週刊ナゴマ #6

哲学の道に行った

冬は何にもない水路であったが春は桜がいい感じ 宣材写真であるような、水面を花びらで埋め尽くすような風景は見られなかったが

春は桜を見たいね~なんて言ってたが、京都の学生の街にいると飽きるほど桜を見かけることになる 川辺も大学も公園みたいなもんだしな

桜が近くに見当たらない場所を歩いていても、土のある場所を見ると桜の花びらが散っている あくまで風で飛ばされた花びらが散らかっていて、ただピンク色だから目立っているという話なんだろうが
そうでなくて、ただ「春」を演出するために誰かが地面に撒いたふりかけだったら嫌だな

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PUMAみたいなシイタケ

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サークルで新歓が始まっている 今年サークルに所属している人間を整理したら自分が3番目に歴が長い人間であった 別の団体での活動に魂を売ってる人間が1人いるので実質次男である もう大学院生であるのでそれも当然なのだが

自分より3~5年ぐらい上にこの大学卒の界隈のボリュームゾーンみたいなものがあり、その人たちと一緒に活動することが多いため自分は若手だ、みたいな認知をしてしまうことも多いが、実態はもうほぼOBである

大学生活の4年間というのは絶妙なものだと思う 中高の3年ずつと比較すると少し長いため、ここで出会った人は「人生の中でともに過ごした時間ランキング」で上位に食い込んでき得る さらに社会的な性格みたいなのが形作られる時期であることを踏まえると、やはりというかなんというか自分の心理的な部分に作用するものは大きい 実際、僕はここ数年で出会った複数の人間に影響され、自分自身の性質を意図的に変化させることもあった

自分はもう少しアカデミックな方向に進む道を選択したのでまだしばらくはのんびりと学生をやらせていただくが、出会った同年代はかなりの割合で既に社会に出て労働をしている 中には結婚をした人間もいる

「焦り」を感じてもおかしくはない が、不思議とそういった感情はなく楽観的である 近年「若者が社会に出るのが遅くなった」「大学を出てすぐ家庭を持って……というステレオタイプが崩れつつある」「定職に就くというモデルはもうなくなっている」という言説を耳にすることが多い こういった言説は既に何年も社会を見てきた壮年たちが大人になりたての者たちを見て評価しているものであり、ベクトルは後方である
それに対し、多様な社会を生きる彼らは僕にとっては前方の存在である 何度も転職を繰り返す人も、起業して失敗する人も、未だに恋愛にあがき続ける人もみんな先にいる存在である 多くの「先にいる存在」が色々な方向に進み、引き返し、もがいている姿を見ている 彼ら個人個人にとっては重大なことであり、その中にはかなりネガティブなものもあるのかもしれないが後ろから見る僕にとっては勇気と楽観を与えてくれる存在である

「こういう大人になりたい」という憧れを感じることはもはやない が、「こういう大人もいればこういう大人もいる、だからその間のどこかに位置している僕も力強くやっていけるだろう」という自信を持てる

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