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看護師としての覚醒

どんなに学生時代に勉強を頑張っても実習を頑張っても
国家試験でいい点数だったとしても
入職してからの苦悩は平等にあります。

とにかく何にもできない。
何者でもない自分が苦しくて、
無力感に負けないように毎日勉強していたのを覚えています。
どんな医療行為も看護も、まずは見学→フォロー付きで実施→自立。
患者さんへの思いは溢れるのに
できないことだらけで、苦しかったんです。

そんな中
入職して早々、私が看護に夢中になった患者さんがいました。

と、その前に

まずは当時の診療科をご紹介。

化学療法・緩和ケア科
 化学療法や放射線療法、疼痛コントロールを目的とした患者さんを診ていました。手術適応ではない方々なので、がんのステージ分類でいうとⅢ以上の方々です。

そこで出会ったマサさん(仮名)。
がんの末期の方で出血により貧血で輸血を繰り返していました。
でもマサさんが1番つらかったのは 「痛み」

1日中、癌性疼痛と戦っていました。
私たち看護師は痛みの評価をしながら疼痛コントロールにつとめます。
しかし、この痛みの評価というのが難しい…
本人もどう表現していいのかわからない。
それなのに何度も何度も看護師に聞かれます。

痛みの部位、痛みの性状、痛みのパターン、痛みの強さ、、、
こんな感じです。

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そしてNRSで評価、またはフェイススケールを使います。

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マサさんも困っていました。
癌性疼痛に使われる医療麻薬『モルヒネ』ですが
マサさんもなかなかの量を投与していました。
それでも過鎮静になることもなく「痛み」は取れない。

わたしも途方にくれて、途方にくれながらも先輩に相談しました。

そして、押してもダメならひいいてみろ作戦!!

めちゃくちゃアナログです。

疼痛コントロール:アナログ編

冷やしてみる。
だめならあっためてみる。
そしてタッチング(マッサージ)。

これがなかなか効くんです。
もしかしたら効いてたわけじゃなくて私たち看護師の思いが届いただけなのかもしれないけど、このレトロなアナログ作戦が1番でした。

まさに『て・あーて』です。
(「手を使ったケア」の有用性、意義、重要性をうたう言葉で看護学校で習います)


しばらくして、マサさんは星になりました。
思い入れもありますが、わたしは涙を堪える技術を習得していました。
マサさんが形を変えた日、奥様に呼び止められました。

『主人がカピパラさんのことをとても話しやすい人だと言っていました。
ありがとうございました』


涙。


この日、何者でもなかったわたしが看護師として覚醒しました。
先輩の影に隠れていたわたしが芽を出しました。
名前のある一人の看護師として認められた気がしました。

痛みのコントロールは難しい。
あっためたり冷やしたりさすってみたり。
マサさんの言葉にできない痛みを、言葉にできない痛みとして受け止めようした日々。

マサさんにはわたしの気持ちだけは届いたのかもしれない。
一生懸命向き合おうとする新人看護師に
せめて心の痛みが緩和されていたらいいなと思いました。

教訓

1、痛みは表現が難しい。
医療者があの手この手で、時間をかけヒアリングする。

2、痛みはコントロールできる。
1分1秒でも痛みを取り除く努力を怠ってはいけない。
「他のナースコールがなったから」後回し←ダメです!

3、患者さんはいち早く対応してくれた人対し信頼を寄せる。

4、「安心」できる環境や関係性の構築により痛みの緩和ができる。
(痛みの閾値が下がる)と、信じています。

5、看護師も個別性を大切にしてもらいたい。
患者さんの個別性を大切にするのと同様に。
「新人看護師」というラベルではなく、
「カピパラさん」としてみて欲しい生き物。
(↑この視点で後輩たちを見守りたいと思っています)


長くなりましたが、読んでいただきありがとうございます。

ご自分がつらくても、
新人だったわたしを暖かく見守ってくださったマサさんに感謝です。



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