オタクが死んだ日。
コンバンワ。
「オタク」と言う言葉が一般的になって久しい今日この頃。
まさに世は一億総オタク時代。
元来のアニメ界隈だけではなく、アイドル、ジャニーズ、K-POPなど3次元まで裾野が広がっています。
近年では「推し活」とよりマイルドな表現に姿を変え、界隈を限らず老若男女に根差した言葉として定着しています。
思い返せばそう遠くない昔、
「オタク=気持ち悪い人」
当人の実際の趣味趣向に関わらず、それっぽい人、と言うだけでオタクは蔑称でした。
※今で言う所の「チー牛」のような意味合いでしょうか。
かく言う私も上記のオタク=蔑称とされた世代の人間です。
深夜アニメ、ギャルゲー、声優、漫画、ロボットに耽る暗黒の思春期を過ごしていましたが、周囲にはその趣味をひた隠しにして生きていました。たまたま見たアニメ版「D.C.」と漫画「DearS」「スクールランブル」に大きく人生を変えられた人間です。
理由は簡単、オタク趣味がバレると嘲られハブられ虐められる、そう言った風潮が強く強く根を張っていたのです。
僕より下の世代の人間には到底考えられない風潮だと思いますが、当時の自分はこの風当たりが少し心地良かったりして。
夜な夜な電子の海に入り浸り、顔も知らない同好の士と深夜アニメについて語らう毎日。
分かる人だけが分かれば良い、「オタク=高尚な趣味」と言ったある種の選民思想がドス黒い思春期をそっと支えていました。
潮目が変わったのは2005~6年頃。
オタクの恋愛を描いた「電車男」が映画、ドラマ共にちょっとした社会現象に。
かの「涼宮ハルヒ」シリーズがオタクの垣根を超えた空前の大ヒット。
続く「らき⭐︎すた」「けいおん」がこれまたヒット。
追い打ちをかけるような「ニコニコ動画」の隆盛により、
日陰者のためのオタク文化が一躍お茶の間の脚光を浴び始めたのです。
岩の下で細々ジメジメと暮らしていたダンゴムシのような僕は、いきなり岩を退けられ強制的に陽を当てられた事に強く失望しました。
暗い岩の下は僕のような日陰者しかいなくて、でも「本当に面白いものが分かってる」少数精鋭の集まりな筈で。
世は「オタク=忌み嫌われる日陰者」から「オタク=皆で楽しむ趣味」の時代へ。
その瞬間僕の中のオタクは死んだのです。
あれだけ大好きだったアニメを話題作であろうがなかろうが一切追わなくなりました。
集めてた漫画、ゲーム、フィギュア、グッズ、プラモの類もあらかた処分しました。
オタクが死んで残ったのはオタク時代に培養し続けた鬱屈とした精神性だけでした。ちゃんちゃん。
誤解して欲しくないのは「オタク=皆が楽しむ趣味」になった今日、あれだけ日陰だったオタク文化が、今では町おこし、果ては国策にまで発展しており、好きなものを好きだと声高に叫ぶ事が出来る現代はとてもとても素晴らしい事だと思います。
マーケットが拡大した事により次々と先進的な文化が産まれ、今日のオタク市場は日々拡大を続けています。
かく言う僕も時が経ち、オタク、非オタクなどと余計な垣根について考える事もなく、再び漫画、アニメ、ゲームを日々楽しんでいます。
そんな現代、声高に自分の好きを叫ぶ事が許されなかった時代の敗残兵から、現代オタクへのちょっとした嫉妬なのでした。
※「◯◯は俺の嫁」って気付けば誰も言わなくなりましたよね。なんでなの。
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