光陰矢の如し、歴史を捉えるのは易きではない。
私はTwitterなどで「歴史的瞬間に立ち会いたい。」とよくTweetしていた。しかし、それはベタなもので、大阪万博、ベルリンの壁崩壊、ソ連解体などの時に戻りたいというものだ。
だが、上記のようなことをよく言っている割には現実のことに関心がない。ベラルーシ、ロシアは政治問題が起き、タリバンがアフガニスタンを9割支配しており、ナゴルノ=カラバフでアルメニアとアゼルバイジャンが揉めていて、中国とリトアニアは台湾で揉めている。コロナウィルスは言うまでもない。
これらはほんの一部に過ぎず、世界のあちこちでなんやかんや何かしらのことが起きている。歴史的瞬間にいるのに、歴史的瞬間に立会いたいと言っているのは滑稽にも程があるだろう。
確かに私は歴史的瞬間に立ち会いたい。しかし、学がないため、今がその瞬間ということを把握できていないのだ。だから、後からそのことを知り過去に戻ることを希求するのだ。
私が今noteを書いているときも歴史的瞬間であり、書き終えた時はもう過去になっている。時々これを思い出しては苦しみ、忘れて楽になる。
リンネは私たちをホモ・サピエンスとしたが、本当に私はホモ・サピエンスなのでろうか。