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【クルマのお話】27km、1時間3分。
駐車スペースに車を入れ、エンジンを止めると、それまで計器を表示していたメーターパネルがフェードアウトし、代わりに、直近でエンジンスタートさせてからのドライブの距離と時間を「27km、1時間3分」と表示する。
“お疲れさまでした”というわけだ。
病院の面会時間が終わり、灯りを落とした廊下を俯いて歩き、少し離れた駐車場に停めた車に乗り込んで走り出すと、いつも大体これくらいだ。昼間だと1時間半、渋滞が酷ければ2時間近くかかる。
今日で10日間、自宅と病院との往復をしたことになる。
お盆に入る直前、母が突然入院した。
虫に刺されたところが炎症を起こしたようだ、と言うので、近くのクリニックに初診で診てもらい、念のための採血と、とりあえずの抗生剤の点滴を受けた。翌朝、再診のために彼女を送っていったところから、長い、長い一日が始まった。
心なしか硬い表情の医師から、「血液検査の結果、白血球の異常増殖をはじめ、特異値が出ている。炎症もこれに起因するものと思われる。根本的な治療は当クリニックでは難しい。紹介状を用意したので、すぐに隣の総合病院に行ってください」と説明され、とにかく急げ、と送り出された。
その病院では、紹介状を読んだ担当医が唸り声をあげて黙考し、整形外科から内科にリレーされた。内科医は、職人を思わせる風貌と、患者を安心させる快活さを持った人だったが、唸り声までリレーした後に、
「本当に、特段の症状なく日常生活を送っていたのか?」
という問いかけを僕らに向けた。
今朝のクリニックとはまた別の、古くからある内科の個人医院で毎月定期的に受診し、採血もして、「特記すべき異状なし」と診断されており、慢性的に膝が少し痛む以外は何も不自由していない、と母が答えると、先ほどとは違うトーンの唸り声が医師から発せられ、「ちょっと、待っていてください」と言って隣室へ姿を消した。
母は、「一体何事か」と戸惑うばかりだったが、隣室の様子を伺っていると、“今すぐこの個人医院の医者に連絡を取ってくれ!”という看護師への指示と、“このデータを見て何も気づかないってことがあるか?”という、呆れたような、そして怒気を孕んだ声がわずかに聴こえた。
ほどなくして戻ってきた当の医師は、
「問診だけで具体的な治療ができず、申し訳ない。表面的な炎症の治療ではなく、血液系の疾患を念頭に置いた精密検査と、治療のアプローチが必要、というのが私の判断である。残念ながら、此処には血液内科がない。すぐに紹介状を書くので、市北部にある○○中央病院の□□先生に診てもらってください。紹介状だけでなく、私から直接電話で申し送っておきます。」
と僕たちに話してくれた。決然と、前向きに。
そして、僕に向けられた視線は“急げ”と命じていた。
○○中央病院では、受付を訪ねるや否や、「伺っています。こちらへ」と即座に案内され、医師の問診、エコー検査、全身のCT検査が、戸惑うばかりの母に施された。
怯える彼女に対し、目じりに優しさを感じさせ、女性らしい、柔らかい声で宥めてくれた医師の診断は、
「県中部にある県立医科大学附属病院への即時入院、総合診療科での精密検査を要する」
であり、移動には、その医師自らが同乗した救急車による搬送が選ばれた。
それは、僕たちが考えている以上に、状況がシリアスだということを教えていた。
ここまで母を乗せてきた車に、今度は独りで乗り、救急車に先行して出発したが、渋滞の中で、赤色灯を回し、サイレンを鳴らして走る救急車に早々に抜かれてしまった。
遅れて病院に着いた僕が目にしたのは、既に車椅子に載せられ、複数の管や検査機器のコードが付けられた母の姿だった。ベッドは、ナースステーションに隣接し、24時間完全看護の、いわゆる「重症患者室」に置かれた。
母に複数の検査が施されている間、親族である僕には、彼女の既往症、生活の状況、介護保険の利用状況から、海外への渡航歴、日本国内、特に沖縄・九州と、温泉地への旅行歴まで、様々な聴取が行われた。彼ら、総合診療科の担当チームは、申し送られたデータに基づき、先天的な血液疾患から感染症まで、複数の可能性を挙げており、精密検査を経て、その可能性を一つずつ除外し、原因の特定に繋げるのだという。
また、これまでの検査が示している血液のデータは、体内の臓器に相当の悪影響を与え、様々な体調不良を惹起しても何ら不思議ではないレベルで、現在、そうした症状が顕在化していないのは、「神様の気まぐれ」である、急激に重症化するリスクがあるから「重症患者室」でケアするのだ、とも教えられた。
その日の面会時間が終わり、完全看護下に置かれたことで急変のリスクは抑えられ、残った僕にできることは、「神様の気まぐれ」と「母についてくれた医療チーム」に感謝することと、独りで車を走らせて自宅に戻り、翌朝、当座の入院に必要なものを揃えて病院に出直してくることだった。
スタッフに礼を述べ、病院を出た後、どうやって、どんな状況の道を運転してきたのか、正直、あまり憶えていない。といって、その間、どんなことを考えていたのかも、はっきりとした形を成さない。
彼女は否定していたけれど、自身の体調の変化に戸惑い、怯えていたんだろうか。僕はそれを見過ごして呑気に暮らしていたのか…、と考えていたような気はする。
「こんなことになっちゃってごめんね」と、まるで自分の失敗のように詫びたり、僕が自宅に戻ってから、食べるものがあったかどうかをしきりに心配する彼女の様子を思い出し、幾度か、フロントガラスが滲んだような気もする。
そんな状態でも、僕は事故も起こさず、自宅の駐車スペースに車を入れて帰宅した。エンジンを止めると、車は「27km、1時間3分」のメッセージを出し、続いて「ETCカードがリーダーに入っています」「携帯電話を忘れないでください」というメッセージを寄こし、それも暗闇に沈んだ後、静かにスタンバイに入った。
「前の車だったら、危なかったかもしれないな」と思い至り、ボンネットを撫でるように触れてから、僕は玄関に向かった。
1カ月前に納車されたこの車に乗る前の約11年間、気に入って乗っていた前車は、Bセグメントと呼ばれるカテゴリーに属するコンパクトな車体で、基本的には14インチのタイヤを履くのに対し、17インチで扁平率40%という、とんがったタイヤを使う特殊なグレードだった。
運転支援の機能といえばABSとトラクションコントロールくらいで、ナビも付いていなかったけれど、小気味よく走り、趣味で使う楽器を積んで、色んな用事に付き合ってくれた。
年数のわりに距離は走っていなかったが、大幅なインチアップの代償で、足回りを中心に、経年に伴う不調、次の車検時には重整備を要する箇所がいくつかあって、長い付き合いのディーラーの担当からは、秋に予定していた車検の前に乗り換えを薦められていた。
迷った挙句に乗り換えを決めたが、迷ったせいで7月の初回上陸分にはオーダーできず、次の輸入は10月末の車検切れに間に合うかどうか、という話だった。ところが、希望していた仕様とカラーの個体を他県のディーラーが発注しており、これを自社の予注分と交換するように担当が尽力してくれたおかげで、7月初旬に乗り換えることになった。
何とも「間(タイミング)が良い」というか、ご縁に恵まれた車だった。
同じメーカーだが、開けっぴろげで、カジュアルで、元気な友達のような前車と比べると、今度の車は、一回り大きく、大人っぽく、静かで、落ち着いた雰囲気を纏っている。グリーンメタリックという、日本ではあまり流行らない色を選んだのも、その雰囲気に繋がっているのかもしれない。
運転支援システムも一通り装備されており、黒子のように運転をサポートし、時には警告を発する。友達というよりは、物語に出てくる執事のようだ。あるいは・・・、そう、母親のようだ。
この車だから、あの夜も何事もなく帰宅し、その後も、毎日の往復を淡々とこなせているのかもしれない。そのために僕のところに来てくれた、とまでは思わないけれど、愛用した前車の役割を引き継いで、就役直後から活躍してくれているこの車は、やはり「間が良い」のだと思う。
車の名は、“VWゴルフ オールトラック”という。
この車で、この夏、思いがけず不安な時間を過ごし、無事に治療を終えた母を迎えに行こう、と思う。
そして、僕らが暮らすこの街で、素晴らしく献身的で、的確で、迅速な医療ネットワークが今日も機能していること、そのネットワークで現場に立つ医師・看護師、それに、病院食の提供や清掃を行ってくださる病院スタッフの方々への感謝を、決して忘れずにいよう、と思う。
乗り換え直後にできた、こんな想いをラゲッジスペースに載せて、もうしばらく、病院への往復が続く。
良いクルマとの御縁を繋いでくれたディーラーのスタッフの皆様にも感謝申し上げます。
どうもありがとう。
(了)