佐賀の「うわば」呼子を巡るタビ(神社編) ~ 天下統一ができたのは遊び上手だったから? ~
島々に囲まれた冬の玄界灘は、想像と違った静けさであった。
と思ったのも束の間、
赤い欄干の橋を中ほどまで歩くと、突如として風が髪をかき乱す。空を見上げると、雲が足早に青空を横切っていく・・
◇◇
はーい!
なぐツー(なぐなぐツーリスト)へようこそ
佐賀県北東部の「うわば」地域を巡るタビ、本日も呼子を訪れます。
呼子の中心地、朝市通りを離れ、まず呼子港の反対側「殿ノ浦」地区を散歩。その後、呼子のシンボル的存在「呼子大橋」を渡って、「加部島」地区を巡ります。
加部島といえば、海に向かって立つ鳥居がある、田島神社ですよね~
そして、アチコチに残る、太閤秀吉の痕跡にも注目!
それでは、はじまりはじまり〜
◇◇
呼子港の東側は、漁業商業の町
朝市通り、商家、網元などが軒を連ねる。いわゆる昼の町だ。
反対の西側は
夜の街だったようだ。
対岸の「殿ノ浦」という地名に、少し夜の響きを感じる。むかしは殿方たちが、こちら側から船で遊びにいっていたようだ。
その殿ノ浦の北方に、加部島が浮かぶ。現在は、呼子大橋でつながる。その呼子大橋の下、加部島と殿ノ浦の間にあるのが、今から訪れる弁天島。
昔は干潮時しか歩いて渡れなかったが、現在は遊歩橋が整備され干満関係なく渡れる。
案内板の通り
秀吉が、祈祷と船遊びをした場所と伝えられています。
はーい、橋を渡るよ
加部島は、昔「壁島」とも呼ばれていた。
壁のおかげで、玄界灘とは思えない穏やかさ。
ただ海を覗くと、潮の流れが速い。瀬戸内海を思い出す潮流だ。
橋を上から見るとこんな感じ
現在、左手から島に向かって歩いています。
で、なにがあるの?
案内板に書いてあった通り、弁天島にあるものと言えば、全国的にこれです。
もとはインドの水神である弁天様
弁天島は、漁の安全と豊漁を祈願した場所。
特に捕鯨は、命を懸けた大勝負であった。そして、秀吉もここで、水軍を従えた朝鮮出兵成功を祈願した。
ただ秀吉は、祈祷と一緒に船遊びをしたバチが当たったのかな・・・
我々は、タビの安全を祈願して、この場を後にする。
えぇ、私は遊んでいませんから、バチはあたりませんよ、もちろん!
参拝を終え、次に向かうは?
九州北西部といえば
教会ですよね。天草や五島列島が有名ですが、ここ呼子にもあるんです。
先ほどの駐車場から、坂道を登ること10分。
じゃーん!
この教会は、近くの馬渡島から移築されたものらしい。呼子町の離島には、江戸時代より弾圧を逃れたキリシタンが住んだ。そのため、離島には現在も多くの教会が残る。
今旅では、残念ながら時間不足、離島のタビは次回の宿題としよう。
じゃんじゃんいくよ!
駐車場に戻り、呼子大橋をぐいーんと渡る。
次に向かうは、田島神社
佐賀県最古参
加部島の海岸線を、気持ち良く走ること5分、居酒屋英松と鳥居、右側に港が見えてきたらもうすぐ、
少し狭い道だが、えい!っと左折しよう。
田島神社について、説明しよう!
あの宗像大社の本宮(ルーツ)とも呼ばれる、一説には弥生時代後期からあったとされている。最古参ベテラン神様なのだ。
確かにこの辺りは、大陸からの最短ルート。神道も大陸から伝わったのではないかという説がある。
そういえば、この加部島の沖にある壱岐島には、月讀神社があった。そう、あの伊勢神宮にある月讀神社や、京都にある月讀神社は、壱岐が本宮(発祥)なのだ!
なぐツー流に、おおざっぱに言えば、この地を訪れたお偉いさんが、「これはいいもの見っけ!」ということで、京都に持ち帰った(パクった)のだ。
ということで、参拝するよ。
参道、参航路?
昔は、船で訪れていた名残り、参道が船着場から始まる。
船から降りた気分で、参拝してみよう!
礼!
よいしょ、よいしょ
階段を登る
狛犬も高齢化が進む
本日、三回目のお参り
参拝だけに・・
◇◇
はい、これにて
長々とつづけた、唐津の旅もおしまい。
佐賀県は、都道府県魅力度ランキングで、最下位争いをしていますが、そんなことないでしょ! 唐津だけでも数日じゃ足りないのだ。
一度はおいでよ佐賀県
(おしまい)
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