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新しい業態を追加したのは「守る」ため。継ぎたいと思う気持ちを大切に
「会社は預かっているもの。守るためにはどうれば良いか、そのなかの手段の一つが新規事業だということを理解して取り組むことが大切」そう話してくれたのは、名古屋市中区に本社を構える株式会社タカギスチールの5代目社長、高木智英さん。
「タカギスチールは柔軟な対応力と的確な提案力で信頼・安心を提供し、お客様のモノづくりを支える」という経営理念のもと、材料の提供はもちろん、顧客の要望に合わせて材料の加工にも対応する、まさに「モノづくりする人を支援する」会社だ。
尊敬する父を早くに亡くし、若いときからアトツギとしての意識を持ち、常に「会社を守るためには何をすべきか」という視点を持って取り組んできたた高木社長に、これまでの経験やアトツギとして忘れてはならないことを聞いた。
家族でバトンを繋いできた、タカギスチールという会社のこれまで
ー 事業内容を教えてください
高木:今でこそ製造業でモノをつくっているのですが、あくまで軸足を置いているのは、モノづくりをしているお客様のお手伝いをすること。材料の供給から始まった我が社の事業ですが、現在では材料を削ったりという工程もうちで引き受けています。
以前までは、私たちが材料を提供してお客様の方で加工していただくのが普通でしたが、今は時間短縮などの目的で、大切な部品以外はアウトソースするというケースがとても増えてきていて。金型や金属部品にする工程まで全てひっくるめて、モノづくり支援業という風に名乗っています。
主要取引先は半分くらいが自動車の会社。そのほかはファスナーをつくっているYKKとか、建築関係、電池関係などが3割くらい、そして2016年より新たに取り組んでいる航空機素材が1割という感じですね。
ー 社長は今 42歳ですが、いつごろタカギスチールに入社されたんですか?
高木:タカギスチールは、1950年創業、1955年設立の会社なんですが、私の祖父が初代社長、そして私の父親へと引き継がれ、2代目社長である父親は早くに亡くなってまして。そのあと、祖父が一時社長に復帰したのち、私の母親が4代目社長として就任したという経緯があります。私が入社したのが2006年で、26歳のとき。8年後の2014年に34歳で社長に就任しました。
ー 本当にご家族でバトンをつないで来られたんですね
高木:そうですね。子どものころから、家業を見ていたので、社長をやろうとかタカギスチールで仕事がしたいと思っていました。そのために自分はなにを学ぶべきか、考えながらやってきたんです。
父親を亡くしたのは私がちょうど高校1年生のときで、けっこう大きな事故だったこともあり、より一層「しっかりやらなきゃな」と強く決意したのを覚えていますね。
ー まだ10代でお父様の事故を受け入れるのは大変だったと思います。そこでお母様が頑張ってバトンを繋いでおられる姿を間近でご覧になって、どんなお気持ちだったんでしょうか?
高木:母親がもともとけっこうネアカな性格なんですよね。非常に辛い出来事ではあったんですが、なんとかやっていきましょうと明るく振る舞ってくれて、タカギスチールでもともと働いていたわけではないのに、いきなり代表になって大変だったんじゃないかなと思いますね。誰よりも頑張って社長を務めてきたと思っています。
ー お母さまが繋いでくれている姿を見て、「自分が大人になったら継ぐんだ」って気持ちでいらっしゃったってことですか?
高木:大人になったら継ぐんだという気持ちは、どちらかというと父親の影響が大きくて。憧れであり、今でも尊敬する経営者です。うちはどちらかというと鋼材卸しの問屋なのですが、そういう現場は見せられて育ちました。父親が新しいものを見せるのが好きな人で、展示会にも連れていってもらって。幼い頃から自然と興味を持つきっかけをくれたと思っています。
学んだことは全て家業に持ち帰る!家業とは違う業界で働いた4年間
ー ではタカギスチールに入社するまではなにをしていらっしゃったんですか?
高木:4年間ほどコンピューターの販売会社で営業をやっていました。技術屋の営業、という感じです。組み込み系といって、マイコンとかの会社ツールを売る会社で、当時のお客さんはソニーとかシャープで、結構大手と取引をしていて。
大学で勉強していたことの延長線上にあった業界分野の会社だったことで興味があったことと、タカギスチールに関係する会社ではないところで、私個人がどれくらい評価されるか知りたかったのもあり、入社を決めて。絶対家業にここでの経験を持ち帰るぞという意識で仕事していましたね。
ー 技術営業、いわゆる提案型の営業ですね。そういう仕事をしていたからこそ身についた経験はありましたか?
高木:やっぱり提案力、プレゼンテーションのスキルはすごくついたと思います。あとは大手の文化を肌で感じて、商流をしっかり意識して資材を押さえるということは非常に学びが大きかったです。電気系の会社でも自動車の関係でもそれはどこも同じなので。
タカギスチール入社後、期待と反発のなかで
ー 今日は高木社長をよく知る社員の黒柳さんも同席してもらっていますが、昔からの長い付き合いなんですか?
高木:うちの会長(前社長)が、「僕がやりやすい良い人を採用したいね」って、歳も近かった黒柳さんに入社してもらったんです。いまは役員までやってくれて。長い付き合いですね。
ー 年の近い先輩がちゃんといてくれるというのは、心強いですよね。ずいぶん心の支えになったんじゃないでしょうか。
高木:本当にそうですね。ありがたかった。
黒柳:いえいえ。でも高木社長は知識も豊富ですし、何より「自分がしっかりやってやるぞ!」という感じで意識高く入社してきているので、周りは認めざるをえないという状況でしたね。
ー やはりご苦労は多かったと思うのですが、葛藤したことや失敗したことなどはあったのでしょうか?
高木:そうそう。当時は団塊の世代くらいの番頭さんがいて。その人たちからすると、「なんでそんないまさら……」というところからスタートしていたので、バチバチやっていましたね。
黒柳:新しいことをやりはじめようとするたびに壁や障害があって、それを取り除くっていうのがたぶん大変だったんじゃないかなと。
ー そのときはどのように乗り越えられたんですか?
高木:結局、私たちがしっかり着実に営業成績や実績を積み上げて行ったことや、これからの将来を見据えて取り組んでいるんだな、ということが伝わったのか、番頭世代の方々がちょっと一歩引いてくれたんですよね。相手に認めてもらうには、実績をしっかり積んでいくことが大事だなと思いました。
交換日記と先行管理表がもたらしたもの
ー 社長の代になってから新しく変えたことで、一番シンボリックなものはありますか?それが実績に繋がったというような。
高木:リーマンショックのときにガツンと業績が落ちてしまっていたんですが、とにかく営業に力を入れたことが大きかったと思っています。
営業件数は圧倒的に増やしましたし、猛烈な営業をかけただけでなく、手法も変えてます。持っていく商材もものすごく増やしましたし、行く回数も増やしましたね。
それと先行管理表を作ったんです。それまではその月と翌月くらいまでの営業成績しか数字を出していなかったのを、3月まで目標値などの数字が見えるようにしました。
結果、リーマンショック前の状態に戻るどころか、突き抜けて業績が良くなって。
黒柳:あとは、日記とかも始めてますね。
ー 日記?
黒柳:それぞれの拠点のなかで、交換日記みたいなものをまわすようになって。最初はみんな書きたがらないし、出せって言わなきゃでてこない……でも自然と「新しくこういう注文取りました」みたいな話が書かれると拍手が自然に出るようになったり、だんだん雰囲気がよくなってきて。
コミュニケーションのとり方が変わったというのもありますし、社長が作った業績先行管理表によって、今までは単月の振り返りしかしていなかったことが、先を見るようになって、営業の姿勢が変わった思います。いかにこの数字を作っていくかというスタンスができたのがそのときです。
ー 仕組みづくりと風土づくりを一緒に進行していったってことですね。
高木:今思うと、あのときはがむしゃらさだけでやっていた気がします。当時は母が社長で僕は専務だったので、とにかく前に出ることができたのと、お客さんのところへ自由に行けたというのが今と全然違う状況ですしね。
やっぱり今までの環境を大きく変えることは大変でしたが、3割くらい雰囲気が変わると、あとは自然に広がって変わっていく感覚がありました。
その当時に始めたことで成功事例はけっこういっぱいあって。社是や経営理念を毎朝の唱和する習慣とか、今は完全に根付いていますね。
ー 逆に若さゆえに気合入れすぎてから回ってしまうことはなかったんですか?
黒柳:やっぱり突っ走っちゃうみたいなところはあったかな。それで人との関係で少し悩んだりとかはあったみたいですね。
ー アトツギ社長さんたちからよく聞くんですが、成功したら「やっぱり先代のベースがあったんだね」って言われるし、失敗したら「やっぱり先代に比べると能力が……」って言われるし、どっちにしても褒められないという
高木:そうそう。笑
ー しょうがないですけどね。そして、専務から社長に変わられたのが、リーマンショックから数年経った2014年。その後、先代社長のお母様は基本的には見守っていてくださる感じですか?
高木:そうですね。専務の頃から、営業はある程度好きにやらせてもらっていました。社長になってからの経理は会長職として担当してくれていたのですが、それも去年くらいから私も見るようになりました。
新しい業態を追加したのは「守りたいもの」のため
ー 社長に就任されてから、業態をちょっと変えていくというか、新しい取り組みも始められましたね。
高木:新しい取り組みといっても、対応するお客さまはあまり変わらなくて、お客さんに対してこちらが差し出す付加価値が変化しただけなんです。
最初にお話した通り、われわれは材料の販売からスタートした会社ですが、今はその材料売りの事業に加えて、以前はお客様の方でやっていた加工や熱処理までこちらで引き受けるという対応もするようになりました。そうすると、われわれは完成品を売らないといけなくなるので、品質トラブルがあったときの初期対応や、担保とかも含めて、しっかり対応したくて工場も立ち上げています。
あと材料売りって、顧客である大きな会社に守られているというか。我々でいうとYKKや日立金属の材料はタカギスチールが取引をさせてもらっているんですが、それがゆえに例えばトヨタに売りたいよってなったときには当然入れてもらえないわけですよね。けれど、こういう加工もやることで、半製造業の立ち位置が得られ、そこで初めてお会いできるお客様っていうのがいるんです。そういう意味で、業態を追加して製造機能を持っている商社へ持って行きたかったというのがあるんです。
ー 狙いを持ってこの業態を追加されて、結果どういう感触をお持ちですか?
高木:工場を作ったことによって、最後まで加工がやれるところっていう認知度は上がったと思います。新たにご注文いただけるようになったお客様もたくさんいらっしゃいます。
とはいえ、まだまだやるべきことがたくさんあります。私も含めて不勉強なところは多いので、そこの効率はもっと求めていかないといけないなぁと思っています。
また、なにをもって他社と違うかっていう点をどう打ち出していくかについても、しっかり考えていくつもりです。
ー 今後どういう風に展開していくんでしょうか?たとえば10年後、タカギスチールはどこにいるんでしょうか?
高木:いまの領域をしっかり守りつつ、やれる範囲を広げていきたいと思っています。たとえば、いまうちの機械で作れる製品は四角いものばかりなんです。丸いものができるようにしていきたいというのも目標のひとつです。
アトツギの本分は「守る」。そのことを忘れないで
ー 最後に、家業に戻って奮闘しているアトツギにメッセージをお願いします。
高木:まず大事にしたいのは、家業は自分が始めたものではなく、お預かりしたものだということです。お預かりしたものを大切に残すということが絶対。新しいことをやるのも、私にとっては守り残していくためのひとつの手段です。なのでまずは、しっかり守る。そして、どうすれば守り抜いて、さらに勝てるかっていうところを考えないとダメだと思います。
「自分はとにかく今のことを全て捨てて新しいことをやりたいんだ!」っていう考えは私はちょっと違うなと思っていて、そもそもなぜ今その会社の代表を務めているんだっけ?自分たちの地盤ってなんであるんだっけ?ってことを忘れてはいけない。新しいことをやるために事業を継承したわけじゃないですよっていうのは強く言いたい。
あとは、誰と一緒にやっていきたいかということもすごく大事です。今日は黒柳も参加してくれていますけど、こういう仲間とともにやれるというのは本当にありがたいことだと思います。
家業をしている親を見て、継ごうと思うのはすごく自然なことです。同族企業とか、七光りって言い方もされるけれど、親に憧れて仕事をしていくというのはすごく素敵なことだと思うし、自分の家がやってきた商売をプライドをもってやるというのはとても大切なことだと思っています。
株式会社タカギスチール
http://takagi-steel.co.jp/
名古屋市中区錦3-7-19 錦TKGビル7階