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あの日の記憶を召し上がれ

Ⅵ 宴

夜は明けても夢は解けない。
「どうしよう」
どうやったら戻れるのか蒼空に聞くのを忘れたことを今更後悔しつつ、隠れていた部屋から抜け出す。
「この服じゃどうやっても目立っちゃうよなぁ」
自分の制服を見下ろしてつぶやいた。
「何者!?」
急に聞こえた高い声にはっと振り返る。
そこには少しふくよかで優しそうな女が立っていた。
「まぁ! そのお顔拝見したことがございます。もしや倭国の姫様では? もう宴のお客様がいらしたのですか?」
「倭国の姫?」
「夢のように美しい国」という抽象的な表現でしか著されていなかったはずなのに、この女は確かに倭国と言った。
こんなセリフあったかなぁ。
「ええ、ええ。お噂は耳にしております。倭国に絶世の美女と名高いお姫様がおられると」
「私が?」
肩まで伸びた髪を撫でて言った。
えっと……この人誰だったっけ。
「お噂通り見目麗しいお方ですこと。それに致しましてもその風貌はあまり頂けません。何かあったのですか?」
あ、思い出した。
この国の王妃様の世話役、日本の歴史で言うと侍女。
そうだ。それを利用すれば。
「実は私、この国を見て回りたくて早めに到着いたしました。ここに来る途中、南国の盗賊に宴用にあしらえた着物を盗まれたようで。申し訳ございませんが、お召し物をお貸しいただけないでしょうか」
「姫様がおひとりで?」
「え……ええ。そろそろ私も独り立ちしなければいけないので」
「そういうことでしたか。分かりました」
その女は心よく私に着物を合わせてくれた。
「さすが倭国の姫。様になりますわ」
「ありがとうございます」
ここまではセオリー通り。
この後は確かヒロインが誤って宴に紛れ込んでしまい、その宴が血塗られた晩餐会になるはずだ。
女に別れを告げ、宮中を歩き回ってみた。
どうにかして元の世界に戻らなくては。
ウロウロと歩き回るうちに昨日の廊下に出た。
すると向こう側から見たことのある顔が歩いてきた。
周りの侍女たちが頭を下げるのに合わせて私もゆっくり頭を下げる。
周りの侍女と違った上等な着物を貸してくれたから、気づかれないように祈った。
次期王となる男が女好きだということは聞かなくても分かった。
男の通ったあとに花の匂いが残った。
どうにかして宴を乗り切らなくては。

陽が傾いた。
少しずつ王宮の灯がともされ始める。
外は人で溢れかえっているのが見えた。

異国の宴が始まる。

これからの宴の場面がこの物語の中ですごく大切な場面。
だから宴に元の世界に帰るためのヒントがあるのかもと思ったが、昨日の男の言葉がどうしても引っかかる。
なぜ私は行ってはならないのだろう。
あんなセリフなかったはずなのに。
それに、私の知っている物語と少し外れている点が何箇所かある。
それも気になる。
でも余計なことをしでかして本当に人が死ぬなんて御免だ。

だが中身を知らないおもちゃ箱を与えられて、お預けなど私が我慢できるはずもなかった。
覗くだけ。
ほんの少しだけ。
と宴の扉をたたいてしまったのだ。

天井がものすごく高い部屋に、目のやり場に困るくらい華々しい装飾。
人の声が重なって幾つもの層を成している。
遠くで楽器を演奏する音もする。ギラギラと熱苦しい人々の瞳。
酒の匂いに香水の匂い。焼きたての肉の匂い。
鼻が折れ曲がりそうなほどそいつらが鼻先で渋滞する。
「お酒臭い……」
匂いだけで酔いそう。
「宮中で見かけない顔だな」
耳元の声にハッと振り向く。
昨日の男だ。
一層派手な着物に身を包み、ジャラジャラと装飾品をつけならし、私に話しかけてきた。
頭に王冠を乗せているところを見ると次期王が決定したのであろう。
「私……倭国の姫でございます」
古文の勉強ってこういう時に役立つのね、きっと。
「通りで。お見かけしないはずだ」
そう言っておどけた仕草を見せた。
「それにしてもお噂通り見目麗しい。どうですか? 私の晩酌のお供は。もう少しで結婚相手の発表だ。独り身最後の一杯にお付き合い頂けないだろうか」
よくそんな歯の浮きそうなセリフがスラスラと出てくるものだ。
「すみません、人を待たせているので」
ヌッと私の肩に伸びてきた手をヒラリと交わす。
「王の酒が飲めないと言うのか?」
急に低い声。
背筋に緊張が走る。
「いえ、そういう訳では……」
心臓が微かに跳ねた。怖い。
「王様、失礼致します。そろそろお時間でございます」
背後から声がしたのに助かった。
「間が悪いな」
と一度舌打ちをして
「それではまた」
と猫なで声を残して去って行った。
高鳴った胸を撫で下ろし、一呼吸ついた。
「だから来るなと言ったであろう」
王を呼びに来た男が私に小さくつぶやいた。
「え?」
低い視線を男に向けた。
真っ直ぐな黒目がちな瞳。白い肌。
「あなたは……」
「あの男は風来坊で女好きと忠告しておいたはずですよ、夢の住人さん」
昨日のあの人だ。
全てを見透かすその瞳。
私、この人をずっと前から知っていたような。
この瞳をずっと知っていたような。
その時目の前がぼやけ始めた。
頭の中がどんどん熱くなっていく。
「何これ……」
ふと目の前に、ある情景が浮かんできた。
辺りは真っ白。
そこに何者かの姿が映っていた。
次期王となるあの男だ。
あの男が私の目の前でほくそ笑んでいる。
私はなぜか声を荒らげて言った。
「運命というものが本当にあったとしても、それに跪いていたいとは思いません」
「運命に抱かれていれば良いものを。運命から背いてもなお、生きていきたいと?」
「ええ。それを蹴散らしてでも私は自分の国へ帰ります」
「その意気だ」
急に緩まる相手の口元。
「え?」
目の前にいたあの男が姿をみるみる変えていく。
「あなたは……」
私を助けてくれた黒ずくめのあの男だ。

やっと会えた。

本能的にそう思った。
「誰なの? あなたは誰?」
思わず必死に叫んだ。
「私は……」
目の前が真っ白になっていく。
男の姿が揺らぐ。
「ちょっと待って……行かないで」
私、あなたを知っている気がする。ずっと前から。
白い靄の中。ずっと優しい声で名前を呼ばれていた気がする。
幼い頃の自分と、もう一人名前を思い出せない男の子が隣に立っている姿がふと浮かんだ。
誰、誰なの?
あなたは。

「何か思い出しました?」
気づけば蒼空が目の前に立っていた。
あのお店に戻ってきたようだ。
「へ?」
「本の世界からお戻りしたところです。いかがでしたか?」
人が空想する全ての出来事は起こりうる現実である。
昔の人はそう言ったっけ。
まさか本当にこんなことが起きるなんて。
見てしまったものは真実。
ここは本当に記憶を司る不思議な本屋ノア。
「見覚えのある人が……いた気がします。誰かは分からないけど。本の世界から帰ってくる時に、ずっと名前を呼ばれていた気がして。幼かった頃の自分と、もう一人同じ年ぐらいの男の子の姿を見ました」
「それがお客様が取り戻したいと願う記憶の断片です。しかし先程説明致しました通り、この旅は記憶を提供した代償としてお客様の何かを頂きます。それだけはお忘れなく」
「何か……」
「お客様の知っているセオリー通りに物語は進みましたか?」
「ええ、大体は。でも何箇所か気になる点があったんです」
「気になる点?」
「はい。私の知っている物語にはないセリフが出てきて」
「それがヒントなんですよ」
「ヒント?」
「その違ったセリフが、お客様の思い出したかったことと関係しているんです」
「どういうことですか?」
「例えばお客様が違和感を感じたのはどんなことでしたか?」
「えっと、歴史ミステリー小説なんですけど……」
「あ、ここにある本の内容は全て頭に入っているのでご説明は省いて頂いて結構です」
「ここにある本全部ですか?」
周りに並べられた無数の本たちに視線を走らせた。
「お客様がいらしていない時間は、本を読むか紅茶の勉強をする以外にすることがないので」
蒼空は少し照れた様子で言った。
「はぁ……」
「それで違和感とは?」
「あ、屋根の場面分かりますか?」
「ああ! あそこ素敵ですよね。謎の男が詠んだ句が格好良くて。すごく好きな場面です。まるで宴を伏線しているかのように謎めいた感じが本当に好奇心を掻き立てるっていうか……」
「そ、そこなんですけどね」
放っておいたら収拾がつかなそうなので話を割った。
「その謎の男が私に、宴に行かないことを勧めるって言ってきたんです。それに着物を貸してくれる侍女にも倭国の姫と言われて……。確かあの本では主人公の生い立ちや、その国に迷い込むまでの経路は書かれていなかったはずなのにおかしいなと思いまして」
ふむと顎を触って蒼空は言った。
「なるほど。それならばきっとお客様が思い出したいのは単刀直入に固有名詞ですね。抽象的なことではなく、具体的なその名前自身を思い出したいんだと思います。それにそのものに関してのキーワードが禁止だということは読み取れますね」
「固有名詞と禁止?」
「はい。その情報にお客様が思い出した抽象的なイメージを組み合わせると。恐らくお客様が思い出したいのは、幼い頃出会ったことのある人物の名前ですね。ずっとお客様の名前を呼んでいたというのも記憶の修復の手立てになると思います」
蒼空が説明しながら新しく紅茶を淹れてくれている。
「幼い頃か」
そう言いながら私は自分の手のひらをじっと見たり、立ったり座ったりを繰り返してみた。
しかし何も変わったところは見当たらなかった。
長い夢から覚めた。
本当にそんな感覚だった。
「あ!」
「どうなさいましたか? お客様」
「本、返しに行かなきゃ!」

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