思い出って結局淡くて絵本みたい
中学二年生の頃国語の授業で俳句を詠んだ。
青田道
物思いにふけ
走る小夜
空は淡桃
明日は中天
田んぼ道を自転車で駆け抜ける帰り道。
夜とも言えぬ黄昏時を悩みを抱えて一人帰る青い道は長く、孤独なものだった。
空は淡い桃に染まりあがり、自分までその色に染まってしまいそう。
その景色がこの世のものとは思えない程美しく、刻々と姿を変える。
その一瞬だけの景色。
大丈夫、きっと明日も晴れるはずだ。
そんな句だった気がする。
自分で詠んだものなのに、あの頃の自分は何を考え、何を感じていたのか、今となってはさっぱり分からない。
けれど、今でもその句を時々思い出す。
どんなに悩ましいことが起きたとしても、帰り道の風景は変わらない。
その景色に何度助けられたことか。
その景色が記憶通りであったか、それは今となっては定かではない。
でも、結局思い出は淡く、昔読み込んだ懐かしい絵本のような存在にしておくのが一番良い。
思い出なんて、フィルターという補正がかかって
いつかのあの瞬間という一枚の絵画に収まってしまうものでしかない。
鮮やかな記憶はいつしか淡い思い出となるし
だからみんな、今よりあの頃が良かったと口を揃えて言うのだろう。
その補正は恐ろしい程に効果的だ。
今じゃあ、あの一日の終わりを告げる道すがらの景色は遠の昔に薄れ果て、真っ暗な中を急ぎ足でせかせか帰る。
たまに思い出しては、あの頃の景色に取り憑かれている。
あと二ヶ月で部活動を引退。
今日の日のことも「いつかのあの頃」という題名がかかった絵画となってしまうのだろう。
今私にできることはなんだろう。
今日も独り言に付き合って頂きありがとうございます。
素敵な一日をお過ごしください。
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