ガノンの放っていた三撃目が、その脳天へとめり込んでいた。
「お……あ……、欲しいものはまだ、幾つ、も……」
剣が身体を断ち割るさなか、声になり切らぬ声で、マリルドがのたまう。されどガノンは、冷たく切り捨てた。
「おまえにくれてやる物はない。そこで乾いて滅び行け」
蝙蝠が地に落ち、黒の粒子となって霧散する。同時に、家々のあちこちから人の倒れる音が響いた。ガノンはしばらくの間残心し、そののち、姫君を起こしにかかった。
「……あ」
「起きろ。輩の後始末を、付けねばならぬ」
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