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スキな3曲を熱く語る

尾崎豊/15の夜

中学3年生の時だった。
体育用具室の2階に隠れて、友人に1本のカセットテープを聴かせてもらった。
それは尾崎豊のライブの音源テープで(密録はいけませんよ)、友人がポケットに隠し持っていたらしく、ガサゴソ音がするばかりで尾崎の歌声は微かにしか聞こえない。
それでもライブ未体験の私は、会場がどんなものかを想像して胸が躍る。
『尾崎ー! 尾崎ー!! 尾崎ぃー!!!』
曲間にバカみたいに叫ぶ男子の声がする。
「誰これ」
「ヒデ君。一緒に行ったの」

それから数か月後、ヒデ君は死んだ。
中学生が出歩くような時間ではない夜中に、跨線橋を自転車で走っていて車にはねられた。
即死だった。
「盗んだ自転車に乗っていたんだって」
大人たちがそんな根も葉もない噂をたてはじめた。
大人なんて……

中学生は大人への反骨心が一番強い頃かもしれない。
当時はまだ教師からの体罰なんて当たり前だった。
締め付けられるほど、余計に反抗したものだった。

今でも尾崎豊の歌を聴くと、ヒデ君を思い出す。


DREAMS COME TRUE/未来予想図Ⅱ

高校3年生の秋、彼ができた。
これから寒くなるというのに、学生生活の春が来た。
しかし、卒業と同時に氷河期が訪れた。
さっきまで教室で机を並べていたのに、あっという間に中距離恋愛になってしまった。

「会いたい」
彼は仕事終わりに2時間かけて会いに来てくれた。
束の間の30分。
そして、また2時間かけて彼はアパートへ帰っていく。
私はため息をつく。
いっそ会えない方がいい。
別れの淋しさだけが残るから。
疲労もたまってくるんじゃないかとも心配だった。
結婚したらずっと一緒にいられるのにな。

遠ざかるテールランプを見つめると胸が締め付けられた。
「ア・イ・シ・テ・ル」
そんなロマンティックな言葉ではない。
おしゃべりな彼の車のテールランプが永遠にチカチカ点滅する。
ある時、不審車両として彼のプレリュードがパトカーに停められた。
笑っちゃった、ごめん。


THE ALFEE/Fairy Dance

26歳で一人目の赤ちゃんを生んだ。
私は初めての子育てを甘く見ていた。
かわいい、愛おしいばかりではない。
夫が当直の夜は、小さなアパートで話し相手にもならない幼子と二人きり。
私は孤独だった。

「なんで泣くの? ママが泣きたいよ」
そんな時、自分を慰めるようにこの曲がふと口ずさんで出た。
泣く我が子を抱きながら、自分の歌声に合わせゆらゆら揺れると、母子で泣き止んだ。

THE ALFEEはロックなイメージですが、この曲は甘く幻想的な恋人同士の歌です。
高見沢さんの優しい歌声が、私たちの子守唄です。


熱く語ったところで…

多感なお年ごろに、音楽をどんどん聴くべきだと思います。
年月は経ってもあの頃の音楽を聴くと、その時の空気とか気持ちとかを瞬時に連れてきてくれる。

「昔は良い曲がいっぱいあった」
「今どきの音楽はみな同じに聴こえる。さっぱり良さが分からない」

時代は変われど、いい年した大人たちはそう言ってきたのかもしれない。
私もその一人だろう。
かと言って、若い人たちにあのころの音楽がどれほど素晴らしかったかと熱く語ったところで伝わるわけがない。
だって、その音楽には私だけの甘酸っぱい思い出が上書きされているから。

音楽は楽しい時に、恋している時に、Spotifyで聴こう。

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