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ガノン・ジ・オリジン(ピース・ツー)~戦神~ #4

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 そうして、しばしの時が過ぎた。安らかな地で傷を癒やしたことにより、ガノンは久方ぶりに十全な回復を果たすことができた。無論、古傷の域にまで達したものはどうすることもできぬ。さりとて、無駄な庇い立てなどをせずに身体を動かせるのは大きかった。

「まずは体力と筋力じゃの。動いておらぬ故、究極にまで鈍っておるはずじゃ。まずは山の上り下りを、おぬしに課そう。なるべく、走るのじゃぞ」

 ウロタバが、好々爺じみた笑みを隠さずに言う。とはいえ、その指摘には筋が通っていた。ガノンの身体は、己ですら認知できる程度に重く、他者から見れば肥え太っていた。ウロタバから差し出された栄養と、完全な回復まで運動を禁じられていた事実が、彼の身体を作り変えてしまったのだ。しかしウロタバは、それすらも鍛え直す術を心得ていた。

「ほれ。今のおぬしでもこのくらいはできるであろう。ワシを背に乗せ、腕立て百遍じゃ」
「ふんぬぅ!」

 地面に手形を刻みながら、ガノンは力を込めてウロタバを担ぎ上げる。筋肉は悲鳴を上げ、身体には幾筋もの汗が走る。されどガノンは歯を食い縛り、決してウロタバを落としはしなかった。

「さあ、鍛錬が済んだらコイツを喰らえ。庵の裏で育てた野菜と、仕留めた猪による汁じゃ。量はいくらでもあるでの。たんと喰らえ」
「ぐぬう……」

 鍛錬で擦り切れ、疲れ切った身体に、ガノンは無理矢理栄養を叩き込む。腹がはち切れそうになることもあったが、そこからが始まりであった。己がかつての体躯を取り戻すためには、徹底した鍛錬と栄養が必須である。ガノンはその事実を、重々に承知していた。故に彼は、逆らおうとはしなかった。
 そうしていく内に、鍛錬は激しさを増した。山を上り下りする往復の回数が増え、腕立てはその回数が千にまで増えた。岩を担いでの立ちしゃがみや、逆立ちの継続などと、鍛錬の課目もいや増していった。しかしガノンは、弱音を吐かなかった。体躯を戻すため、己の伸びしろを掴むため。決死の覚悟で喰らいつき、こなしていった。実践的な課目でないことは承知の上で、付き従った。その甲斐あって、六十日を経る頃には。

「ほっほ。だいぶ身体を戻せたようじゃの」
「……。しかも前より、身体が軽い」
「絞れたんじゃろうよ。さて、ここからは実践もこなしていくぞい」

 体躯を戻しつつあるガノンに、さらなる修練が課されるようになる。初めは棒の素振りから始まり、やがてそれは丸太へと変じた。丸太を千も振れるようになると、次は生物を襲わせ始めた。これは生きるための狩りであり、同時に実戦技術の立て直しであった。最終的には人を屠る術が必要ではあるが、まずは戦いの基礎を思い出すことが先決であった。

「っぐ!」
「ほれほれ、狼に遅れを取るようでは人なぞ倒せぬぞ?」
「ちいっ!」
「大振りになるでない! 相手は速いぞ!」

 ある意味においては人よりも強い、獣との戦い。ガノンは苦戦を窮めた。狼に噛まれ、猪に弾かれ、時には野兎にすらも逃げられた。しかもウロタバは、ガノンに戦神への祈りを禁じていた。その意図は、ガノンにおいても納得できる部類であった。『戦神に頼るのではなく、己が力で獣に勝つ。それが、自身の力となるのだ』と。

「チイイイッッッ!」
「おおう、猪を一撃にて! そろそろ頃合いかのう!」

 それでも三十日ほども戦い続ければ、ガノンはきっかけを掴んでいく。猪を棒にて殴り倒し、狼の牙を引き裂き、野兎を気配を殺して捕らえられるようになった。その頃を見計らって。

「ガノンよ。おぬしもついぞ知らぬことを教えてやろう。多神教ではな、戦神は【女神】だと形容されておる」
「なんだと」
「やはり知らなんだか。人づてに聞いた話では、おぬしらの方では戦神を描かぬと言うからの」
「その通りだ。おれたちは戦神を形にせぬ。戦神はどこにでもいる。どこからでもおれたちを見ている。その一挙手一投足が戦神にかなうものであるか、常に見ておられる。そう習った」
「ほっほう」

 ウロタバは、ガノンの言葉に笑みを見せた。それがガノンの精神的基盤であると、改めて知れたからだ。しかしそれでいて、彼は。

「ガノンよ。ワシはおぬしを中原に染めようとしているわけではない。しかし覚えておけ。戦神をそう描くのは、多神教の習わしであるとな。そうでなくば、いちいち感情を乱されかねぬ」
「……」

 ガノンは、渋々ながら首を縦に振った。理解はできずとも、わかる他にない。ウロタバの意図を、噛み締める他なかったのだ。その表情を見て取ってか、ウロタバはさらに言葉を続けた。

「なに。ワシもな、おぬしらの方が正しいと思うておる。戦神を女神として描くは、古の民による欲の駆り立てよ。おぬしはともかくとして、常なる民はの。女神が下穿きでもチラつかせていた方が、戦意を駆り立てられるのよ」

 身も蓋もない物言いである。ガノンですら、一瞬、顔をしかめた。しかしながら、ウロタバはまったく悪びれなかった。

「なぁに。常人なんざそんなものよ。おぬしのように鍛錬を欠かさず、常に己を磨く人間の方が稀なのだ。しかしな。しかしそれでも。おぬしはその常人を駆り立てねばならぬ」
「……」

 ガノンは、ウロタバを真っ直ぐに見た。飄々としていたはずのその表情から、いつしか柔らかさが消え失せていた。ここからが本題だ。ガノンは彼の表情から、それを悟ったのだ。

「なぜに駆り立てねばならぬのか。簡単な話よ。そうしなければ、戦神の喜ぶ大戦は起こせぬ。三十年経とうが、五十年経とうが、歴史にも載らぬ小戦ばかり。これでは戦神に見限られるのが落ちじゃ。ワシのようにの」
「……」
「その折にはわからなかったが、今ならわかる。ワシはの、戦神の御力を不意にした。おぬしと同じく【危険なもの】とみなし、山に引き籠もって修業を重ねた。その結果が今。さしたる業績も遺せず、経験則ばかりを語り継ぐ痴れ者よ」
「……それは」
「それでいいのよ」

 抗弁しようとしたガノンをしかし、ウロタバは止めた。彼は目を細め、苦笑いのような笑顔を浮かべる。それ以上の口を、ガノンは挟めなかった。

「故にガノンよ。おぬしは歩まねばならぬ。戦士にとどまらず、多くの者を動かせる人間にならねばならぬ。それには、学ぶべきものが多い。これについては、ワシはどこそこに行けなどとは言えぬ。おぬしの、嗅覚次第よ」
「嗅覚、か」

 ガノンは、オウム返しでウロタバの言葉を受け止める。この者がのたまう言葉が正しいかは、いずれ戦神に問い質さねばならぬ。さりとて、彼の言葉には力がある。経験から来る熱意が、ガノンをほだしていた。

「まあ、アレよ。ワシからおぬしに与えられるのは十全な鍛錬。そして大いなる試練よ。あと数日も鍛えれば、おぬしはかつてのおぬしを超えられるじゃろう。その折にこそ、ワシはソイツを見せねばならぬ」
「……」

 ガノンは息を呑んだ。この山に入ってから、早くも一年は経過したであろうか。しかもその内の過半は、傷の療養である。さくりと言えば、ガノンは飢えていた。外に、強敵に、人間に。ある意味で言えばかつて、ラーカンツにいた頃のような衝動が、彼の中に生まれつつあった。それを解き放つきっかけが、提供される。ガノンにとっては、喜びでしかない。

「見せろ」
「む」
「今見せろ。おれに試練を差し出せ。今越えられずとも、いつかは越える。試練を見せろ」

 ウロタバは、目をしばたたかせた。ガノンの口角が、上がっている。笑みを浮かべている。黄金色の瞳が、輝いている。これまでに見たガノンの表情の中で、もっともきらびやかな顔であった。ウロタバは、得心した。やはりガノンは、戦神の【使徒】に相応しい。

「良かろう」

 ウロタバは、ガノンに向けて微笑んだ。しかし直後に、目の色を変える。鋭さをもって、ガノンに望んだ。

「試練を、見せてやろう。ただし、出会ったからにはもう戻れぬ。意地でもなんでも構わん。越えて見せい」

 両者の挑戦的な瞳が、今真っ直ぐにぶつかった。

#5へ続く

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南雲麗
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