見出し画像

日本のおじさんをかっこよく!老舗紳士服販売企業の次の意外な一手とは?

昭和25年創業で主に紳士服の小売業を行う、株式会社林商店。スーツ・ジャケット・スラックスなどのビジネス衣料のほか、イタリアを中心としたインポートの商品をリアル店舗とネットを通じて販売している。他にも福祉施設で暮らす方に向けた理美容サービスなど、手掛ける事業は多岐にわたる。

戦後間もないころに祖父が創業した同社の後を継いだのは、今回話を伺った林啓成さん。業績不振だった事業を立て直すべく、様々な挑戦をするも初めはまったく成果が出ずに苦しむ日々が続いたという。

後を継いで18年経った今、過去を振り返り学んできたこと、そしてこれからの新たなチャレンジについて話を聞いた。


両親の離婚で意識し始めた、自分が継ぐしかないという決意

画像1

- 創業が昭和25年ということは、おじいさんが創業者ということになりますかね。

林:そうですね、創業は祖父です。戦後間もない物がない時代に、とりあえず服屋を出した、という感じです。そこから一貫して衣料品の小売業を軸に事業を行っています。

- 社長はどんなきっかけがあって、会社に入ることになったんでしょう。

林:僕はいま48歳なんですが、30歳のときに継いだんです。

ちょっと事情が複雑なんですが、創業した祖父は母方のおじいさんなんですね。うちは両親が離婚をしているので、僕は母方のおじいさん、おばあさんに育てられまして。

20歳くらいのころだったかな。ずっと別居しながらも娘婿として働いていた父が、正式に母と離婚をしたんです。それをきっかけに父が退社をして。最終的に祖父から「継いでくれないか」と打診されたのがきっかけで。

20歳の頃だからすぐには継げないから、祖父の後には一旦叔父が社長を継いでくれました。僕自身は一度別の服メーカーに就職をして、服の勉強をしてから30の頃に入社することに。

- いろんな人生の選択肢がある中で、「継ぐ」ということに対しては、抵抗とかはなかったんですか?

林:小さいころから住居と店が一緒になった昔ながらのスタイルで商売をしていたので、服が身近な存在だったんですよね。幼心に、多分継ぐんだろうなぁというのは薄々感じてはいたような気がします。

入社3日目で2代目社長に直談判。会社立て直しのために奔走し続けた日々

画像2

- 継いだ当時は、2代目社長の叔父様がいらっしゃったんですよね。最初のアクションとして、まずはどんなことをされたんですか。

林:本当に忘れもしないんですけど、入社して三日目のあるときに、2代目の社長である叔父に直談判しに行ったんですよ。レポート用紙10枚くらい持って、「僕はこういうかたちで仕事がしたい。OKだったらやるけど、ダメだったら違うことをやるから、首を切ってくれていい」と。

というのも、入社してから過去の売上データをいろいろ見ていたら、「これ、もう潰れるな」って思って。年々売上は落ちているし、何年も連続で赤字を出していて、累積で1億円以上あったんです。

- すごい。そのレポートにはどんなことを書いていたんですか。

林:具体的にはあまり覚えていないけど……。とりあえず「運営の権限と仕入れの権限をくれ、自分が全部責任を持ってやるから」ってことを言ったような気がします。

そこから数年の間、同時期にいろんな事業を手がけました。3年くらいの間に、ネットでの通販事業や福祉施設を周る理美容サービス、新店舗も出しましたしね。

- 3年の間にすべて始めたんですか。同時並行でいろんな事業をされたんですね。これをやったから事業が伸びたぞっていう、大きく手応えを感じたころっていつ頃なんでしょうか。

林:いや、もうそれはだいぶ先までないですね(笑)。

最初に手をつけたネット販売の事業なんかは、相当お金を使って独自ドメインでゼロから作りました。「店舗で売る」だけじゃない、「通販」というビジネスもイケるなって予感はあったんです。

ただゼロから作ろうにも、社員の中にサイトを作れる人もいなかったから、ぼくともう一人、外から呼んできた仲間と2人で、仕事が終わってから夜な夜な作業していましたね。あの頃はもうそんなに寝てないんじゃないかな、っていうくらい。

でもローンチしてから1年間は、まったく売れなかったんですよ。本当に笑っちゃうくらい。1年間ずっとやり続けて70万ぐらいの売上だったかな。

で、このままやってもダメだと思って、某ショッピングモールサイトに乗り換えることにして。審査は厳しかったんですが、ようやく出店することができたんですけど、そしたらあっという間に初日で70万ぐらい売れたんですよ。

- 今までの大変さはなんだったんだ、っていう……(笑)。

林:そうそう(笑)。そうなると商品がなくなるわ、発送作業に追われるわで、これまた眠れない日々。結局楽天で1か月目に350万~450万くらい売れて、次の12月には950万も売れたんですよ。本当にいい時代でしたね。

あとは継いだ当初はスーツのみの販売だったところ、この辺りから少しずつ海外からのインポートのカジュアル商品を扱いだすようになっていたんです。競合は他にもいたけれど、ネット上で尖った服が販売できたことも、結果的に功を奏したんだと思います。


一緒に走ってくれる、仲間という存在の大切さ

スクリーンショット 2021-01-27 9.09.06

- 直談判して押し進めた林さんの「やりたいこと」に対して、継がれる前からいらっしゃる社員さんたちはどんな反応を示されたんですかね。うまくやれましたか?

林:子供のころから面倒見ていたような若造がいきなり帰ってきて、「今日から事業を見ていく」っていっても、最初はやっぱり誰も言うこと聞かないですよね。ぼくが逆の立場でも、絶対に聞かないと思いますもん。

でもこっちは生き死にがかかっているから、やるしかない。でも周りは誰も助けてくれない。だから僕が次にしたことは知り合いに声をかけて、仲間になってもらうことだったような気がしますね。

当時ある二人が同時期に入って来てくれました。うち一人は少し年上で、食事によく行っていた元々外資系の保険をやっていた人で。この人が「ベンチャーで何か新しいことをやりたい」っていう、割と起業家マインドの強い人だったんです。もう二人でずっと、暇さえあれば「なんかできねーかな」っていろんなことを考えてましたね。

本質的には服で何かやりたいっていう気持ちがありましたし、そこに注力はしていましたけど、他にも服に関係ない仕事もいろいろしましたね。フードトラックやろうとか、コメダのFC店やろうとか、本当に何でも(笑)。

- それは衣料品の販売に限界を感じていたってことなんですかね。

林:いや、何か違うビジネスで利益を出せるものがあったほうがいいんじゃないか、ということはずっと思ってたんで。

とにかくあの頃は大赤字続きだったし、「これ、このままやってても何にもならんじゃん」って状態だったから、だからこそ動けたんだと思います。やっぱり人間、切羽詰まらないと動けないもんですよね。

歳食ってから切羽詰まると諦めちゃうかもしれないけど、まだ未来があると思えるタイミングで切羽詰まるとアイディアも出すし、多少チャレンジングな行動もできると思うんです。だからいま悩んでいる人も、まずは思いっきり切羽詰まればいいんじゃないかなって(笑)。

あとは、仲間がいたほうがいいとは思うんですよね、本当に。社内でも理解してくれる人がいたほうがいいんだろうけど、相当難しいだろうから社外でもいい。とにかく仲間づくりがうまくできたら、きっといいんじゃないかなと思いますけどね。


日本のおじさんをかっこよくするための、新たなチャレンジ

画像4

- これからの事業展開について伺いたいんですけれども。今アパレルって厳しい業界だと言われているじゃないですか。コロナで外出もしなくなって、おしゃれな服が必要なくなって。林さんはこれからのビジネスを、どう見ていらっしゃいますか。

林:今までは僕たちが売っている高級品の服って、日用品の延長にあるものだったんですけど、今は全然違って、「趣味の服」になってきてるんですよね。服があることで、気分が上がるとか、そういう趣味の領域になってきたなぁという気がしていて。

だから趣味の領域の服って、絶対なくなることはないと思ってるんです。一方で、これまでと同じ売り方をしていてはダメで。ここから先は趣味の領域で話が出来る人じゃないと、店員も出来ないんじゃないかなって思っているんです。

- 商品の持っている背景や文化などの商品知識が、そのまま商品になる、っていう感じですね。

林:そうですね、僕らのような高級服のゾーンではそういうことになるんじゃないかと思っています。

- そこを極めていったら、まだまだ服って面白そうですね。

林:そうですね。あとはぼく個人としては、また伸びる市場を見つけて、そこに何か賭けられそうなものを探すことだな、とは思っているんですけれども。

- 今興味がある業界とかって、あるんですか。

林:今度ローンチするんですけど、おじさん向けの男性化粧品!化粧品を出そうと思っていて。
紳士服もそうですけど、やっぱりおじさんがイキイキする社会なら、日本も元気になるんじゃないかなって本気で思っていて。だからそういう事業に携われたらいいなぁとは思っているんですよね。

ここには一定のマーケットもあるんじゃないかと考えているんで。これからもまだまだいろいろ仕掛けていきたい!


株式会社林商店
https://deradera.com/
愛知県名古屋市中村区名駅3-8-6

いいなと思ったら応援しよう!