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AV新法に欠けている目線

最初に。
このコラムは「AV」「AV女優」という単語が多数出てきますが、内容はいたって真面目です。
言葉選び的にアダルトカテゴリーに入るかもしれませんが、問題を明確にするためにあえて言い換えを使わず、「AV」「AV女優」という表記をさせていただきます。

このところ世間を騒がせているAV新法。
現役女優や業界人、法律家、政治家、ファン、いろんな人が自分の意見を出し合い、それが入り乱れて混迷極まりない状況となってます。
たぶんこの状況はしばらく続くと思います。

なぜこんなに混乱するのか。
それはAV女優の社会からの見え方、つまり「AV女優観」が人によって違い過ぎ、それぞれの女優観を押し付け合う格好になってるからではないでしょうか。
みなが「AV女優は可哀想」と言い、可哀想なのを何とかしようとするけどその対処の仕方に個人差がありすぎる。

結論から言えば、法律論争の前段階で、AV女優観が適切な形にアップデートされ、共有されるべきと思うんですよ。

AV女優がなぜ裸になるのか。
それは職業人としての矜持があるからであり、そこで技術が磨かれ、その技術に対して対価が払われる、それだけのことだと思うんですよ。
AV女優は社会に溶け込んでるし、急に無くすことはできないんだから、普通の職業と同じに扱うべきなんです。
その扱いができないから法で規制を、なんて話になるわけで。

AV女優は決して自らの尊厳を売って金を得てるわけじゃない。
もしそういう人がいるなら意識を変える必要があるんです。それは本人の心身の健康のために。

とは言っても我々の世界の常識や生活感覚とAV女優の業務ってあまりにかけ離れてると言うか、それまでの18年だかの人生と地続きになってないと言うか、いったいどういう生き方をすれば、さあAVに出るぞ、なんて発想に至るのか。
そこらへんがリアリティを以て社会に共有されてない気はします。

であるが故にその超人性と言うか、「フツーじゃできないことをしてる」部分に対価が払われてるような錯覚をされるのも致し方ないかと。
そこらへん世間への説明責任を怠ってきた業界側の責任でもあります。

まあ「夢を売る」ショービジネスとしての在り様と、「現実を教える」企業としての説明責任は両立させづらいと言うか。

AV女優と立ち位置が個人的に一番近いと思うのは「リアクション芸人」ですね。
先日亡くなった上島竜兵さんは熱湯風呂にドボンと落とされたり、おでんを押し付けられたりして熱い熱いと騒ぐ様で人を笑わせていました。

このリアクション芸人、いまでこそお笑いの高等技術であるという認知が進んできましたが。
かつては単なるいじめ芸。
熱湯風呂は本当にやけどするぐらいに熱く、また芸人とは社会不適合者であり、そうした弱者の無様な姿をあざわらうコンテンツがリアクション芸である、みたいな見立てが主流化してた時代がありました。

ビートたけしさんなんかがコラムの中で、「熱湯風呂は実はそんなに熱くなく、それを熱いように見せるのがプロの芸人である」なんて書いたおかげで実像が理解されてきましたが。

重要なのは、そうした裏側を大衆が知ったところで、笑いの量が減ったのか、というところ。

実際お笑いのメタ認知が進み、「どういう構造で笑いが成立しているか」みたいなところを皆が知るようになったのがここ20年のお笑い産業の変化であり、今は一億総お笑い評論家です。
その状態になってもリアクション芸によって発生する笑いが消えたわけじゃないと思うんですね。
人によっては芸人への敬意も込みで笑っている。

要するに、ショービジネスの面白さは、種を明かしても消えないんです。

だからAV女優ってのも「単に人前で裸になってセックスしてるんじゃなく、カメラ位置や顔の角度などを研究し、演技力を磨き、どうすればよりセクシーに見えるのかを研究している。そうした技術があるおかげでよりエンタメ性の高いコンテンツになっている」みたいな見立てでいいと思うんですよ。

とは言え私もこうした気付きを最初から得ていたわけではありません。

そもそもAV女優とのファーストコンタクトは、私ら昭和世代はテレビでした。
ドラマやバラエティーの中でおっぱいポロリしたり、セックスにおける赤裸々なトークをすることで番組に華や色気を添える存在、として認知していました。

とは言え、一般的な芸能人と比較するとトンガリすぎていると言うか、そのへんのアイドルがやらないような領域にまで踏み込んでるのでイマイチリアリティーを得られない。
この人たちは少なくとも18まで自分たちと同じように学生生活を送って普通の人生を歩んできたと思えない。

まるでスケベの星からやってきたスケベ星人というか。
もしくはウルトラマンの光の国みたいな「スケベの国」みたいなんがどっかにあって、そこからパワーを得て一時的に変身してるだけなのか。
いずれにせよ現実離れした「SFチックな何か」でしかなかったんですよ、AV女優って。
だからいまいち感情移入しづらいと言うか、脱いでてもありがたみが薄いし何らかの性被害を受けても同情しづらかったわけです。
昔は「ライトなAV女優」に相当するグラビアアイドルもいなかったし、そこらへんグラデーションができていなく、「性に関して完全に純潔なアイドル」と「性欲モンスターなAV女優」に分化してました。

それが突然変わったのは、私の場合二つ大きな出来事がありまして。
まずは「激走戦隊カーレンジャー」。
特撮のヒーローものだったんですが、敵幹部で元AVの女優さんが出てたんです。

たまたまテレビを見てた時にそれが目に入り、キャラ造形とか演技とかが世界観にハマってて素晴らしく。
「脱がない、普通の女優としてのお仕事」なのにすごく斬新なキャスティングに思えたんですね。

あのへんから特撮ヒーロードラマを日常的に見るようになり。
また「AV女優の脱がないお仕事」マニアになったわけです。
こんなニッチな趣味、ほとんど理解されないでしょうが。

AV女優をあえて一般の女優と同格に扱うことで、AV業界と日常とが地続きになった感。
それは普通の人をAV界に誘導する仕掛けとして稼働することもあり、それをみなが無意識に感じてるからこその批判もあったりするわけですが。
現に恵比寿マスカッツを見てAV女優に憧れるようになった、という若い女性は身の回りにもいますし。

でも、それまで理解が追いつかなかった概念が理解できるようになった、一つの職業への解像度があがるってことは大人に近づくことでもあると思うんですよ。
みんなが大人になってしまえば偏見もなくなります。

もう一個のできごとは、小室友里さんのコラム。
ある週刊誌に毎週2ページの連載を持っておられたんですが。

その中の一節に「私は小室友里という名前になった時にスイッチが入って普段できないようなこともやれるようになる」的なことが書いてあったと記憶してるんですが。
それを読んだ時「そういうことか」と腑に落ちました。

メディアに出る人と言うのは、普段とは違う人に見られるための人格をまとうわけですよ。
そしてそれはそれまでの人生と矛盾するわけではない。
普通の俳優とかと同じなんだな、と。

いつまでもAV女優を「特殊な何か」として捉えるんじゃなく、一般社会と地続きにすることで。
差別やら偏見、セクハラなどと無縁にしていってほしいです。
それが結果的に表現を守ることにつながりますし。
何より、より魅力的な存在に見立てることができるはずです。

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