【論考】ポスト・コロナ社会の考察点
「書く」ことは自己の立場を明確にさせ、したがって自己をコミットすることである。
出典:高坂正堯 『国際政治 恐怖と希望』 中公新書
一行目からギクッとさせる一文である。
当たり前は既に崩壊し、この状況下で信じられるものは少ない。
国民というか、この世界の仕組みからは逃れられない者の1人として、何となく思うことが積み重なり、やがて黒い影として心を蝕んでいく。
ならばできることは少ないが、現在思考し、これから分析していくことを明確にするのは、タスクを切り分ける足掛かりになる。
脳から直接出力するので、メモ程度である。後の自分に考察は任せたい(丸投げ)
1.階級対立の激化
19世紀にマルクスがプロレタリアートとブルジョアの対立を唱え、20世紀にはイデオロギー対立に至った。21世紀ではポピュリズムと民主主義の対立が予想されるが、この衝突はこのコロナウイルス関連の混乱によって加速する。
この問題の根幹には再び燃焼したプロレタリアート(労働者)とプロレタリアート(経営者、いわば賃労働の下層には位置しない者)との対立、いわば21世紀の階級闘争が存在している。
星野源による「うちで踊ろう」に様々なアーティストがセッションした動画をアップロードする輪が広がっている。
仕事の場を失ったアーティストにスポットライトが当たる良い機会であり、文化の交流を滞らせない素晴らしい試みであろう。
そしてこの運動に限らず、様々な著名人や運動が外出自粛を呼びかけている。
しかしこの状況で外に出たくなくても出ざるを得ない人々が存在している。医療従事者など、緊急時でも休めない人々がいるのは周知の通りで、在宅できる我々は感謝すべきだ。
だがもっとも問題なのは、「職場がテレワークに対応しない」、「休めば解雇される」などといった声があがることだ。
「なぜ理不尽な目に合わねばならないのか」
この感情はやがて憎悪となって、「持たざる者」は「持つ者」へとヘイトを向ける。
こうして外に出なくても許される者、外で働かざるを得ない者の対立が、収入、労働環境の差として具象化していくと考えられる。
アメリカでは既に死亡者に黒人の割合が高いことから、感染状況の中でさえも格差が表れている。
対立はやがて憎悪に繋がり、扇動政治の温床となることが予想される。
失業者は増え、雇用の増進がポスト・コロナ社会では政府の急務になる。
では我々が考えるべきことは何か?それは「日本でポピュリズムがどのように発達するのか」である。
例えば今後も与党の政策が後手だと批判され、野党はロクでもない、ときたら、民衆は何を期待するだろうか。
流星のような第3勢力を待望するのは自然なことだろう。
このような状況で出現するのは、決まって「民衆の側の政治家」だ。
古くは2月革命の混乱から台頭したルイ・ナポレオン(ナポレオン3世)、日本で言えば郵政民営化ごり押しで有名な小泉純一郎である。
彼らのような存在は、「ポピュリズム」と紐づけられる。簡単な言葉で言えば人気取りをメイン・ウエポンとして政権を握ったともいえる。
ではそもそもポピュリズムとは何か?これを定義するのは難しいが、水島治郎氏によれば、
第一の定義は、固定的な支持基盤を超え、幅広く国民に直接訴える政治スタイルをポピュリズムととらえる定義である。(中略)第二の定義は、「人民」の立場から既成政治やエリートを批判する政治運動をポピュリズムととらえる定義である。
水島治郎 著 『ポピュリズムとは何か』 中公新書
ポピュリズムのイメージは、後者の定義と結び付けて、「民主主義」と対立している概念であり、打破せねばならないと訴えるものが多い(気がする)。
善悪はさておき、日本で渦巻く不満のエネルギーは、テクノクラート(官僚やいわゆる「上級国民」)の腐敗に向けられていることもあって、既存政治を変えることに希望を見出している者も多い。
ならば第二の定義のポピュリズムが育つ素地は完成されているのではないか。
ある政党Xが実現不可能な政策をぶち上げて国政に乗り込み、一定の勝利を獲得する将来は想像に難くない。
ではその政党Xは誰が創造主となるのか?そしてもしその事態に陥った時、既存政党はどのように対処するのか?官僚組織に変革が訪れるのか?
現在を分析することは将来の予測の種であるので、しっかり考察していきたい。
2.データリテラシーの重要性
この記事を執筆している前日(4/16)にTwitterのトレンドで「ジョンソンの怒り」がランクインしていた。
バズったのは「中国製の検査キットにコロナウイルス付着」という記事。(凄まじく「臭い」元記事を見るととてつもない脱力感に襲われるのでリンクすら貼りたくない)
例のごとくフェイクであったが、相当数のRTである。これほどまでのリテラシーの低下は、やはり有事の際でないと形にはならず、見えてこない。
昨年は『Factfulness』という書籍が好評を博した。内容はグラフから想像してしまう杞憂の仕組みを明らかにしようとか、そんな感じである(だいぶ前に読んだので覚えていない)。
「ファクトチェック」が注目を浴びる中、我々が情報の真偽を見分けられるようになるためには何が必要か?
個人的には、語学の習得が一番の近道だと思っている。だがそれを大半に強制することは不可能であるから、せめて
・誰が、どの機関が発言したのか?
・いつ発表されたのか?記事の日付は?
・ソースは?
ぐらいチェックして信じるかを判断せねばならない(自戒)。記事の見出しだけ見てRTするなどしてはならない。
またリテラシーを向上させるため、どのような取り組みが有用かを検討せねばならない。
3.WHOの機能不全からみる国際機関の中立性
国際保健機関(WHO)の対応が二転三転し、世界各国から非難を浴びている。
事務局長テドロス氏は中国からの出資が活発なエチオピア出身であり、中国に忖度したのではないかとの疑念がある。
WHOに代わる組織の創立も囁かれる中、一番興味深いのは、「国際組織の中立性」をどう確立するかである。
国家は、同じ価値観を共有する人民で形成されるが、世界各国が同じ価値観を共有することはできない。
その中で国際組織を設立する試みは、数々の難題の波に揉まれてきたのである。
したがって最も巨大な国際組織である国際連合は、理事国には拒否権が与えられ、強制力は削がれてきた。
いかなる管理機関も、すべての主権国家がその運命がその運命を託することができない正義を体現しえない。かかる正義は存在しないし、そこに問題の核心がある。
出典:高坂正堯 『国際政治 恐怖と希望』 中公新書
高坂氏は、国家がそれぞれ軍縮をして戦争危機を回避することができると述べた一方で、国際組織による強制力には疑問を呈している。
これはWHOにも同じことが言える。WHOには何ら強制力は与えられるべきではない。また国際組織はニュートラルな立場にあるべきであり、不健全な運営は改善せねばならない。
無論、アメリカ合衆国による国際組織が設立されるのであれば、「東側勢力」にも一定の権利を付与すべきである。
もしそれがなされないのであれば、「新冷戦」の始まりであろう。
この問題から考えるべきは、国際組織の中立性の確保の手法だ。
「中国がテドロス局長を操った」と批判する米国も、拠出金の停止という手法が使えるのは中立性が欠けているからこそである。
新時代の国際組織はどうあるべきか考えていきたい。
4.産業構造の変化
ポスト・コロナ社会は、経済的な打撃を確実に経験するものの、何もポスト・アポカリプスという訳ではない(世界大戦が起きたら分からんが)。
産業構造に何かしらの変革がもたらされるのは必須である。
ではどのような産業分野が発達し、衰退するのか?これを今予想することは就職にも投資にも貢献するため、意義があると思われる。
・物流の強化
実際の店舗が使えない事態では、ECが重要視されるようになった。こんな緊急時でも「Amazon使えればいいや」となれるのは、それを支える物流が生きているからである。
特に宅配便などの、カスタマーに直接届ける形の物流の重要性はさらに高まるなかで、どのような変革がもたらされるのか。
様々な未来が予測される中で、従事者の労働環境がどのように変化していくのかは注視せねばならない。
もちろん、感染リスクが高いとされるドライバーを守るという観点もあるが、今後負担を減らしていく目的で無人化をどのように進めていくべきか?
・通信教育の重要性
私が現在所属している大学では、現時点(4/18)で5月頭まで休講が決まり、6月まではオンライン講義の開催が決定された。
しかしいきなりオンデマンド形式に移行する中では、教員、学生共に戸惑いの連続があり、何でも「オンラインでやれば良い」という批判のリアリティを疑うことになった。
大学だけでなく、小中高や塾、すべての教育がオンラインでできる環境を整えることの必要性が高まった。
この状況を打破する試みは未来性に富んでおり、進歩を注視していきたい。
5.政策の功罪
この国難は、間違いなく長期化した安倍政権にとって最大の難関であり、安倍政権がとった政策は、今後何年もかけて検証されることになる。
恐らく数年経てば必要なデータも揃い、より深化した指摘ができるだろうが、現時点での考察も無駄ではなく、むしろ歴史の結節点で何かしら考えることは後に役立つ。
印象としては、首脳陣の周囲の統制が取れていないことが挙げられる。
安倍総理が自宅でゆったりする動画をアップしたりするなど、周囲が普通止めるのが理想であり、人事が膠着したことで柔軟な政策を打ち出せなくなっているかもしれない。
現金や布マスクの配布など、まだまだ結果を待ってから考察すべき政策がたくさんあるが、悠長なことを言っていられないのが現状だ。
その中で市民が、政府を常に批判的に精察することは肝心である。
ハンガリーではこの緊急事態に乗じて、オルバン政権が特別な権限を得ることに成功した。
もっとも、一つの政策に対して凄まじい種類の意見が飛び交う中で、何を信じればよいのか分からない現状ではある。
だが政府に同情して、「総理だって疲れているんだから文句を言ってはいけない」などと言うのはオススメできない。
共感することと、自分の立場を理論的に構築することは常に分けなくてはならないからである。
メディアが言っていること、政府が発表したデータを鵜呑みにしないで一度立ち止まることが肝要である。
さいごに
学士課程の身であるが、(モロ文系の)政治学徒でもあるため、稚拙では今後考察すべき(あるいは研究の題目に使えそうな)テーマをまとめた。後の自分、頼んだぞ。
トップ画像 セルビア・ベオグラード要塞 筆者撮影(2019年9月)
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