現れる場 消滅する像
evalaさんの展示を観てきました。
先ずは一言。控えめに言って本当に素晴らしかった。表現が新しいし、視野が広がった(様な気がする)
この展示は観るというのは多分間違っていて聴くを超えて感じるという表現が正しいのかもしれない。
暗闇の中感じる。一瞬入る光の稲妻に刺激を受けて脳で感じる。想像しながらも脳は逆に休んでいる。無の境地。瞑想状態にもなれる。
ワクワクするし、どうなってんの?って思うし、聴覚に重きを置いているけどおまけにある視覚表現がまた素晴らしい。
evalaさんは視覚からの情報を断つことによって情報量は増えると言っている。
細胞の声、みたいな感覚。
evalaさんの展示を観たあと帰りかながら思ったんですよね。
いつの間にか僕自身現実主義によってきてしまっていること。もしかしたらもっともっと第六感を使ってもいいのかもしれない。僕はもともと感覚を頼りに生きていたと思うけど、このデジタルの時代にいつの間にか現実主義に。
今の僕に無くなってしまったもの(元々無いと思うけど)足りないものを教えて頂いた気がする。
因みに僕が以前書いた無響室は予約がいっぱいで体験できなかった。
これは僕が書いた体験の質の向上といった方向になっていてとても素晴らしい事だと思います。
無響室こそ最高の作品。
以下一部展示の説明
吸音材でできた、波打ったようないびつな形状の構造体が、展示室中央に設置されています。 者はそこに登り、思い思いの体勢をとりながら鑑賞することができます。
体験 《ebb tide》は、「See by Your Ears」の原点となった《大きな耳をもったキッネ) (2013-14) に立ち返り、evala 自身の記憶に残る私的な場所の環境音や、さまざまな音具の音によって 構成される新作です。時間経過とともに展開する物語ではなく、音響空間内に身を置く体 験そのものを提示し、そこから鑑賞者それぞれがイマジネーションを開いていくことが企 図されています。
引き潮を意味するタイトルは、生死も含む人のバイオリズムが潮の満ち引きと関連しているという伝承に由来しています。構造物に身を委ねて音を聴いていると、波にのってどこか遠い彼方へと誘われていくかのようでもあり、また引き潮のときだけ現われる岩の上で
去り行くものを見送るようでもあります。本作はevala にとって、死を迎えた人々へのレクイエムでもあり、そこには連綿と継がれていく生命への畏怖も込められています。
普遍的な生と死をイメージした作品は強いメッセージがある。
これらの展示は時間を作って見に行っても損はないと思う。控えめに言ってチームラボの10倍素晴らしかった。