【クルマのお話】アルファQ4三代(台)
「ねぇ、和さん?」
「はい、どうしたの、晃子さん」
文字にすれば穏やかな夫婦の会話だが、実際はちょっと違う。
同い年なのに、もう、本当に可愛らしくて、声まで鈴を転がすような声で、想い焦がれてプロポーズした僕の奥さんが、どうやら少し怒っている。
「ガレージの右端に入っているクルマ、あれはなあに?」
「・・、あれは、アルファロメオの159と言います・・」
「ちゃんとしたお名前は?」
「アルファロメオ159スポーツワゴン、 3.2 JTS Q4 Q‐Tronic TI、です」
「立派なお名前ね。そのお隣は?」
「アルファロメオ164Q4、です」
「そのお隣は?」
「アルファロメオ155Q4の・・DTMコスメティック・・」
「全部アルファロメオで、全部Q4なのね?」
「は、はい・・」
「今までの2台は左ハンドルのマニュアルで、セダンだから大きな荷物も積めないし、古くて、しかもアルファだからいつ故障するかわからないし、そもそも155は恥ずかしくてお買い物や普段のお出かけに使えないから、もっと新しくて、私にも運転できて、荷物もたくさん詰めて壊れないクルマを買うんじゃなかったの?なのに、どうしてまたアルファロメオで、なんちゃらかんちゃらQ4が停まっているの?」
僕のプロポーズに応えて、僕のところに来てくれた晃子さんは、大概のことには怒らない。結婚する前から僕が所有していた車も認めてくれたし(155の助手席には乗ってくれないけれど)、一緒に出掛けるのが大好きでいてくれる最愛の奥さんだ。いつか、犬か猫を飼おうよ、と相談していて、どちらにするか、という点についてだけ、まだ意見が一致していないけれど、それ自体、他愛のない会話の一つだ。
その晃子さんが、ちょっと、怒っている。
理由はわかってる。
晃子さんは、僕と結婚する少し前まで、BMW1シリーズに乗っていた。3気筒エンジンを積んだFRで、1シリーズがFFに転換する直前に生まれた秘かな大傑作だった。彼女の運転はなかなか見事なもので、それで色んなところに出かけ、赤いFRハッチバックは彼女にとても似合っていた。
つまり彼女は、クルマとクルマを運転することが大好きなのだ。
しかし、僕のところに来てくれた晃子さんにとって、155は(恥ずかしいから)論外として、164も、あまり良い相棒にはならなかった。
何より、安全装備がエアバッグとABSくらいしかなく、そのエアバッグだって、いざという時に開くかどうかわかったものじゃない車で、晃子さんが一人で外出することを僕が嫌がったのだ。
その結果、僕は晃子さんに、新しい車を我が家に導入することを約束し、1台分空いているガレージのスペースにどんな車を入れるかは、僕の宿題になっていた。
そこに、どう考えても僕が自分の趣味を優先したとしか思えないようなアルファが入ってきたから、晃子さんは静かにご立腹なのである。
わかってる。わかっていますとも。
僕が仕事に出ている日中、晃子さんが僕の読んでる自動車雑誌の頁を開いて、「自分の愛車」に想いを巡らせているのを。
MINI
アウディA3(本当はRS3)
DS4
最近のBMWには全く惹かれないらしい。
SUVも候補には挙がらない。
大きな車が、右折時に右側に寄せ切らず、後続車の通行を妨げていたり、かと思えば、今度は歩道に大きく乗り上げて不法駐車し、運転席では女性がスマホをいじりながら塾帰りの子供を待っているような場面に出くわすと、助手席の晃子さんは、「全然お洒落じゃないし、クルマだって恥ずかしそうだわ」と嘆いていた。それはポルシェのカイエン、マカンと、レクサスのSUVであることが他を圧倒して多いのに加えて、そういう意識で街をゆく車を視ていると、ボルボのSUVも、そのアンダーステイトメントなイメージに反して、街中でその大柄な車体を持て余していることが多いのが面白い発見だった。
彼女が興味を惹かれているクルマたちのカタログを僕は取り寄せており、今も、アウディのディーラーに立ち寄って、いくつかのカタログをもらってきての帰宅だった。
「晃子さん」
一つ深呼吸をして、彼女をテーブルに招き、集めたカタログを差し出して、僕は話し始めた。
「色々考えて、このあたりから晃子さんの車を選ぼうと思うんだ。僕からの条件、いやお願いは一つ。できるだけ安全装備が充実していて、万一の事故の時にも護ってくれる、しっかりした車を選んでくれるとありがたい」
晃子さんは、普段の涼しげな表情とは違う、ちょっと驚いた様子で、
「え、いいの?でも、あの、ガレージのアルファ・・」
「159ね」
「その159は?」
「あれは、この機会に155と164を譲って、あの159にまとめようと思ってるんだ。2台の面倒を見てもらってるショップ、あ、本条さん(アルファとランチアだけを扱うショップのオーナーさんだ)のとこね、そこに、前から探してもらっていた159の良い出物が入った、って連絡があって、週末、試乗していいよ、って言われたからお借りしてきたんだ」
「あの2台、手放しちゃうの?あんなに大事にしていたのに。」
「うん、本当に面白い車だった。でも、僕はもう十分楽しんだし、昔の僕と同じように、あの車に乗りたい、あの車と暮らしたい、って望む人がショップ経由で見つかって、ちゃんと、正しく車に乗れる人だというのも確認できたから、今度は、その人たちの下で維持してもらって、楽しんでもらおうと思うんだよ。だから、あの159は155と164の後継車で、晃子さんは、この候補からでも、それ以外に意中の車があれば、それを選んでも良いから、159とガレージに並べよう」
ふだん、ジュエリー、アクセサリーにもあまり興味がなく、服装もシンプルなものを好み、総じてモノに対する欲が少ない彼女が、とても嬉しそうにしているのを見て、彼女はやっぱり、BMWに乗っていた頃からのクルマ好きなんだな、と思った。
さて、晃子さんは何を選ぶのだろう。(既に、彼女はリビングのソファに陣取って、たくさんのカタログを見比べ、読みふけっている。)
淡いグリーンのMINIが一歩リードかな。似合うだろうな。でも、彼女がヴァイオリンを積んでオケの練習に行くなら、DS4なんか佳いな。
クルマ好きにとって、一番悩ましく、最も楽しい時間だ。
わかる、わかる。
彼女の好きなアールグレイの紅茶を淹れて、そうっとテーブルに置いてあげよう。邪魔しないように。
僕は僕で、新しい相棒になる159の初期化の構想を練る。
距離は走っていないけど、新品部品が出るうちに、シート、ステアリングを含む内装は全部一新したい。色は希望していたアイスホワイトだから、丁寧に磨いてもらうだけで良いな。Q4は駆動系が独特だから、ステアリング系統と併せて点検してもらった上で、できるだけ新品部品を使って初期化したい。エンジンと吸排気系は、バランス取りとライトチューン、それと、ノーマルではちょっと妥協していると評されている排気効率を改善したい。あとは、運転支援関係の装備がない分を、当該機能を持った最新のナビを入れることで少しでも補完して、オーディオスピーカーも少し良い物に交換しよう。
ここまでやっても、現行のジュリアには、アルファ久々のFRであるという基本資質でも、フェラーリ由来だと云われるエンジンの面でも遠く及ばないだろう。アルファ自身が「低迷期の作品」と位置付けている159だが、ジョルジェット・ジウジアーロがデザインした159は、特にスポーツワゴンが出色のデザインで、ジュリアにステーションワゴンがあったとしても159の方が綺麗だろうと、僕は思う。(コントラバスを車に積む僕にとっては、ワゴンボディのデザインが重要だから)
GMとFIATの共同開発プラットフォームは、本来は一つ各上のEセグメントを想定したものだから、159が属するDセグメントにおいては過剰ともいえる物量が投入され、それがボディ剛性をはじめとする基本性能、“いい車感”を高めている、と思う。
何より、この車は、カール・ハインツ・カルプフェルが、アルファロメオの再興を期して送り出した、乾坤一擲の一台である。僕は、こういう「人の想いが宿ったクルマ」に弱い。同じ理由で、キャデラックの二代目CTSにも強く惹かれていた。こちらは、稀代のカーガイ、ボブ・ルッツの想いが宿る一台である。(知ってる人しか知らないが)
いつか、CTS‐Vのワゴンにも乗りたいと思っているけれど、それはまた別の物語。この間、奇跡的に出た中古車は、あっという間に流れていった。
晃子さんは、まだまだカタログに夢中だ。モデルが決まっても、きっと、次は色でまた悩む。やっぱり赤かな。MINIなら、淡いグリーンにしないかな(昔、MINIにシルクグリーンって色があった)。DSのシャンパンベージュも佳いな。
秋の夜長に、クルマ好きが二人。
静かな時間が流れている。
そうだ。
もう一台分空くガレージのスペースには、二人のためのスポーツクーペを入れよう。
マツダが開発中と噂されるロータリースポーツが、「人の想いの宿る一台」だと良いな。
(了)