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パラダイムを破壊せよ!『歴史編』(グルテンフリープログラム)【完全版】


お越し頂きまして
ありがとうございます!

なごみです!

このお話は完全版となる
グルテンフリープログラムの
『歴史編』のお話です

よろしくお願いします

最初にお話をしなければいけない
とても重要なことがあります

それは、なぜ、そもそもとして
僕が小麦やグルテンで大騒ぎを
しているのか?っと言うことです

これだけ世に広まっていて世界中の
人々に愛されていて定着している
ものを否定するなんて意味が分かんない

などと思う人はきっといらっしゃると
思っています。なぜかと言いますと、
以前の僕は小麦が体に必要な物であると
本気で思っていましたので共感ができます

ではでは、端的にお話をしますね
一部ですがまとめると
次のようなことがあります

・アトピーや喘息などの原因として
報告が多数あがってきています
・リーキーガットとの関連性があると
言われていますがあるでしょうね
・高血糖に素早くなってしまいます
・腹持ちが悪くて太りやすいです
・幸せな気分である多幸感がすごい
・農薬や品種に注目が必要
・依存度が高くてなかなかやめられない

このように思いつきで書いていても
たくさんでてきます。キリがないので
このぐらいで止めておきますね

世の中には都合の悪い情報って
実際ある分けですが・・・

正に小麦などに多く含まれている
グルテンはものすごく都合の悪い
情報となっています

こんなことを世界中の人が知って
認知してしまえば大混乱かもです

でも、いつまでも放置はできません

っと言うことで、これらの理由から
おおげさに思えるくらい僕が騒いで
いるわけです

っで、ですね、、

僕はこれまでの凝縮した情報と体験
からのような今回の情報共有を大切
に考えていて貴重だと確信しています

もしも、あなたがグルテンに対して
知識欲や問題意識があれば現実的に
学んで行動して健康な習慣の参考に
お役立ていただけることを願っています

僕は現実的なグルテンフリー生活を
個人個人で考察して行動することが
可能でそれを意味付けできると思って
お話をしていきます

そうですね、まぁ、何も完璧を
求める必要も人それぞれですので
7割型のグルテンフリーであっても
良い分けですが・・・

いわゆるプチ(ちょっとした)と
と言う感じのグルテンフリーです

正直言いますと、僕自身も
100%のグルテンフリー生活を
現在送っている分けではありません

でも、しょうゆなどの細かい調味料などを
見逃しさえすれば100%のグルテンフリーな
生活を送っていた時期は2年間ほどはありました

今は、7割ぐらいのグルテンフリー生活を
送っていますが、強弱の付け方はその時々で
違っていますのでそこはサジ加減って感じです

ココで言いたいのは、この『サジ加減』は
知識と一定の体験がないとできないと
言いたいのです

ですから、一旦、小麦を中心とした
グルテンの歴史を知ってあなたが
その知識を私生活に組み込んで下さい

中には100%避けるべき先天的な
セリアック病の人もいますが、全ての
方に参考になるよう意識しています

その『歴史編』です

そして・・・

このシリーズは小麦に対しての
アプローチでグルテンフリーへの
行動と実行が可能なのですが、、
常識を覆す必要がありますので
それなりに大がかりとなります

ですから・・・

歴史編→入門知識編→実践編
→総集編となっています

そんな感じですが、まずは歴史を
知ってそもそもの常識を180度
ひっくり返して下さい

そうやって、意識の
パラダイムを破壊して下さい

マインドを整えて下さい

っで、ですね。。

ココが重用なのですが
本内容は小麦やグルテンの
情報ですが・・・

食習慣や考え方など他の事にも
応用できる抽象度の高い内容に
なっています

読む人の知識や経験に比例して
気付きを提供できるように
工夫していますので、仮に
グルテンフリーだけでなくとも

健康への意識の高い人や食習慣の
重要性を理解している人であっても
学びが深い内容に加工しています

あとですね、本音を言いますと・・

この情報を全て知ることに有料で
読むことが一番重要だとも思って
いますが、その事に軽く触れてから
本編に入ります

もしも、あなたがこの情報に踏み込むときに
お金を払って読むのと無料で読むのでは、
その価値が何十倍にも違っていて、

貴重な情報なので有料で提供して、
その価値をおおいに発揮して欲しいと
僕は認識をしています

例えば・・・

立ち読みで得た本の情報よりお給料や
お小遣いで買った本の方がより、確実に
頭に入ってくるのは事実です

子供の時にゲームの貸し借りをして
いましたが、借りたゲームよりも
誕生日プレゼントで買ってもらった
ゲームの方がより味わい深いものでした

僕はこのグルテンフリープログラムで
脱小麦を中心とした情報であなたに選択
と行動をしてもらいたいと思っています

ちゃんとお金を払ってもらってお金を
頂いた僕もその価値をしっかりと受け
止めてこれからの活動に責任を持って
行きたいと感じています

前置きが長くなりましたが
ではでは、さっそくですが
内容に入っていきますね

グルテンと言えば小麦ですので
小麦が中心になってきますので
よろしくお願いします。


グルテンフリープログラム⇒パラダイムを破壊せよ!

パラダイムを破壊せよ!
【完全版】『歴史編』
グルテンフリープログラム

ではでは。。。まずは、、、

小麦を知る上で注目するべき
時代を絞るならば、それは、
終戦以降になるでしょう

1945年の終戦後に大きな変化
がありましたが庶民にとっては

すぐに何かが起こっていると
分かるわけでもなく、少しずつ
少しずつ変化していきました

主食だったお米がどんどん
パン食へとなってやがては
ラーメンやうどん、パスタや
ピザ、おかしなどの加工品へと

日本中が小麦を主原料とする
食べ物で溢れ過ぎているのが
現状です

そもそも、小麦食が栄養満点
であれば良いのですが小麦を
はじめとしたグルテンの悪影響
が無視できない状況になって
いることに警告を鳴らさざるおえません

そんなこともあって、現代の
小麦を主とするグルテンを知り
小麦依存習慣から脱却するマイ
ンドを個人的には推進しています

っと言いつつもグルテンを
ゼロにすることは相当、
難しいことでしょう

ほぼ、不可能だと思って、
そこは正直、諦めています

諦めているというと勝った
負けたの戦いのような
ものなので僕が個人的に
好きではありませんが、

「現実的には受け入れている」
と言った方が正解かもしれません

「許容している」

とも言えますが、僕は、
こっちの方が響きが
かっこよくて好きですね!!

神経質に否定するレベルでは
なく、努力目標くらいで良いと
線引きしているのですがこの
辺りは個人の自由です

推進も否定も反対も努力
目標程度のことです

それでも、この影響力は、
多大なものとなっています

そして・・・

この流れには、ちゃんとした
アメリカの戦略があって
協力した日本人が存在していて

国中を巻き込んだ手の込んだ
マーケティングによって見事
に手なずけられてしまった
結果なのです

終戦後に敗戦国となってしまった
立場と戦中と戦後の食糧難による
時代背景もあったのは確かですが

その影響からの流れを
現在も抑えきれずにいます

っと言うよりも、どんどん
加速して悪影響が広がっています

正直、もう手遅れです

しかし、諦める分けにはいきません

自分自身の健康への影響は
もちろんですが、努力は必要です

そこで、なぜ、そもそもお米を
中心としていた日本人が小麦が
大好きな民族になってしまった
のかを紐解きます

今回のシリーズでは少なからず
グルテンフリーをキーワード
としていますのでじっくりと
すすめていきます

小麦食は便利です
手軽で美味しいです

いろいろな食材としても
でまわっています

おしゃれなレストランで
だされるような高級店から
100円で食べられるような
インスタント食品にまで
使用されています

栄養がないとは言え、
とりあえずエネルギー源に
なることから、一回の食事
として認知されています

そして、なかでも、強力な
依存的な成分も含まれて
いますので・・・

どうしても食べたく
なってしまったりします

小麦の依存的な成分が本当に
強力で、人によってはタバコや
お酒やパチンコなどのギャンブ
ルと同じくらいの依存性がある
と観る見方もあるくらいです

グルテンや小麦と聞くといま
いちピンと来ない場合でも

例えばですが・・・

あなたは、、、

「ラーメンやうどんを辞められますか?」
「パン、パスタを辞められますか?」
「完全に辞めなくとも減らせますか?」

なかなか簡単にはいかない
ように思えますよね!!

そう考えると、本当に
強力な依存力過ぎますよね!!

しかし、このレクチャーを
読むことでそこから脱却する可能性
を高めることは可能となります

その予定です

結局は、本人次第ですので
保証はできませんが・・・

それでも可能性を
高めることは可能です

もしも、不摂生な食習慣の
方が現状の延長の食生活でも
良いのであればおそらく

この先を読んでも
意味がないでしょう

しかし、おそらく
そんな人は少ないと思います

多くの人は幸せになりたいと
思っていて、その為には、
健康であることに注目しています

その健康の手段のなかに
グルテンフリーの習慣が
必要なのかどうかを

あなたに判断してもらえたら
それで良いと思っています

そのあたりを気軽に
ジャッジしちゃって下さいね!!

そして、今回のレクチャーである
グルテンフリープログラムのお話を
読んでいるあなたに効果的に
学習効果を上げるためのコツ
をいくつか紹介しますね!!

ちょっとだけお話がそれますが
大事なことですので教えちゃいます

まずは脳内に記憶させるためにも
2週間以内に3回は読んでもらって
数分でも何かを感じてもらえると
知識の全体像(ゲシュタルト)を
作りやすくなってきます

ですから、何度も何度も同じ
内容であっても目を通して下さい

そうすると、記憶の定着力が
高まって、理解も進みやすく
なりますのでスムーズに次に
進みやすくなります

慌ただしい時代です

同じ情報に何度も触れてしまうと
時間がもったいなく感じがちです

SNSなどによって現代はより
慌ただしい時代へとなっています

・ショート動画は当たり前
・本だって分厚い本が売れません
・映画ですら1.5倍速で観たりします

でも、このツールはnoteです

しっかりと文章を読んで
自身で学べる人たちが集まって
くるプラットフォームです

どっちが良い・悪いと言う分けでは
なくてそうなっているようですね

もちろん、ノートに書いたりメモ
をしたりなどなども有りですね!!

では、本題に戻りますね!

ではでは・・・


①なぜ、日本人はパン食を好むのか?

 そもそもお米を中心としていた
日本人が小麦が大好きな民族に
なっているのは不思議ですよね!!

確かに小麦を主原料とする
食べ物はおいしいです
僕も小麦食は大好きです

よくよく考えてみると、
社会人になってからの僕の
主食は小麦食でした

朝食を食べる時はパンでした
休日や夜食はラーメンでした

ですから、その魅力は
十分知っています

しかし、お米も大好きです

何もご飯派だとかパン派
だとか競う必要はないですが
どちらもおいしいのは確かです

いずれにしても、特に終戦後の
日本ではどんどん小麦食を中心
としたパン食へと移行していく

流れがあるのですが・・・

たまたま偶然起きたよう
には観えないのです

たまたまお米離れが進んで
たまたま小麦食が進んだ

このようなかたちには
観えずに疑問が残ります

実は、意図的になされて
いたのですが、この件は
給食の歴史を観ると、

きっと分かりやすい
のだと思います

もっとも身近な出来事で
日本人ならば、ほぼ、全員
に近い人たちが体験者です

きっと、それぞれの思い出も
あったであろう「給食」です

地域の学校や世代にとって
違いはあるのでしょうが、

昭和53年生まれの僕の何気
ない思い出は、自分たちで
配膳係りをしたりして、

ある意味においては成長
する機会になっていました

又、各クラスごとの持ち回り
だったのですが、給食の
食事中に校内放送が流れて

クラスの自己紹介などの
ちょっとした発表会を事前に
録音しての放送をしたりして

当時は恥ずかしくて嫌でし
たが振り返ってみると、
楽しい思い出となっています

同級生のなかには食いしん坊の
人がいたり、少食の人がいたり

好きな食べ物や嫌いな食べ物が
あって、同じ献立が割り当てら
れているなかで、食事事情も
人それぞれな感じで刺激的でした

給食の費用も無償提供だったり、
安かったり、栄養を考えてたり
であきらかに母親が毎日お弁当
を用意するより手軽でメリット
感で溢れています

素直になればメリットしか
見当たらないと思います

しかし、

このようなもっともらしい中に
こそ想像もしないような意図
した思いが展開されていて

長い年月をかけて実行されて
いるとしたらそんなことは
普通は気が付かない分けです

感謝することを重んじる
日本人はそのまま感謝します

給食と言う多感な時期の
「感謝」や「思い出」に
よってしっかりと信じたのです

日本人はハッキリと言えば
みんなそろって良いように
磨り込まれたのです

ですから、これからその
感謝と思い出の「扉」を
開けて歴史的な事実を
加えていきます

っと言うことで・・・

まずは、その歴史的な
背景を観て見ましょう

時は1940年代以降
くらいから観て見ます

戦時中などの食糧難によって
中止になった給食を国民は
再開を願い待ち望んでいました

そして、

国民の意志を受け止めて
中止にされていた給食は
1954年に再開します

政府は学校給食を全国の
小学校で実施するように
なり完全給食と言うことで

必ずパンを主食として
出すようにしました

又、

栄養が1日に必要な1/3は
摂れるとして提供された
ようです

当時ならではの特徴としては
クジラのお肉や牛乳からは

脂肪分を抜いた脱脂粉乳が
だされていたようです

重要なポイントとしては

アメリカ産の小麦と脱脂粉乳が
全国の子供たちに毎週5日間
必ず供給されるようになりました

給食に出てくるおかずをパンに
挟んでおいしく食べたようです

そんな、パンを主食とする方針は
1976年の昭和51年まで続いた
ようです。そうなると、

1954年から1976年までの
22年間の間に子供時代を
迎えた世代はおもいっきり
パン食で育ったことになります

僕の親世代はこの22年間に
しっかりと入っています

現代のように様々な種類の
パンはなかったかもしれません

しかし、

確実にパン食へと移行する
「種」が植え付けられたのが
今となっては丸分かりですね

いかがでしたか?

給食のイメージが変わったのでは
ないでしょうか?

学校では習わないような歴史を
探求することで、脳内の洗脳を
少しずつ変えていくとはこの
ようなことなのです


②農業生産力の駆け引き

再び、戦後にさかのぼって
考えてみますね。。。

1950年代になると戦中や
敗戦直後の厳しい食糧難から
日本でもいよいよ脱却が
できそうになってきます

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