36歳で稽留流産・手術した話
私は35歳で第一子を出産し、その後に第二子を希望しつつも流産を繰り返しています。前回は、産後に子宮外妊娠(異所性妊娠)をした話をまとめました。
今回は、子宮外妊娠の半年後に稽留流産をした話を時系列にまとめたいと思います。
読み進める前に
このnoteにたどり着いた方は、すでに主治医の説明を受けたり、自分で検索したりで「稽留流産」に理解があると想定して話を進めます。
稽留流産と診断されて自然排出待ちや手術待ちの人が怖がらないよう、ポップな感じでつらつら書きたいと思います!
わりと血生臭い話が具体的に出てきますので、苦手な方や興味本位の方はブラウザを閉じるのがおすすめですよ。
時系列を箇条書き
ここからは妊娠発覚から手術・術後1回目の生理まで箇条書きでまとめます!私の場合は、妊娠発覚から手術後の生理1回目までは約2ヶ月ほどでした。※個人差があるのでおおよその目安としてイメージしてもらえればと思います。
・5W:生理が予定日より遅れていることに気付き、うっすらつわりのような体調不良(+)、市販の妊娠検査薬を使って陽性反応(+)、子宮外妊娠で受診した総合病院で胎嚢確認(+)心拍確認(-)
・7w:再診、心拍確認できず
・8w:つわりや胸のハリがスッと消える※流産してもつわりある人もいます!
・9w:再診、稽留流産の診断、5日後に手術が決まる、手術前に必要な検査を一通り受ける
・4日後:お昼過ぎに不正出血、腹痛が徐々に出てくる、0時から絶食
・1日後(手術当日):6時から絶飲、早朝に日帰り入院、昼に手術(吸引法)、17時退院、子宮収縮剤・抗生物質が1週間分処方される
次の日:子宮収縮剤の副作用で足の痛みとふらつき(+)、出血は2週間ほど続く
・2週間後:再診、病理検査の結果は異常なし、生理1回スキップして妊活OKと言われる
・1カ月後:術後1回目の生理くる、普段通りで特に異常なし、その後もほぼルナルナの予定通り生理がくる
自然排出から手術の具体的レポートまとめ
箇条書きにするとほんとにあっという間な気がしますが、当時の私はすごく長く感じる日々でした。
稽留流産はいつ自然排出が始まるかわからない、しかも人によって茶オリが1週間以上続いてから大量出血する人もいれば、急に破水したかのように自然排出する人もいます。自分がどのタイプなのかわからず、「来るならこい!でも、保育園の送迎中やスーパーで買い物してるときは外してくれ〜!できれば土日で夫が自宅位いる時で頼む!!!!」と毎日祈っていました。
私の場合は茶オリのちゃの字もないくらいに、うんともすんとも予兆がなく。(今考えれば、自然排出の1週間前から腰痛が徐々に悪化し、子どもを抱っこして歩くと「ぎっくり腰になるんじゃないか!?」と脂汗をかくほどで保育園の送迎の際は車から建物までベビーカーを使用していました)これなら自然排出も起きないか?と手術の前々日に子どもと2人で高速道路を使って1時間の距離にある実家に帰省しました。
この判断がダメでしたね!!
手術前日に「そろそろ明日の手術もあるし自宅に帰るかなあ」と帰る支度をし始めたその時!お腹がシクシク痛み出し、お股から何かが出てくる気配を感じてトイレに駆け込みました。
自然排出スタート
まさかまさかの自然排出スタートです。
私の場合は生理1日目くらいからのスタートで腹痛の波も間隔が長く「これは長期戦になるかもしれない、子宮外妊娠の自然排出のイメージだと腹痛スタートから完全排出するとしても明日の昼か?」と予想しました。
しかし、いつ大量出血で迷走神経反射が起きてぶっ倒れるかわかりません。
まして、高速道路を運転するなんて無理無理!危ない!!なぜ手術前日まで実家帰省してしまったのか自分の判断を悔やみましたね。いや、夫が休日出勤で何かあったときに困るなーと考えて実家帰省してたんですよね。その何かが起きちゃったんだな……。
ダメもとで休日出勤中の夫にメッセージを送ったところ、お昼休みでスマホを見ていたそうですぐに返事がありました。そして、午後休みを取ってもらい私の実家まで迎えにきてもらうことになったのです。
ありがて〜〜!と思ったのも束の間、徐々に腹痛が強く、出血も鳥レバーくらいの塊が出てくるようになったので、夫が迎えにくるまでお子のお世話を両親に任せてトイレにこもっていました。
ただし、この時点では「本丸(胎嚢)はまだ先だな」と心に余裕がありましたね。
そして、夕方に迎えにきた夫が「あれ?全然、元気そうだね」と言ってきたのでカチンときたのを覚えています。「こちとら、帝王切開で術後のスパルタ離床を経験済みなんでね!痛みに対するキャパが広がったの!でも痛くないわけじゃないんだな!!!!!!!!!!!!!!」とイライラしました。
※稽留流産の自然排出が始まった妻に対して軽口を叩いてはいけません(1回目)
自然排出中だけどいつも通り子どもの世話をする
夫の運転で帰宅。この時はまだ心身ともに余裕があったので、私は日帰り入院の準備をしつつ、いつも通りの子どもの世話をしました。
子どもが生まれる前は体調が悪ければ横になろう〜!と回復するまで休むことができましたが、1歳の子どもがいると世話をしないという選択肢がないんですね!!
夫がいれば家事育児を分担できますが、寝かしつけに関しては夫の寝つきが良すぎて先に寝てしまうので私がやるしかない状態でした。
痛みの間隔が短くなり夜は一睡もできず
子どもを寝かしつけた後、私もベッドの上でダラダラ過ごしつつ、定期的にトイレで生理パッドを交換して過ごしています。
そして深夜になる頃には痛みの感覚が短くなり、痛みも生理痛を通り越しており、ドバッと出血した感覚があるたびに「そろそろ本丸(胎嚢)がくるか?」「いや、全然だわ」とトイレを行ったり来たり……。
次の日に手術を控えていたこともあり夜0時には絶食でお腹が空いてもお菓子など食べて気を紛らわせることができないのも辛かったな〜。なので痛みと出血で全く寝られずスマホをいじるしかなかったです。LINE漫画をたくさん読み進めていました。
手術当日の朝
そして、一睡もできずに朝6時からは絶飲だったため、5時に水を飲みにリビングへ。この時点で出血の量は夜用の生理用ナプキンを1時間に1回変えている状態でした。
手術当日は夫に休みを取ってもらい、病院の送迎と子どものお世話を任せています。
朝はバタバタといつも通り子どものお世話をしつつ、日帰り手術に必要な持ち物がちゃんとカバンの中に入っているかをチェック。
この時点で、私は腹痛と空腹、初めての全身麻酔での手術でイライラしているところ、夫は優雅にYoutubeを見ながら朝食のトースト食べていたんですね。
しかも、腹痛と出血で一睡もできなかった私に対して「夜中にスマホで遊んでるのかと思った〜」と軽口を叩くのでぶっ⚪︎してやろうかなと思いました。
※稽留流産の自然排出が始まった妻に対して軽口を叩いてはいけません(2回目)
いざ、日帰り入院へ
そんなこんなで朝8:45までに入院手続きを済ませるよう言われていたので、8:30には病院に着。この時点で腹痛により脂汗をかきかき、立っているといつホワイトアウトするかわからなかったので、入院手続きの待ち時間は椅子に座って前後に揺れていました。
産婦人科病棟に入り本日の説明を受けます。この時点でお腹痛すぎてたまにお腹をぐーで押していました。担当の看護師さんから説明を受ける時も「すみません。座ってられないので横になったままでいいですか?」と了承を得てベッドで横になったまま話を聞きました。
この時点で「坐薬(鎮痛剤)ってもらえますか?」と質問したのですが、内診で子宮頚拡張術(ラミナリア)を入れた後と言われています。
坐薬、はよ!はよ!!と心の中で唱えながら、着替えるように渡された手術着によろよろと着替えてからもベッドで横になり目をつむって痛みをこらえていました。
内診が痛えええ!!
手術前の内診に呼ばれるまですごーくひじょーにとても長く感じたのを覚えています。ラミナリアを入れるとき痛いとネットで見かけたので、経膣分娩を経験したことのない私は絶対に痛いやつー!!とビクビクしていました。
内診に呼ばれ、病室から3分くらいの場所にある歩いて病棟の診察室まで行きました。下着を脱いでいつものあの台に座るときは出血がボタボタと床に落ちて「え?これ大丈夫ですか?すみません💦」と言いながら歩きました。
そしてラミナリアを入れる前に、経膣エコーをするのですが、出血している膣内をガーゼでガジガジ拭かれたときがとにかく痛かったです。
しかーし、私は生理や採血の際に出る迷走神経反射に慣れっこだったので「ふー、ふー」と息を整えつつ意識が飛ばないように全集中しました。
そして、ラミナリアを入れる時は思わず「うっ!」と声が出るくらいの痛さで「あー、あかんー!潮騒が聞こえてくる。迷走神経反射が出るぞ」と焦ったのを覚えています。
内診台が下がって降りれる姿勢になったとき「すみません。意識が飛びそうなので頭を下げたいです」と看護師さんにお願いをし、そもそも立てそうにもなかったため、もう1度内寝台を上げてもらいました。
この時点で坐薬を入れてもらい、徐々に痛みが引いてくると意識もはっきりと戻ってきたのです。そして、自然排出の腹痛もほとんど感じなくなり「坐薬サイコーーーーーーー!!!」と心の中でガッツポーズ。
その後は歩いて自室に戻り、ベッドで横になって手術の時間まで待ちます。
点滴の静脈注射4回目で入る
痛みを感じなくなった私は無敵です。ベッドで横になってツイ廃をしていたところ、看護師さんが点滴を入れにきました。
が、しかし!!「針は入るけど弁が開かない」と言われてぐりぐりされ人が変わるがわる来て、途中で手術前の説明にきた担当医も試してみてもらったのですが全然ダメ。4人目にベテランの看護師さんが来て1発で点滴を入れてくれました。次からは事前に申告して点滴百戦錬磨の人にお願いしたいと思いました(忙しい中、変わるがわる来てもらうのも申し訳ないので!)
その後は手術まで爆睡。前日は一睡もできておらず、鎮痛剤で腹痛も無くなったため、手術の時間で呼ばれるまでぐっすり眠ることができました。
手術本番(子宮内容物除去術)
12時過ぎに手術に呼ばれベッドごと手術室へ。このとき眠たくて眠たくて、移動中も気を抜くと寝ちゃってましたね。手術室に着いて簡単な説明を受けつつ自分でベッドから手術台に移動。手術台って意外と狭くて「え?これ落ちないかな??」と焦りました。
麻酔科医の先生から「今から麻酔入れますね。ちょっと腕が冷たいような、抵抗を感じますよ(うろ覚え」と言われて「あ、つめたっ」と感じた瞬間に意識はなくなり、手術が終わった頃に目が覚めました。「え?もう??うっそー」と驚くような初めての体験です。
第一子の出産の際は、帝王切開で意識下の手術だったため長く感じたのを覚えていますが、全身麻酔の手術は体感で瞬き程度でした。
今回の手術は事前に吸引法だと聞かされていて、「掻爬法じゃないんだ」とホットしたのを覚えています。というのも、私が高校生の頃の性教育といえば「セックスイコール妊娠!妊娠したら中絶です。中絶は掻爬法で赤ちゃんを掻き出すんですよ!命を殺すんです!!」と脅しが主流だったんですね(私が通っていた高校だけかな?)。
あとは知り合いが稽留流産の自然排出で子宮内容物が若干残ってしまい、内寝台で無麻酔でガシガシと掻き出された経験を話してくれたことがあったので、とにか掻爬法への恐怖心が染み付いていました。
いざ、退院!
術後もベッドで横になったまま看護師さんが病室に連れて行ってくれます。
麻酔は切れていたのですが、第一子を出産後は夜泣き対応など子育てでぐっすり寝られる日が片手で数える程度だったので、とにかくゆっくり寝られてうれしかったー。
途中、看護師さんがバイタルチェックに来たときはうっすらと目を開けましたが、夕方16時まで爆睡。17時に帰宅OKとなり、夫にLINEをして病棟まで迎えに来てもらいました。
この時点で生理1日目程度の出血はあるものの、腹痛はなく、第一子を抱っこ。車に着くとコンビニで買ったであろうコーラとスイーツが用意されていました。12時間以上、食べ物を口にしていなかったのでコーラを一口飲んで「っかー!うめええ!!」と思わず口に出してしまったのですが、それ以降、第一子はお茶など水分をとった後に「っあー!」「ったー!!」と大袈裟にアピールするようになりました。笑
食欲もいつも通りあったため、帰りにスシローに寄って夕飯を食べ、帰宅。
ちなみに私が手術を受けた病院では入院の支払いは現金のみ。その日にする予定でしたがすでに窓口の時間が過ぎているということで後日支払いをすることになっています。税込33,000円でしたよ。
手術の次の日、子宮収縮剤の副作用で苦しむ
この日もいつも通りの平日の生活を送ってました。
術後に子宮収縮剤と抗生物質が1週間分処方されたのですが、この子宮収縮剤の副作用がつらくてですね。朝起きたとき太ももの内側の痛みとふらつきでヨロヨロ歩いていました。
ただし、子どもの保育園の連絡帳アプリを見返したら、土日まで平日は普通に登園していて自分でも驚きです。まあ、保育園に預けずに自宅で相手するのも大変なのと、夫は保育園の送迎時間には会社にいるので仕方ないといえば仕方なかったかなー。
※術後は出血や薬の副作用もあるのでしっかり休みましょう!!!!!
▼他の方の体験レポートをまとめた記事はこちら。
自然排出と手術それぞれ参考になったものをピックアップさせてもらいました。自然排出が始まる前に用意しておくと助かるグッズや、病理検査に出す内容物ってどんな?と知りたい方向けの画像リンクも置いてますのでぜひ参考にしてください。