見出し画像

家族がバラバラになって気付いたこと

 「手相の勉強をしているんですけど・・・」
新宿駅南口で声をかけられた夜から人生が大きく変わっていった。

安倍元首相が銃撃された事件で再度マスコミで取り上げられるようになった宗教団体と私自身が関わるようになったのは、今から24年前のちょうど今頃の時期である。

私は約20年間その団体に所属し、信者同士で結婚もして子供も二人いる。
子供が小学校に入る前までは、礼拝に行っていたので子供たちは自分たちが宗教2世であることは自覚していないと思いたい。

2012年に教団主催の結婚式に参加した。
その前年まで親族には自分が教団に所属していたことは隠していた。
多くの仲間が親に宗教がばれて教団を去っていく姿を見ていたからでもあり、自分も結局妻が妊娠するまで会いにいかなかったのである。

また、教団の話を2011年にしたときに何度も田舎の兄から帰ってきて話をしようという電話があった。
けれども、なんだかんだ言って私はそれと向き合おうとせず、なんなら当時の組織の上役に説明を代役させるようなことまでやっていた。


東京に出て一旗あげてやるぜ!
そうやって田舎から出てきた若者をつかまえていく部隊があった。
都内でも二大勢力と言われるくらい大きな青年部があるグループに私はいたので、友達がまったくいなかった私は何度か教団を去りたいと思いながらも寂しさにはあらがえなかった。

男性1に対して女性は3くらいの割合で若い女性がたくさんいたので、女性と話す機会の少なかった若かりし頃の私にはある意味、夢のような世界でもあった。
また、自分は氏族の中から選ばれてこの教団に入り、真理と出逢うように運命づけられていたのだ!という話は私自身の自己肯定感を満足させるには十分だった。

もちろん、その当時はビデオセンターに通っていることは口止めされていたし、「自信がない」と言い続けていた私の弱さに付け込まれたという見方もできる。
私自身、自分で決める、決めたことをやり遂げるといった強さをもたず、また学生時代にはひどいイジメを受けるくらいにNOを言えない人間であった。
ようやく最近になって自分の考えを冷静に話せるようになってきたけれど、教団にいたころはまともに自分の気持ちを話すこともできなかったし、自分の心の声に耳を傾けることもできなかった。


結婚してすぐ夫婦のコミュニケーションが上手くいかず、また、親族との争いで心を病んで心療内科に通うようになった。
夫婦関係もさることながら結婚後私の実家に帰省した際に、説明するように言われたけれど、またもや説明を妻にさせるような態度をとってみたり・・・
結局兄にはいくら欲しいんだ?と言われ、私たちが献金をもらいに来たと思われていた。私たちに殺されるんじゃないか?ぐらいに思っていたそうだ。

結局それ以来、田舎には帰省していない。
妻が初対面で兄に激怒されて、二度と会いたくないみたいな・・・
誰かがあー言った、こー言ったということで自分で責任を取って
いこうとしない自分の不甲斐なさに本当に情けなくなってきた。
今はお金がないからという理由で、田舎には帰省していない。
これもお金のせいにしている。

兄や母とは電話がつながらなくなった。
兄たちの引っ越し先の住所も教えてもらっていない。
義理の母ともケンカして、もう二度とこないでおくれ!と言われてからは盆や年末年始にも会いに行っていない。
離婚した両親、父とも会う事もなくなった。
私には還る故郷はなくなってしまった。

家族や親族やご先祖様のために続けていった宗教生活。
大切な家族の絆を失ってしまったのだ。
私は教団を辞めたいまもなお心療内科に通いながら自分を責め続けている。















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?